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2008年12月31日

2008年の御礼

 当ブログは、これまで3年続いてきました。自分の事ながら、良く続いているものと思います。

 エントリ数が600を数え、内容が有ってか、タイトルに釣られてか、オープン以来でのべ10万アクセスを越えるまでになりました。今年ご来訪頂いたみなさまに感謝いたします。


 今でも歴史の話題を中心にしたブログと思っていますが、今年は歴史以外の話題が多く、中でもここ数ヶ月はリニア中央新幹線関係のエントリを多くの方に読んで頂くことが出来ました。

 「西夏と年号」「2008年秋 スペインの旅」を年内に終わらせるという目標は、遥かに届かない結果となりました。春までには、結果を出したいと思っています。


 どの程度意味が有ったのか無かったかは問うことなく、来年もまた思うままに書き続けて行く予定でいます。

 また、是非お立ち寄り下さい。

 新しい年が良い年でありますように。


 新年の干支にちなんでインドの聖地バラナシ、ガンジス川の畔で撮った一枚を。

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今年の西夏成果

 今年もいろいろなところへ旅をすることができた。以下経県値などの結果を総括。

 ゴールデンウィークには、北陸巡りとして未宿泊だった石川県下を中心に能登までを回った。経県値&経県マップで採点すると、経県値は1点増えて192点『武藤 臼の経県値&経県マップ』。残る未宿泊地のうち滋賀県は来年の最初の目標。


 次は、3月に自作した国内旧国版経国マップの更新。ゴールウィークの旅行で、加賀と能登が宿泊に昇格、帰りに通過した若狭が通過に昇格した。さらに、11月の壱岐出張でこれまで一つも踏み入っていなかった島国をひとつ攻略できた。3月の時に291点だったものが、304点と300点突破。来年の目標は、若狭、淡路、備中、備後あたり。

居住(5点)6
宿泊(4点)56
訪問(3点)14
接地(2点)3
通過(1点)2
未踏(0点)3
 
 

 



  陸奥



 
 
 



 
 

 
 





 









 












 









駿

 
 

 





 



 

 
 

 

 

 



 最後に、世界の経国マップ。これは、World66で作る。

 9月のスペイン旅行の時に、行程の都合でフィンランド、ポルトガルにも立寄れた。下の地図では、小さくてほとんど分からないが、ジブラルタルも加算されている。全部で日本を含めて14か国。今のところ、来年の渡航の予定はない。


<追記> (1月5日)
 国内旧国版経国マップで「志摩の国」が抜けてたことに今頃気がついたので修正しました。点数も微妙に変わってます。

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リニア中央新幹線 2008年12月の動き その2

<今までのエントリー>
 リニア中央新幹線を諏訪へ
 リニア中央新幹線と長野県
 リニア中央新幹線 Bルートが無理なわけ
 リニア中央新幹線 知事の質疑応答ほか
 リニア中央新幹線 Bルートが実現する可能性 その1
 リニア中央新幹線 Bルートが実現する可能性 その2
 リニア中央新幹線 2008年12月の動き その1


 以下、その1からの続き

 次に、長野県知事、村井氏の見解について。これは、長野県の公式サイト内知事会見から読むことができる。10月26日の記事リニア中央新幹線 知事の質疑応答ほか以降については、10月31日分12月19日分12月26日分で計6件の質疑応答が収録されている。ルート問題とは関係のない10月31日分を除くと、内容のある回答は12月26日付の質疑応答の中にある以下の一文のみ。

 長野県はBルートということでずっと決めて、それで期成同盟会の活動なども続けてきた経緯があるのですから、そういうものを無視してもらっては困るということを言ってきたことは否定しません。
これ以外については、同じ文中にある以下の一文に代表されるように、問題について知事個人としての意見、コメントをすることを避けてきている。
 私は伝聞で知ったことに基づいて自分の判断をすることは基本的にありません。
これは、10月26日記事などに見られるように、一連の発言について波紋が大きく広がったことから、慎重になっているということだろうか。


 このような長野県の動きに対して、Cルートを取った場合に駅設置が有力視されている飯田下伊那地域では、Bルート案を疑問視する意見が出て来ることは自然なことと思う。

 「直線ルート視野」決議書案 飯伊経済団体、転換も視野
(信濃毎日新聞 12月12日)

 この点に関連して、以下のような記事も見られる。

 リニア中央新幹線:Bルートを確認 「建設促進議連」会長が発言を撤回し謝罪
(毎日新聞 12月10日)

 この会長発言に関わるやりとりが具体的にどのようなものかわ分からない。しかしながら、この事件とは関係なしにCルートを推そうとする意見に対して、「不協和音はまずい」といった理由を押し付けることは得策ではない。長野県全体としてBルート推進としたいのであれば、飯田下伊那地区などCルートを推す人達を理をもって再度説かなければならないと思う。


 今後Bルート推進を続けた場合に、他にどのような問題があるだろうか。一番に思いつくのはイメージダウン。長野県は、観光振興担当の部局が観光部として単独で存在する珍しい県である。それだけ観光は長野県にとって重要な問題と思うが、イメージダウンは影響しないだろうか。

 またそもそもリニア新幹線は、建設とそれに関わる部分以外でどのくらい地域の振興に資するのだろうか。これについては、毎日新聞に以下のようなコラムがあり次の一文で結ばれている。

 リニア中央新幹線の整備を否定している訳ではない。が、無条件に「リニアが経済繁栄をもたらす」という考え方は幻にすぎないと強く思う。
 しらかば帳:一年を振り返って リニア経済効果は?
(毎日新聞 12月19日)

 「“引っ越し道路”」という例示は、リニア新幹線に比べると質が違いすぎるとは思うものの、「無条件に・・・」という点については、自分も賛成である。

 例えば、Bルートが実現した場合、諏訪地区と東京は30分以下で結ばれる。諏訪には、上諏訪、下諏訪、蓼科といった温泉郷が存在するが、いずれの温泉地も近隣の観光地を背景とした存在であって、温泉地単独としてどのくらい魅力があるだろうか。諏訪まで30分であれば、蓼科や霧ヶ峰で日が暮れるまで遊んで、駅に出る途中で食事をしても、品川駅からの時間さえ短かければ時間的にゆっくりと帰宅できる。諏訪エリアの観光地が、東京からは完全な日帰り圏となる。温泉旅館に限らず、各地の宿泊施設は日帰りしようとする客を押しとどめるべく、より一層の努力が必要になる。


 まったくの政治的な事情で、JR東海が具体的に動き出したのが年末という慌ただしいものだった。最初の動きは、村井長野県知事の会見の見る限り、挨拶回りに毛の生えたていどのようだ。JR東海が来年度中と発言していることからして、来年この件は大きく進展をみることになるだろう。いずれにしても本番は、年が明けてからである。


<関連報道(日付順)>

近畿延伸も全額自己負担で リニア新幹線でJR東海社長
(産経新聞 12月13日)

しらかば帳:一年を振り返って リニア経済効果は?
(毎日新聞 12月19日)

国、中央新幹線「調査」をJRに指示 年内に地元と対話
(信濃毎日新聞 12月24日)

リニア計画で4項目調査指示 国交省、JR東海に
(朝日新聞 12月25日)

「リニア新幹線駅、沿線各県に」 JR東海会長
(朝日新聞 12月26日)

JR東海の葛西会長、景気後退でもリニア計画続行に意欲
(AFP 12月27日)

リニア中央新幹線:建設問題 JR東海社長が知事に報告 事務レベルで協議へ
(毎日新聞 12月27日)

リニア新幹線 実現へ地域と手を携え
(信濃毎日新聞 12月27日)

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リニア中央新幹線 2008年12月の動き その1

<今までのエントリー>
 リニア中央新幹線を諏訪へ
 リニア中央新幹線と長野県
 リニア中央新幹線 Bルートが無理なわけ
 リニア中央新幹線 知事の質疑応答ほか
 リニア中央新幹線 Bルートが実現する可能性 その1
 リニア中央新幹線 Bルートが実現する可能性 その2


 12月24日づけで、鉄道建設・運輸施設整備支援機構とJR東海に対して、国土交通省より中央新幹線についての調査が指示された。これを受けて、JR東海では関係各県へ挨拶まわりを行なっている。年末にばたばたという感があるのは、整備新幹線の財源問題について、「政府与党合意が得られる」のを待っていたからだという(朝日新聞)。時期も時期であり、とりあえずの挨拶回りという状況のようで、より具体的な問題は年が明けてから動き出す物と思われる。

 この件に関連する報道や関係者の動きについて、ネット上の情報を参照しながコメントを加えてみる。


 中央新幹線東京都・大阪市間の調査について
 (国土交通省 報道発表資料)

 この発表資料によれば、需要に見合った輸送力、技術の開発、 建設費用、その他必要事項の4項目についての
調査を行なうこととされている。ニュースとしては、調査期限が示されていないことと、調査事項の前文に

 全国新幹線鉄道整備法の趣旨にかんがみ、ルート、駅等に関し、地域と調整を図ることを前提とし
という一文が入れられていたことが特に目立って扱われていたように思う。

 信濃毎日新聞は、12月27日付けで知事とJR東海社長の会談に絡めて、リニア新幹線 実現へ地域と手を携えと題した社説を掲載している。この社説には、

 地元の意見をしっかり聞きながら
 ルートの問題は、JR東海任せにはできない。
などと書かれていて、これだけならば地元側から見ればそうだろうなと言えなくもない文言だ。

 しかし、長野県とJR東海について、「ルート」つまりはいくつの駅を設けるのかという点について、両者の意見は大きく食い違っていることが明らかになっている。その前提で「地元の意見を聞く」とは、より多く駅を設置することである。駅の数について、1か2か3とあまり妥協のしようがない答えしか無いことを考えれば、この社説は長野県側の立場にたった内容と評価することは間違っていないだろう。

 自分が以前にこのブログ上で触れたように、素人の簡単な試算でもBルートを採ることの困難さは想定できる。そういった問題に触れることなく、上記の国土交通省文書における「地域と調整」を含む一文を「この条件は重い」と評価しているところは、核心となる問題点を避けて新幹線整備法を楯に「地域振興」を主張する長野県と同じ立場に見える。こういった内容は、どの程度地元一般の空気を反映しているものなのだろう。


 信濃毎日新聞の社説の内容に関連して、11月10日の記事をアップして以降に長野県から出されている文書を読み解いてみる。長野県の公式サイト上で、具体的にリニア中央新幹線に触れているのは、信州・フレッシュ目安箱知事会見の2か所。


 まず目安箱について。この中には、10月分11月分として計12件、「リニア中央新幹線のルートについて」と題された「ご意見」に対する「回答」が載せられている。その12件の回答内容は、「リニア中央新幹線建設に当っては」で始まる全国新幹線鉄道整備法の内容を説くものが8件、10月25日付の信濃毎日新聞の記事に抗議したというものが2件、両方について触れたものが2件となっている。

 全国新幹線鉄道整備法を根拠とした回答としては、文章の形は違うものの10月22日付けの記事で触れた5月7日回答に見られるものと同じ内容である。5月7日回答について、「ほとんど理が無い」と自分が考えていることは10月25日の記事に纏めた。

 一連の回答は、極めて簡素にパターン化されていて、質問について具体的に答えることを一切避けたものと自分には読める。「目安箱」というたいそうな看板を背負わせているにしては、中身が無いつまらないものだ。担当者は、他のことを書くことが一切許されないのか、それとも書く気が無いのかどちらなのだろう。

 また、「信濃毎日新聞の記事に抗議」という点について「現段階で県は試算しておりません。」と書かれている。これは、

 Bルートを採用するとCルートより「およそ5分の差が生じる」と長野県が試算したとのこと
(既に元記事がリンク切れのため、これは11月10日の記事に載せた要約)
という新聞報道が誤りであるというものと思われる。様々な数字が並び、大きな金額が問題となる一連の問題について、試算が全くないということはあり得ないだろうから(公式文書になっているかどうかは別にしても)、とりあえず県としてはこの「5分」かどうかは試算していないということになる。目安箱にも見られるように、この「5分」についての関心は高い。一連の問題の中で重要な問題のひとつであり、外部に依托してでも早急に試算して公表すべきではないだろうか。


 少し長くなったので稿を改める。続きはその2

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2008年12月28日

グラナダ

 アンダルシア三古都巡りの二つ目は、アルハンブラ宮殿を擁する観光都市グラナダ。宮殿めぐりは、今回の旅の一番の目玉だった。

 グラナダは、スペイン南部のシエラネバダ山脈北麓に広がる盆地の街。盆地というと、北上川沿いをはじめ両の手に屏風のように山々が連なる盆の底のようなイメージを持っているが、グラナダはずっと広くて山並みも遠く見える。

 かつて、イベリア半島最後のイスラム系国家ナスル朝の都であって、アルハンブラはその中心の宮殿として築かれたということは、あまり解説のいらないことかもしれない。半島のイスラム系諸国の中で、前期にはコルドバやセビーリャが中心都市であって、グラナダは有力な地方勢力の拠点に過ぎなかった。13世紀前半に両都市がカスティーリャ王国の軍門に降ったことで、多くの避難民を受け入れたグラナダは大きく発展して15世紀末まで続くことになる。

 グラナダは、カスティーリャ併合の後もアンダルシアの有力都市の一つであり続け、宮殿も大きな破壊を逃れて往時の空気を残している。今日、アンダルシアの中心はセビーリャに移ったが、スペインでも有数の観光都市として、アルハンブラ宮殿の賑わいは他の宮殿や城、教会などを圧倒していたように思う。



 なにはともあれ、このアルハンブラの宮殿群を見て歩く為にグラナダに行ったといっていい。厳しい日程のため、中一日、二泊のみの滞在とした。

 早朝の8時にチケット売り場に行ったところ、既に長蛇の列。入城は、午前と午後の二回に別れてていて、見どころが集まるナスル朝宮殿は入場時間も指定されていた。

 さすがに見どころが多く、素人写真でもそれなりに絵になりそうなものが沢山撮れたので、アルハンブラについては、稿を改めて詳しく紹介する。まずは、グラナダの街の様子から。


 イスラム教徒の追放が行なわれてキリスト教徒の街になってから既に500年。800年のイスラム教文化の上にキリスト教文化が乗っているという魅力的な街。大きなモスクは既になく、街には重厚なものから白くてスマートなものまで教会があちこちに建つ。

 写真は、その中でも一番の規模を誇るの大聖堂。王室礼拝堂のドームが隣接している。


 市街地で観光客が集まっている場所は、アルハンブラへの登り口にあるヌエバ広場と、アルハンブラとはダーロ川が流れる谷を間に挟んだ北の丘に広がるアルバイシン地区。

 写真は、アルハンブラからのアルバイシン地区の眺め。街を囲う城壁が一部に残る市街が丘陵の斜面に広がり、白い壁とオレンジ色の屋根の建物が並ぶ。


 そのアルバイシン地区の中心にあるのが、写真の聖ニコラス教会。教会前の広場にはオープンカフェがあって賑わっていた。教会の南側の広場は眺めが良くて、アルハンブラ全体を眺められるスポット。一番上の写真もそこからのもの。


 アルバイシン地区の北側には、全体の四分の一ほどの城壁が残っていて城門も健在。写真は、そのひとつエルビラ門


 グラナダでは、とくになにか狙って食べに行くということをしていないので、食べ物の写真は撮っていない。このころからアイスクリームにハマり出した。どこの街に行ってもアイスクリーム屋があり、ストッカーに10種類以上が並んでいる。快晴の日に、散策途中に食べるアイスクリームは格別で、何を頼むかいつも迷っていた。


<参考>
 世界歴史大系 スペイン史1(山川出版社 2008年)


 Googleのマイマップ2008年秋 スペインの旅 グラナダへ、この他にも写真を載せています。

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2008年12月27日

もやしもん 7巻

イブニング KC244
もやしもん 7
石川雅之 著
ISBN978-4-06-352244-0
講談社 2008.12

 菌・ウイルスのキャラクタの可愛さで認知されているマンガだが、農学部卒としては実習中心の学校生活が懐かしところ。もっとも自分はフィールドが中心だったので、やっていることは全然違うけど。

 フランスでの騒動が一段落して、発酵の話は酒類から味噌醤油が中心に。麹室や味噌玉作りなど昔アルバイトで味噌作りを手伝ってたことを思いだして、これまた懐かしい。

 連載の方は、ビールの話題に移行してる。8巻はまるまるビールの話になるだろうか。もともと蘊蓄の多い本だが、次巻は特に楽しみ。

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2008年12月23日

将国のアルタイル 3巻

シリウスKC
将国のアルタイル 3
カトウコトノ 著
ISBN978-4-06-373148-4
講談社 2008.12

 仮想のルメリアナ大陸を舞台に、主人公マフムートが属するトルコをモチーフとしたトルキエ将国と、ドイツやフランスを思わせるバルトライン帝国の興亡を描く時代マンガの3巻。マフムートは故あって国を出て旅の最中にあり、最年少将軍だった彼の成長物語的に話が進行している。

 今巻では、第三勢力として海洋都市国家群が登場し、その中のひとつでローマやコンスタンチノープルをイメージさせるポイニキアが舞台となる。マフムートが、ポイニキアとバルトラインの抗争に関わるという話。

 4か月で一巻と良いペースで進んでいる。まだまだ話はこれからという雰囲気で、壮大な大河ドラマになるのだろうか。

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シュトヘル

 小学館の週刊ビックコミックスピリッツ、昨日発売の4・5合併号で新しい連載が始まった。シュトヘルという。

 著者伊藤悠氏のインタビュー記事スピリッツで始める新連載について(ジャンプスクエア)によれば、

 1200年代のモンゴルを舞台にした時代劇です。
 モンゴルが攻め入るところの、西夏という国の女兵士です。名前はシュトヘル。
とのこと。シュトヘルは、主人公の西夏女性の名前であるという。上の写真、雑誌表紙を飾っている首に縄がかかったキャラクターがその主人公。題字のシュトヘルの下に「悪霊」と書かれているが、彼女は人々から悪魔かなにかのようにそう呼ばれているのだという。これは、実名ではなくて一種の呼び名ということだろうか。どうも西夏語というわけはないようだが、モンゴル語なのかどうか我が家に辞書がないので分からない。

 「悪霊」というと、ロシアのコズロフが1908年にカラホトを探検した際、カラホトの廃墟を現地の人々が「悪霊の住む呪われた城」と言って恐れていたという話が思い起こされる。冒頭で、モンゴル軍に攻められていた城が、カラホトなのかどうかは今のところ不明だ。また、この物語に具体的な伝承や伝説などがあるのかどうか自分には分からない。


 連載第一話については、巻頭46ページと大部なページ数ながら、時代背景などはまだ一切語られていない。それは、新年発売の次号からはじめるという。

 絵的には、冒頭でモンゴルらしき軍隊がどこか中国風な城を攻めているほか、モンゴルらしき人物が何人か出てくる。その関係なども次号いこうということになる。


 具体的に西夏は描かれていないのかというと、この写真の中央少し右にあるように、西夏文字らしき白い文字が書かれた黒い旗が出ている。これは、西夏国を表した4つ西夏文字、

この4文字目の一部と思われる。「大」という意味で、西夏の正式な名乗り「大白上国」あるいは「大白高国」の大にあたる。今回、西夏らしきものはこれだけ。ちなみにこのピクトは、自分のサイトで題字などに使っているもの。


 西夏が関わる連載マンガというのは初めてだろうか。自分的には、どちらかというと西夏建国前夜、それも小説『敦煌』に登場する李元昊ではなくて、彼の祖父李継遷時代の物語を読んでみたい。宋を相手にした戦いが続く時代なのだが、時代設定として面白いのではと思っている。

 ビックコミックスピリッツは久しく購読していなかった。自分が買っていた頃の作品を揚げると、時代が知れるくらい以前のこと。最近は、ヤングサンデーの休刊に伴って大幅に入れ替えがあったので、単行本だけで読んでいたものがだいぶ収録されている。これを機にしばらく買ってみようと思う。


 ビックコミックスピリッツ オフィシャルサイト

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2008年12月18日

1995年アジア紀行〈青河〉

 中国新疆ウイグル自治区、天山山脈の北に広がるジュンガル盆地。古来遊牧民が行き来した地は、1990年代はじめまで外国人には限定的にしか開かれていない場所だった。大幅に開放が進んだのは、90年代の半ばになってから。盆地の東南から東北にかけてが開放されたのもその頃だった。北京を離れた頃から、内モンゴル草原の次にはアルタイ山脈を見に行こうと決めていたが、開放されたばかりの街はどんなところだろうという好奇心もあって、盆地を一回りしてみた。

 ウルムチを出てから、いくつかの街に寄り道しながら反時計回りに盆地を巡り、東寄りを縦断して入った街が青河だった。青格里河が流れ出るアルタイ山脈の内懐にある街、という地図を見て読み取れる以上の情報は無く、どんな所なのか、ホテルや食堂はあるのかも分からなかった。ある種の好奇心がくすぐられる様な、それだけの理由でバスで一日をかけて乾燥した盆地を北へ越えた。青河に滞在したのは、7月29日から8月1日の4日間。


 青河近代の歴史は、阿勒泰とともにあった。清朝の時代は外モンゴルに所属していたが、20世紀の初頭になってから阿勒泰と一緒に新疆へ所属変えされた。県が置かれたのは、20世紀も半ばになってからのこと。


 当時の中国のガイドブックには、阿勒泰の街中で馬に乗った人が見られるようなことが書いてあったと記憶している。しかし、自分が阿勒泰に滞在した数日、馬にお目にかかることはなく、大きな街へと変貌している途中という雰囲気で、会えるとも思えなかった。

 一方で青河はまだ長閑で、街中にまともな舗装道路はなく、街を南に少し外れたところで馬に乗っている人をみかけた。あれから13年、GoogleMapを見るとそれほど変わっていないようにも見えるが、どうなっているだろう。


 街のすぐ北側に小高い山がある。頂上から街を一望したのがこの写真。左を流れているのが青格里河。

 情報がなかったとはいえ、さほど心配していなかったのだが、宿は外国人に開放されたばかりの招待所で中国人と同室だった。また、地元民御用達の食堂の他に真新しいレストランがあり、暇そうな店員が愛想良く応対してくれた。


 頂上から北東方向を遠望したところ。アルタイ山脈に連なる山並みがどこまでも続いている。雲の向こう側はモンゴル国。


 青河は今でも牧民の土地のようだ。川沿いが緑なのに比べて山肌はどこまでも荒涼としていたが、僅かな草を羊が食んでいた。


 青格里河畔での洗濯?風景。この長閑さがどのくらい変わっているだろう。


<参考>
 新疆維吾尓自治区地図冊(成都地図出版社 1994年)


<Google Map>
 1995年アジア紀行参考地図

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2008年12月14日

篤姫 終了

 今年の大河ドラマが最終回を迎えた。最終回を見たのは新選組!以来。ただし、見られない回は何度かあった。我慢して見続けたわけではないのだが、見逃した回を再放送で見ようと思うほどでもなかった。それでいて、何故最後まで見続けたのだろう。

 歴史考証ということでは、幕末は自分にとっては守備範囲外なので判断できないが、それが反って良かったのかもしれない。一年を通して、桐野さんがブログ膏肓記で詳細に検討されていたので、見終わってからの講評は面白かった。おかげで随分と幕末にも目が向くようになったと思う。

 小松帯刀という人物の存在を初めて認識したといえば、自分のレベルが知れるかもしれない。幕末は知らないことだらけだが、ドラマをきっかけに桐野さんの解説などで勉強させていただいた。

 ドラマとして思い返すと、演義の善し悪しの落差の大きさや、上と下に偏った配役などに不満が残っている。最終回も個々のカットが意外に面白かったが、全体としては後日談の寄せ集めのようで纏まり感に欠けていたように思う。最後まで善し悪し半々という印象だった。なんだか、不思議なドラマだったと狐に摘まれたような気もしている。


 どちらかというと、戦国時代の方が自分の趣味には近いのに、ここ何年も戦国モノは最後まで見ていない。来年の天地人はどうなるだろう。今年の影響がそれなりにあるのかどうか、再来年の龍馬伝の方が既に気になっている。

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2008年12月13日

(書評)倭国大乱と日本海

市民の考古学5
倭国大乱と日本海
甘粕健 編
ISBN978-4-88621-454-6
同成社 2008.10

 考古学的に古代日本の日本海側という内容に惹かれて買ってみた。図版が多いので専門性の高い概説書と思っていた。前書きによれば、本書は2007年に新潟市歴史博物館で4回にわたって行なわれた講演会の記録とのころ。その4回が、本書の1章から4章に対応しているおり、その4つは下記のとおり。従って、本書は書き起こされたものではなくて、テープを起こして編集したものとのこと。

 内容は、弥生時代から古墳時代についてのもので、出雲から越後までを考古学的な特徴から4エリアに分けている。各担当者によって、古墳や集落の遺跡とそれに関連する出土物などからそれぞれの地域の特徴などが解説され、さらに歴史的な解釈が加えられている。

 もう少し具体的な内容としては、四隅突出型墳丘墓についてや高地性集落についての詳しい解説、墳墓・古墳の出現状況や高地性集落の分布範囲の解説があり、4エリアにはわりと明確な違いがあるとのこと。出雲と丹後の違い、あるいは出雲と越前の関係といった点はとくに興味深かった。また、その流れは会津にも及んでいるとのこと。


 自分的には、四隅突出という名前とその出雲地方における特異性を聞いたことがある程度だったので、本書はかなり新鮮なものとして読んだ。四隅突出型墳墓の出現過程についての仮説、北陸地方における高地性集落の分布が新潟県まで広がっていること、またその具体的な遺跡の紹介。さらに、新潟地方と会津との関係、北海道との関係が示唆される遺跡が新潟に分布しているといった点は特に興味深いものだった。

 また、考古学から歴史を復元するという試みが語られている。日本海に沿っての展開や高地性集落の意義、大和朝廷の拡大など関連するテーマは沢山あり、それぞれの担当者が個々に仮説を展開されている。その中には、なるほどと思われるものもあるが、やや想像を膨らませて語り過ぎと思わせるものも含まれている。ただし、それは本書の企画として許容したものの内ということのようだが、考古学から歴史を復元する難しさの一端が見えたようにも思う。


 このシリーズについて、自分が読むのは本書が初めてなのだが、「市民の考古学」とあるように一般向けに考古学を興味深く解説するという意図が十分に伝わっているように思う。本文140ページあまりとさほど厚くはないものの、内容はその割に豊かで十分に興味深いものだった。細かいことだが、遺跡についての図版は沢山収録されているが、関係する地名を紹介する広域の地図がもう少し必要だったのではと思う。

<目次>(主題と担当者のみ)
1. 四隅突出型墳丘墓と出雲世界
 渡辺貞幸
2. 弥生・古墳時代前期の丹後地方
 石部正志
3. 弥生・古墳時代前期の越前・越中
 橋本澄夫
4. 越後・会津の情勢
 甘粕健

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2008年12月 7日

ロンダ

 ジブラルタルを観光した翌日の早朝、スペインへ来てから初めての列車に乗ってアルヘシラスを後にグラナダへ向かった。発車は8時半。のんびりした旅者だから早朝というわけではなく、中央ヨーロッパ時間を採用している上にサマータイム中。実際の太陽時間とは2時間以上差があるので、本当に早朝で薄暗く静まり返っていた。

 アルヘシラスからグラナダへ。何をつかってどの道を移動するかはかなり悩んだ。マラガを経由して、地中海沿いをバスで東へという案も魅力的だった。結局ガイドブックの案内に惹かれて、シエラネバダ山脈中を走る列車に乗って、ロンダで途中下車することになった。ロンダでの列車の乗り継ぎが4時間と小さな街を散策するには程よい。


 シエラネバダ山脈西部、標高800メートル近いなだらかな丘陵地帯の中腹といった位置にあるロンダ。新市街の南にある小さな旧市街は、四方を崖に囲まれた正に絵に描いた様な城塞都市。今も城壁が残る街は、南北に600メートル、東西が300メートルと、城塞としてかなり実用的な大きさにみえる。アンダルシアの街らしく、白い壁、重厚な造りの教会堂にイスラム文化の名残と少しの散策というには贅沢なほど。

 ジブラルタル海峡から、アンダルシアの中心だったコルドバへ抜けるルート上だったという要衝の街で、ローマ時代以前から拓けていたという。イスラム時代にも強固な城塞として鳴らし、カスティリア王国に降ったのもグラナダに先立つ僅か数年前のこと。


 街の北、新市街と旧市街を分けるグアダレヴィン川にかかるヌエボ橋は、街のシンボルでもある。100メートル下の谷底から40年かけて石を積み上げて作ったのだという。18世紀のもので、城塞に頑丈な橋という意味では、むしろ平和な時代のシンボルということだろうか。


 街を取り巻く崖は、谷に面した北から西にかけてはほぼ垂直で高さも半端ではない。写真は、橋の近くから西側を見たところ。この垂直な様はあっけにとられるほどだが、「天空の城が・・・」と形容すると少し大袈裟だろうか。


 街中にある一番大きな建物が、この聖マリア=ラ=マヨール教会。モスクの跡に建てられたものとのこと。


 イスラム時代のものもいろいろ残っている。写真は、街の北東、川沿いに下った所にあるアラブ浴場の跡。


 イスラム時代の有力者の館を改装したものというモンドラゴン邸。表は重厚な石の壁だが、反対側から見れば奇麗な白壁の建物で、小さな中庭や断崖に面した庭園がある。建物全体が、博物館として公開されている。


 展示コーナーには、手作り感のあるジオラマや人形が並べられ、ロンダの歴史を解説していた。意外に見応えが有り、楽しかった。


<参考>
 アンダルシア散策(Edilux 2003年)
 ロンダを紹介している個人サイト RONDA


 Googleのマイマップ2008年秋 スペインの旅 ロンダへ、この他にも写真を載せています。

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2008年12月 6日

西夏地理研究

西夏地理研究
楊蕤 著
ISBN978-7-01-007113-8
人民出版社 2008.7

 新刊案内で見かけたので早速取り寄せた。政治、経済、社会など西夏に関わる広汎な歴史地理を扱った論文集。

 プロフィールによると、著者は黄土高原の直中、陝西省横山の出身で現在北方民族大学副教授とのこと。西夏地理研究としては、まさに地元の人。

 目次をひととおり書き出して、図版などをざっと眺めたところだが、宋や遼との国境問題についての論考は是非読んでみたいところ。西夏文字地名表記なども興味を惹かれる。欲をいえば、地理研究なのだから地図をもっと沢山載せて欲しかった。

 定価35元のところ、書虫で取り寄せて2180円。全473ページの大部な論文集が、このくらいまでの値段で手に入るのはありがたい。


<目次>
 緒論
  1. 関于西夏学、研究資料、基本框架及基本思路
  2. 学術史回顧

 1章 疆域的形成及演変
  1節 定難軍的五州之地
  2節 宋夏疆界的演変
   1. 西夏建国初期的宋夏疆界(1038-1067)
   2. 宋神宗親政与“元祐分疆”(1067-1093)
   3. “紹聖罷議”与北宋対西夏疆土的進一歩蚕食(1094-1127)
  3節 夏遼疆界
   1. 西夏与遼朝東段疆界
   2. 西夏与遼朝西段疆界
  4節 夏金疆界
   1. 西夏東北縁的夏金疆界
   2. 西夏南縁的夏金疆界
  5節 西夏的西縁疆界
   1. 沙州及沙州回鶻的問題
   2. 伊州問題

 2章 《天盛改旧新定律令・司序行文門》与西夏政区
  1節 《天盛改旧新定律令・司序行文門》中的地名翻訳及其地望考証
   1. 《天盛改旧新定律令・司序行文門》中西夏地名的翻訳
   2. 有関地望考証
  2節 《天盛改旧新定律令・司序行文門》反映的西夏政区
   1. 関于西夏政区的類型和数目
   2. 関于西夏政区的排序和層級問題
   3. 西夏政区的辺界
  3節 西夏的基層組織与社会
   1. 漢式“郷里”制度対西夏基層社会的渗透和影響
   2. 西夏基層社会中的部落制
   3. 西夏基層社会中存在“一国両制”的原因探析
  4節 西夏政区特点之帰析
  5節 《天盛改旧新定律令・司序行文門》反映的西夏地方官制
   1. 学術背景
   2. 《天盛改旧新定律令・司序行文門》中西夏地方官制的信息

 3章 自然地理(上):気候状況
  1節 相関的学術背景和漢文史料所反映的西夏気候信息
   1. 唐宋時期中国気候変遷的相関討論
   2. 漢文史料所反映的西夏気候信息
  2節 《月月楽詩》和《聖立義海・月之名義》所反映的西夏気候
   1. 関于資料反映的地理範囲和研究的可行性分析
   2. 《月月楽詩》和《聖立義海・月之名義》所反映的物候現象
   3. 従古今物候現象的対照看西夏気候的特点
  3節 水旱等気象災害与西夏気候的乾湿状況
   1. 西夏的水旱災害概況
   2. 西夏気候乾湿状況的初歩估計
  4節 相関問題的討論
   1. 気象災害与西夏社会
   2. 気候与北方民族南下---以党項為参照
  5節 簡短的結論

 4章 自然地理(下):生態与植被
  1節 関于研究資料和研究方法
  2節 西夏分区的植被状況
   1. 鄂爾多斯地区
   2. 夏宋(金)沿辺地区
   3. 河套平原
   4. 阿拉善高原
   5. 河西走廊地区
  3節 西夏境内的野生動物
  4節 西夏時期自然環境遭受破壊之表現及西夏人朴素的環保意識
   1. 西夏時期自然環境遭受破壊之表現
   2. 西夏人朴素的環保和生態意識
  5節 小結

 5章 経済区的形成及其相関問題
  1節 基本概念、研究状況和存在的問題
  2節 経済区形成的緒因素分析
   1. 自然条件
   2. 宋夏沿辺的居民結構
   3. 党項内附以及宋夏双方対沿辺人口的争奪
  3節 経済区的形成
   1. 畜牧区: 鄂爾多斯乾草原区和阿拉善高原荒漠区
   2. 半農半牧区:宋夏沿辺和河西走廊地区
   3. 農耕区:寧夏平原
  4節 相関問題的討論
   1. 内附党項従“客人”---“主人”的轉変
   2. 宋夏沿辺的生産方式与黄河氾濫

 結語
 附録1 《聖立義海》
 附録2 《月月楽詩》的俄訳文之漢訳
 附録3 西夏文資料中的西夏地名
 参考文献
 地名人名索引
 (地図7面、表33点の索引は省略)

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2008年12月 2日

1995年アジア紀行〈ゴア〉

 1996年の1月の終わりをインド最南端カニヤクマリで過ごした後、首都デリーを目指して西海岸を北上する旅となった。歴史的にアラビア海を越える貿易が華やかだった時代、貿易港として登場する街が西海岸には連なっている。それらの街を回りながら、ゴアへ到着したのが2月9日。バスでの長距離移動に少しへばっていて、12日まで滞在している。

 ポルトガルの植民地を引き継いだゴア州の州都はパナジにある。河口港沿いに街が広がり、ゴア観光の拠点となる。意外に静かな街だったような記憶もあるが、既にだいぶ薄い記憶になった。

 ポルトガル時代の建物が残る通称オールド=ゴアへは、パナジからバスで川沿いを東、上流へ10kmほど。街としての形は既になく、立派な教会がいくつか立つほか、森の中に廃墟が点在している。全体としては、遺跡、廃墟というほどでもなく、緑の中に教会がある公園という印象だった。


 オールド=ゴアを訪れた一番の理由がこのボム=ジェス教会堂。堂宇内にフランシスコ=ザビエルが葬られている。日本にまで足を伸ばした偉大なる旅人に敬意を払った。


 こちらは、ボム=ジェス教会堂の向かいにあるアッシジの聖フランシス教会。両堂の間が芝生広場になっていて、街中の教会とちがってどことなく長閑な感じが良い。


 少し周囲を歩くと、崩れたままの建物も残っている。


 オールド=ゴアの北を流れる川には渡し船が行き来して、中州にある村に通じていた。目的があったわけではないが、とりあえず渡ってみた。対岸から見ると森の向こうにオールド=ゴアの建物の屋根が見える。


 こちらは、パナジ市街の真ん中に建つパナジ教会。

<Google May Map>
 1995年アジア紀行参考地図

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