2009年5月10日

アルハンブラ その1

 アルハンブラ宮殿を3回に分けて紹介するその1回目。

 東西におよそ800mに渡って広がるアルハンブラ宮殿は、城壁に囲まれた主体部分とその東側、小さな谷を隔てた山の中腹に広がる庭園ヘネラリッフェに分けられる。

 主体部には、城塞や宮殿、教会が建ち並び、東側半分は緑色濃い庭園。アルハンブラ観光の中でも特に目玉となっているのが、主体部の中央北側に建ち並ぶナスル朝宮殿と称される宮殿群。そのナスル朝宮殿は次回として、今回は主体部のそれ以外の部分についての話。


 宮殿観光のため、8時前にチケット売り場へ出かけたところすでに長蛇の列だった。ちなみに、中央ヨーロッパ時間を採用し、さらに夏時間の最中だったスペインでは実際の太陽時間とは2時間以上の差があるので、8時はまだ陽射しも弱い早朝になる。

 1時間経ってやっと入場を果たした。ナスル朝宮殿が10時30分からの指定だったので、その前にアルカサーバを見て歩き、宮殿を出てから庭園を見て回るという順番となった。



 主体部の東にある入り口から宮殿群へむかって続くセカーノの散策道。刈り込まれた糸杉の並木が続く。


 主体部のほぼ中央に広がるパルタルの庭園。池の向こうにあるのが貴婦人の塔


 セカーノの散策道の先、カルロス5世宮殿へと続くメインストリート。右に聖マリア教会が見えている。


 カスティーリャ王国併合後に建てられたカルロス5世宮殿。イスラム建築群の中にあって、正方形の厳つい外観と円形の広い中庭の組み合わせは、アルハンブラ宮殿の中では異質さが際立っている。イスラム教徒の反乱などのために完成をみなかったといい、中は宮殿というにはガランとしたただの空間といった感じ。一部が博物館として利用されている。


 主体部の西端には、城壁に囲まれた城塞アルカサーバがある。アルハンブラ宮殿の中でも9世紀に遡るという古い歴史を持つ。

 写真は、そのアルカサーバの奥に聳えるベラの塔。アルハンブラ宮殿の中で最も西にある塔で眺めの良さは随一。


 そのベラの塔から北西方向の眺め。宮殿下の繁華街から遠くにはグラナダ駅が見えるなど現代グラナダ市街中心部の街並が続く。


<参考>
 アンダルシア散策(Edilux 2003年)

 Googleのマイマップ2008年秋 スペインの旅 グラナダへ、この他にも写真を載せています。

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2008年12月28日

グラナダ

 アンダルシア三古都巡りの二つ目は、アルハンブラ宮殿を擁する観光都市グラナダ。宮殿めぐりは、今回の旅の一番の目玉だった。

 グラナダは、スペイン南部のシエラネバダ山脈北麓に広がる盆地の街。盆地というと、北上川沿いをはじめ両の手に屏風のように山々が連なる盆の底のようなイメージを持っているが、グラナダはずっと広くて山並みも遠く見える。

 かつて、イベリア半島最後のイスラム系国家ナスル朝の都であって、アルハンブラはその中心の宮殿として築かれたということは、あまり解説のいらないことかもしれない。半島のイスラム系諸国の中で、前期にはコルドバやセビーリャが中心都市であって、グラナダは有力な地方勢力の拠点に過ぎなかった。13世紀前半に両都市がカスティーリャ王国の軍門に降ったことで、多くの避難民を受け入れたグラナダは大きく発展して15世紀末まで続くことになる。

 グラナダは、カスティーリャ併合の後もアンダルシアの有力都市の一つであり続け、宮殿も大きな破壊を逃れて往時の空気を残している。今日、アンダルシアの中心はセビーリャに移ったが、スペインでも有数の観光都市として、アルハンブラ宮殿の賑わいは他の宮殿や城、教会などを圧倒していたように思う。



 なにはともあれ、このアルハンブラの宮殿群を見て歩く為にグラナダに行ったといっていい。厳しい日程のため、中一日、二泊のみの滞在とした。

 早朝の8時にチケット売り場に行ったところ、既に長蛇の列。入城は、午前と午後の二回に別れてていて、見どころが集まるナスル朝宮殿は入場時間も指定されていた。

 さすがに見どころが多く、素人写真でもそれなりに絵になりそうなものが沢山撮れたので、アルハンブラについては、稿を改めて詳しく紹介する。まずは、グラナダの街の様子から。


 イスラム教徒の追放が行なわれてキリスト教徒の街になってから既に500年。800年のイスラム教文化の上にキリスト教文化が乗っているという魅力的な街。大きなモスクは既になく、街には重厚なものから白くてスマートなものまで教会があちこちに建つ。

 写真は、その中でも一番の規模を誇るの大聖堂。王室礼拝堂のドームが隣接している。


 市街地で観光客が集まっている場所は、アルハンブラへの登り口にあるヌエバ広場と、アルハンブラとはダーロ川が流れる谷を間に挟んだ北の丘に広がるアルバイシン地区。

 写真は、アルハンブラからのアルバイシン地区の眺め。街を囲う城壁が一部に残る市街が丘陵の斜面に広がり、白い壁とオレンジ色の屋根の建物が並ぶ。


 そのアルバイシン地区の中心にあるのが、写真の聖ニコラス教会。教会前の広場にはオープンカフェがあって賑わっていた。教会の南側の広場は眺めが良くて、アルハンブラ全体を眺められるスポット。一番上の写真もそこからのもの。


 アルバイシン地区の北側には、全体の四分の一ほどの城壁が残っていて城門も健在。写真は、そのひとつエルビラ門


 グラナダでは、とくになにか狙って食べに行くということをしていないので、食べ物の写真は撮っていない。このころからアイスクリームにハマり出した。どこの街に行ってもアイスクリーム屋があり、ストッカーに10種類以上が並んでいる。快晴の日に、散策途中に食べるアイスクリームは格別で、何を頼むかいつも迷っていた。


<参考>
 世界歴史大系 スペイン史1(山川出版社 2008年)


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2008年12月 7日

ロンダ

 ジブラルタルを観光した翌日の早朝、スペインへ来てから初めての列車に乗ってアルヘシラスを後にグラナダへ向かった。発車は8時半。のんびりした旅者だから早朝というわけではなく、中央ヨーロッパ時間を採用している上にサマータイム中。実際の太陽時間とは2時間以上差があるので、本当に早朝で薄暗く静まり返っていた。

 アルヘシラスからグラナダへ。何をつかってどの道を移動するかはかなり悩んだ。マラガを経由して、地中海沿いをバスで東へという案も魅力的だった。結局ガイドブックの案内に惹かれて、シエラネバダ山脈中を走る列車に乗って、ロンダで途中下車することになった。ロンダでの列車の乗り継ぎが4時間と小さな街を散策するには程よい。


 シエラネバダ山脈西部、標高800メートル近いなだらかな丘陵地帯の中腹といった位置にあるロンダ。新市街の南にある小さな旧市街は、四方を崖に囲まれた正に絵に描いた様な城塞都市。今も城壁が残る街は、南北に600メートル、東西が300メートルと、城塞としてかなり実用的な大きさにみえる。アンダルシアの街らしく、白い壁、重厚な造りの教会堂にイスラム文化の名残と少しの散策というには贅沢なほど。

 ジブラルタル海峡から、アンダルシアの中心だったコルドバへ抜けるルート上だったという要衝の街で、ローマ時代以前から拓けていたという。イスラム時代にも強固な城塞として鳴らし、カスティリア王国に降ったのもグラナダに先立つ僅か数年前のこと。


 街の北、新市街と旧市街を分けるグアダレヴィン川にかかるヌエボ橋は、街のシンボルでもある。100メートル下の谷底から40年かけて石を積み上げて作ったのだという。18世紀のもので、城塞に頑丈な橋という意味では、むしろ平和な時代のシンボルということだろうか。


 街を取り巻く崖は、谷に面した北から西にかけてはほぼ垂直で高さも半端ではない。写真は、橋の近くから西側を見たところ。この垂直な様はあっけにとられるほどだが、「天空の城が・・・」と形容すると少し大袈裟だろうか。


 街中にある一番大きな建物が、この聖マリア=ラ=マヨール教会。モスクの跡に建てられたものとのこと。


 イスラム時代のものもいろいろ残っている。写真は、街の北東、川沿いに下った所にあるアラブ浴場の跡。


 イスラム時代の有力者の館を改装したものというモンドラゴン邸。表は重厚な石の壁だが、反対側から見れば奇麗な白壁の建物で、小さな中庭や断崖に面した庭園がある。建物全体が、博物館として公開されている。


 展示コーナーには、手作り感のあるジオラマや人形が並べられ、ロンダの歴史を解説していた。意外に見応えが有り、楽しかった。


<参考>
 アンダルシア散策(Edilux 2003年)
 ロンダを紹介している個人サイト RONDA


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2008年11月26日

ジブラルタル

 アンダルシア三古都巡りとして、セビーリャの次にはグラナラを回る予定を立てていたのだが、地中海と国境が見たくて南へ寄り道をした。目的地は、スペイン最南端に近いジブラルタル。南北5km、東西は2kmに満たない細長くて小さな半島は、18世紀のはじめ以来300年の歴史を持つイギリス領。

 まず、セビーリャから都市間バスで3時間ほど、ジブラルタルとは湾を挟んで西側にある港町アルヘシラスへと入った。アルヘシラスからは、北アフリカにあるスペイン領セウタとメリリャへのフェリーが出ていて、多くの旅人がここから海を越えている。セビーリャからのバスは、街のバスターミナルへ入る前にフェリーターミナルに寄り、客の半分くらいが降りただろうか。

 残念ながら、今回自分がここから船には乗らなかったが、翌日の予定もあってアルへシラスのホテルに投宿した。ジブラルタルへは路線バスで30分、スペイン側のラ=リネァまで湾をぐるっと半周する。


 国境には立派なゲートがあり、真ん中が自動車専用、西側がジブラルタル入国、東側が出国用だった。ラ=リネァのバスターミナルからは歩いて5分ほど、国境を越えるバスは無いのでのんびりと歩く。

 今回の旅で陸の国境は二度越えた。ポルトガルからスペインへ入った時は、バスで国境の橋を渡ったが、道端に標識があっただけで何のチェックもなく通過した。ここのゲートでは、一応パスポートの提示を求められた。ただ、同じEU内なので、スタンプがもらえないことは変わらない。


 小さな領土ながらもジブラルタルには空港があり、本国から定期便が飛んでくる。その空港は、国境のすぐ南にあって滑走路の半分は海に突き出している。

 街はその先にあるのだが、道は迂回することなく滑走路の真ん中を突っ切っている。造る場所が無かったのか、それとも大掛かりな工事を省いたか。定期便が離発着する時には踏切が閉まるというなかなか愉快な道で、しかも待ち時間は電車の通過よりも長い。


 街のメインストリートは、観光客で溢れ返っていた。イギリス領なので通貨はポンドだが、買い物、食事からバスに乗るにもユーロが使える。


 半島のほぼ真ん中にターリクという名の岩山が聳える。標高は400mを越え、東側が白い断崖、西側は少し緩やかで木々に覆われている。歩いて登ることもできるが、ロープウエイに乗れば10分ほどで展望台。眼下にジブラルタルの街、その向こうに海に突き出た滑走路が見え、その先がスペイン領のラ=リネァの街並。


 半島の最南端には燈台があり、その向こうに地中海が広がる。大型の船の多さにここが地中海の入り口であることを実感した。

 国境からここまで路線バスが走るが、片道は結局1時間あまりをかけて歩き通した。


 岬の先、海の向こうにアフリカ大陸が霞んで見える。まだ踏み入ったことのないアフリカ。自分がそこに立つのはいつの日のことだろう。


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2008年11月12日

イタリカ

 古代ローマの都市遺跡イタリカは、セビーリャ市街中心部から北西へ8km、グアダルキビル川対岸のなだらかな丘陵に広がっている。

 街の起源は、紀元前3世紀末、カルタゴの勇将ハンニバルとローマが争った第二次ポエニ戦争の頃にまで遡るという。ローマの植民都市として発展したイタリカは、後にトラヤヌス、ハドリアヌスといった名の知られたローマ皇帝を生んでいる。


 自分にとっては、初めて訪れる本格的な古代ローマ都市遺跡。石を組み上げた巨大な円形競技場を直に見られるとあって興味津々、勇んででかけた。セビーリャからイタリカへは、市街北西のバスターミナルから30分に1本の路線バスで25分。


 1.5ユーロを払ってゲートを潜ると、木々の向こうに競技場が見える。資料には、長径160m、短径137mの楕円形とあるが、これは客席を含む全体の大きさ。真ん中の競技場自体は、長径70m、短径45mほど。中央には奈落もちゃんとあるが、使える階段や梯子がなく降りていない。


 競技場の南には、奇麗に石畳の道が続く街の遺跡が広がっている。


 遺跡全体にどれくらいの広がりがあるのか良く分からない。何か所か発掘が終わっている所があり、復元、保存がなされ案内板も各所に設けられていた。


 この遺跡の見どころのひとつは、モザイク画だろうか。家々の床を飾っていたと思しきものが、いくつも残されている。写真は、海の神ネプチューンを描いたと言われるもの。


 遺跡として公開されているところは500m四方ほどの広がりがあるが、遺跡らしい遺物が見られるのはまだその一部。今も発掘が続けられている。



大きな地図で見る
 こちらの航空写真は、遺跡の東南にある直径70mほどの半円形の劇場跡。この写真を見る限り客席などハッキリと残っているようだが、所在に気づかず残念ながら訪ねていない。


<参考>
 Archaeological Complex Itálica
 アンダルシア散策(Edilux 2003年)
 世界歴史大系 スペイン史1(山川出版社 2008年)


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2008年10月29日

カルモナ

 カルモナは、セビーリャから路線バスで東へ50分、アンダルシアの大地がなだらかに波打つ平原のただ中に築かれた城塞都市。一部に城壁を残す旧市街は、迷路のような路地が続き、白漆喰で塗られた家々が作る風景でも知られた観光地。


 新市街の広場にあるバス停から東へ少し歩くと、教会の向こうに塔が見下ろす門が聳えている。そこから、旧市街の中心にあるサン=フェルナンド広場まで続くのがプリム通り。両側の白い壁と空を隠す日除の下を人々が行き交っていた。


 カルモナは、平原の中で少し高くなった丘の上に築かれている。街の外周を歩くと新市街が広がる西側以外は、なだらかな平原がどこまでも続く風景が広がる。


 街中は、まったく迷路のように細い道が続き、方向感覚を狂わせてくれる。自動車が通れるところもあるが、狭い道が多い。奇麗に塗られた白漆喰の壁と蒼い空の組み合わせが、いかにもという絵になる。


 街の東、丘が崖へと変わるところに塞が残っている。その一部は、国営の観光ホテル、パラドールとして整備され、中庭を囲むカフェで一息つける。


 街の北東、少し赤みを帯びた石が積み上げられた城門、コルドバ門。小振りながらも迫力のある姿を留める。


 カルモナの歴史は、ローマ時代の砦にまで遡るという。街中に立派な門構えを見せる市博物館があり、街の変遷を再現したジオラマが展示されている。

 この他にいくつかの立派な教会や市場があるという街。ゆっくり歩いて1時間ほどで一回りできる。歩き疲れたらパラドールや広場にあるカフェで一休み。白い壁は、今も新しく塗り替えられていて、地元の人々が普通に暮らしている。

 観光客で賑わっていても、溢れ変えるほどではなく、中世のまま時間が止まった街というのでもない。丘から見晴るかす風景、迷路の小道と白壁が印象的な、歴史の古い今も生きる街。セビーリャから気軽に日帰りのできる、のんびりと気持ちのよい街。自分は、適度なアップダウンを気持ちよく散歩して過ごした。


<参考>
 カルモナ市公式サイト
 アンダルシア散策(Edilux 2003年)

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2008年10月17日

セビーリャのアルカサル

 セビーリャのアルカサルは、旧市街の南寄りに大聖堂と勝利の広場を挟んで立っている。アルカサルとは、城あるいは宮殿の意味とのことだが、ここのアルカサルは城壁に囲まれているもののどちらかといえば宮殿である。

 セビーリャのアルカサルの歴史は、10世紀のアンダルス=ウマイヤ朝時代にゴート時代の教会の跡地に総督府を築いた時に遡るという。アッバード朝、ムワッヒド朝の時代に拡張がなされ、13世紀カスティーリャによる征服の後も14世紀のペドロ1世を初めとする歴代の国王の手によって増改築が繰り返されたという。

 とはいえ、セビーリャが政治的にアンダルシアの中心だったのは、11世紀から12世紀にかけてのことで、スペイン王国時代には国内に何か所かあった宮殿のひとつに過ぎなかった。いわば離宮である。ヨーロッパで王宮というと、パリのベルサイユのような建物を思い浮かべるだろうか。首都マドリッドにある現王宮は、威容という点ではそういう雰囲気の建物だった。セビーリャのアルカサルは、100m四方に満たない敷地に様々な建物が建ち並んでいて、しかもほとんどの建物が二階建て一部に屋根裏的な三階が見られるという規模で、威容という点ではかなり見劣りがする。

 この宮殿の特徴のひとつは、ムデハルと言われるイスラム教とキリスト教折衷の様式にある。自分が建築様式を見分けて理解しているわけではないが、漆喰で立体的に飾られた柱や天井、モザイクタイルなどは確かにイランなどのモスクで見たものを思い出させる。加えて、宮殿の南に広がる庭園は、東西400m、南北300mあまりと建物部分の数倍の広さで、様々な形に植えられた木々を見て歩くだけでも楽しかった。



 建物としては、ペドロ1世の時代に起源を持つというペドロ王の宮殿あるいは、ムデハル様式の宮殿と呼ばれる建物が見どころの中心。写真は、孔雀のアーチに飾られた出入り口が三方にある大使の間

 ムデハル様式の宮殿は、一階はがらんどう、いわば建物だけで宮殿らしい調度の類は二階に展示されているようだ。ただ二階には入場制限があり、時間待ちが煩わしくて自分は結局見ていない。


 宮殿内には大小様々にパティオと呼ばれる中庭がある。写真はムデハル様式の宮殿の真ん中にある乙女のパティオ。パンフレットには、石畳の真ん中に丸い小さな噴水という写真が載っているので、この細長い池は最近造られたものということになる。


 乙女のパティオを囲む回廊の天井を見上げた写真。色とりどりに塗られた立体的な漆喰飾りは、特に気に入っている。


 ムデハル様式の宮殿の東隣には、18世紀に建てられたというゴシック様式の宮殿がある。写真は、その中の一室で白漆喰と黄色に塗られたアーチが印象に残った庭園の広間


 庭園の広間に隣接した庭園のひとつ、一段高所に造られた池の庭園


 こちらは、さらに南側に広がる庭園の一角。細長く延びる糸杉や刈り込まれた生け垣で造られた迷路など楽しく見て回った。


<参考>
 セビーリャのアルカサル(セビーリャ市)
 世界歴史大系 スペイン史1(山川出版社 2008年)


 Googleのマイマップ2008年秋 スペインの旅 セビーリャへ、この他にもアルカサルの写真を載せています。

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2008年10月11日

セビーリャ

 グラナダ、コルドバと並んでアンダルシア三都のひとつと言われるセビーリャ。歴史はローマ時代に遡るといい、現在ではアンダルシアの州都としてスペイン第四の大都市だ。8世紀に始まるイスラム諸王朝の時代、アンダルシアの政治的中心はコルドバとグラナダだったが、11世紀にはアンダルス=ウマイヤ朝滅亡後の有力な地方勢力アッバード朝の首都となり、12世紀後半にはムワッヒド朝治下の中心都市となった。カスティーリャによって征服されたのは1248年のこと。

 セビーリャは、アンダルシアを貫いて流れるグアダルキビル川河口に近い川港として、古代から重要な交易都市であったという。カスティーリャ時代以後は、大西洋交易の拠点となるスペイン最大の都市として栄えたとのこと。


 セビーリャはスペイン最初の目的地だったが、意外な結果としてポルトガルの首都リスボンから陸路で入ることになった。9月8日、朝9時にリスボンを出たバスは、500kmほどの道程、1時間の時差と国境を越えて8時間でセビーリャへ到着した。


 ポルトガルとスペインの国境グアディアナ川、河口近くに架かる高速道路の橋の上を走り過ぎた。同じEU内なので手続きは無く、看板と地図を気にしなければただ川を渡ったというだけのこと。


 アンダルシアの母なるグアダルキビル川。街の西を北から南へ流れて今でも船が行き交う。地図を見ると、川の本流はより西側に作られたと思しき放水路にあるようだ。川沿いには、800年前に遡るという黄金の塔という名の塔が立っている。


 街の北から東にかけて、一部分だけだが城壁が保存されていた。その外側を広い道路が走っていて、城壁が残っていないところでもその外側と内側では脇道の走り方や建物の大きさに違いがある。おまかには、この道路が旧市街の外周を走っているものと想像できる。


 かつてイスラムが栄えたアンダルシアとはいえ、今はカトリックの世界。教会の建物は、特に見慣れない旅の始まりの頃どれもが文化遺産のようにも見えた。教会といば石造りで高い塔のある巨大なものというのは偏見のようで、よく見て歩けば大小様々で造りもかなり個性的。写真は、聖母信仰で知られているというマカレナ教会。


 そうはいってもセビーリャで一番に案内されるのは、巨大なセビーリャ大聖堂 。写真の右側に建つ塔はヒラルダの塔と呼ばれていて、その起源はイスラムの時代まで遡るという。また、聖堂内にはコロンブスが葬られている。


 大聖堂の南側には、もうひとつの見どころセビーリャのアルカサル(城あるいは宮殿の意味)がある。聖堂と比べると大きな建物が無いので、写真でみるとあまりぱっとしないが、城内は南側の庭園を取り込んだ広大な敷地があり、個性豊かな建物群は見て歩いて楽しいものだった。写真を沢山撮ってきたので、次回に少し詳しく紹介する予定でいる。


<参考>
 世界歴史大系 スペイン史1(山川出版社 2008年)
 世界歴史の旅 スペイン(山川出版社 2002年)
 アンダルシア散策(Edilux 2003年)


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2008年10月 4日

リスボン

 9月6日、ヘルシンキからの飛行機でポルトガルの首都リスボンへ入った。初秋の様相が濃かった北欧から降り立つと、陽射しが強烈で最初は真夏のように思えた。

 リスボンは、最初の予定には入っていなかった。スペインのマドリッドへ飛ぶチケットが目論みどおりに取れなかったからで、翌日のマドリッド行きと6日のリスボン行きと言われてリスボンを選んだ。最初の目的地セビーリャへは高速バスで丸一日の移動となるが、偶然のこととはいえ一国の都へ立ち寄るのだからと2泊して丸一日歩き回ることにした。

 リスボンでも、地下鉄、トラム、バス共通券がとても重宝した。一枚4.20ユーロの一日券は、ヘルシンキと同じで買ってから24時間利用でき、しかもぺらぺらの紙チケットながら非接触型の磁気カード。ポケットへ入れっぱなしで曲がってふやけても、地下鉄の自動改札やトラムの改札機でちゃんと反応した。



 一日で回れる範囲は限られるので、市街南部を中心に歩くことにした。写真は、その中でも観光スポットが集まるアルファマ地区。強い陽射しに空とテージョ川の青、屋根のオレンジ、漆喰壁の白のコントラストが写真をそれなりの絵にする。


 海外に出ても山城歩きが続く。サン=ジョルジェ城は、ローマ時代に遡ると言われる城塞で、小高い丘の上に今も石積みの城壁が残されている。城は、東側の街を囲い込む外郭、公園と王宮跡が広がる内郭と要塞からなる。写真は、塔、城壁と堀に護られた要塞の入り口。城壁の上からの市街の眺めがなかなか良い。


 こちらは、リスボンに数ある教会の中では大人しい外観ながら、天正遣欧少年使節が滞在したという縁を持つサン=ロケ教会。


 テージョ川の港前に建つ軍事博物館。もともと兵器庫だったというが、今もそのままの様に鉄砲、刀剣、大砲、甲冑が広い館内にこれでもかというほどに並べられている。一番奥の部屋には、螺鈿で装飾された日本製らしき火縄銃が2挺。


 一面市街地が広がっていて、地図や航空写真ではあまりイメージが湧かなかったが、歩いてみるとリスボンが坂の街であることが良く解った。その中途半端でない坂道に路面電車が走っているのには驚いた。今はほとんど観光用という感じのアルファマ地区を走る28系統は、10%を越すという箱根登山鉄道よりも急な坂や車一台がやっと通るような狭い道を物ともせずに走って行く。


 丘や谷は場所によって複雑に入り込み、それを無視したように市街地が広がり、急な坂道なんのそので縦列駐車が続いていた。


 Googleのマイマップ2008年秋 スペインの旅へ、この他にもリスボンの写真を追加しています。

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2008年9月28日

ヘルシンキ

 前に書いたように、ヘルシンキトランジットは降って湧いた話だった。その上搭乗便の都合で、到着した日の夜から翌日の昼過ぎまでと、帰り際の数時間をヘルシンキの街中で過ごすことが出来た。その結果、行ったことのある最北の地点は、北緯49度から一気に60度まで上がった。北極圏まであと少し、日本の近くならカムチャツカ半島の北の付け根にあたる高緯度なのだから驚く。シベリアほど極寒ではないのだろうが、9月の初めというのに七竃の実が赤く色付き、もう秋の装ういだった。


 バックパッカーとして旅をする時は、基本的には歩く、時間と体力が許す限り気の向くままにとにかく歩く。理由の一つには、知らない街でバスや電車に乗るのが少し億劫ということがある。


 ヘルシンキでもかなり歩いたが、郊外電車にバス、地下鉄、トラムまで乗れるという便利な一日切符があったので、それらも有効に使った。ヘルシンキ市内で6ユーロ、郊外まで乗って12ユーロ。日本の一日券のような始発から最終までではなく、買った時点から24時間有効。夕方の飛行機で降り立ち、翌日の夕方に飛び立つ自分は一枚で済む。写真は、ヘルシンキ中央駅前を走るトラム。市内には路線が縦横に走っていて、一番多く乗った。


 北欧の歴史にはあまり縁がない。ヘルシンキにどんな見どころが有るのか、行くまで全く知らなかった。今でも自分の部屋にはたいした情報がない。ガイドブックを引き写してもしょうがないので、目についたものを少し紹介して、ヘルシンキの話は簡単に終わる。


 この旅の中で、沢山カメラに収まることになった教会の最初の一枚。宵闇にライトアップされて白い外壁が奇麗に浮かび上がったヘルシンキ大聖堂。建物の右側が改修中で、足場が組まれて幕がかかっている。


 ロシア時代のものという、街の東に建つウスペンスキー寺院。街を歩けば何度か日本人ともすれ違った程度に日本からの観光客も多いようだが、この教会の中に日本語を見つけた時は少し驚いた。


 地図を開けば分かるように、ヘルシンキはバルト海の東奥、フィンランド湾に臨む街。バルト海を目に残そうと海辺をだいぶ歩いた。港には、湾を回遊する遊覧船が何艘も停まっていて、パンフレットを配る客引きもいた。魅力的だったが、迷った末に乗らず、その分せっせと海岸を歩いた。


 港には、テントを並べたマーケットが立ち、近くには建物に入ったマーケットもあった。食品は、建物に入ったマーケットの方が豊富で、肉、ハム、チーズからケーキまで並んでいたが、生魚はどちらでも売っていた。写真は、テントの下の大きな鉄板で焼かれた鮭の切り身とジャガイモ。鮭もバルト海産なのだろうか。


 GoogleのMy Map2008年秋 スペインの旅 ヘルシンキへ、この他にもヘルシンキの写真を追加しました。

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