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2009年2月22日

西夏陵6号陵で重要な発見

 西夏陵六号陵地面遗迹有重要发现
(光明日报 2月18日)

 このニュースについて、ニュースタイトル及び第一段落のみの抄訳を以下に書き出す。

 西夏6号陵地上遺跡で重要な発見
 陵台の基本は、八角、七層の塔型の建築で陵の主は西夏の(第4代皇帝)崇宗乾順と考えられる

 西夏陵6号陵の陵台は、どのような建築物だったのか? 6号陵には西夏のどの皇帝が眠っているのか? 2007年から2008年、寧夏考古研究所は、地上遺跡の全面的な発掘と整理によって(これらの疑問に対して)新しい証拠を探し当てた。陵台の八角形、七層の土台と、明確な平瓦、丸瓦、瓦当の分布は、現在ただの饅頭状の黄土の土台が残っているだけのものが、もともとは八角形、七層の煉瓦を積上げた塔だったことを十分に説明している。そして、「在位三十年」の漢文の碑刻残片が、この陵と西夏の(第4代皇帝)崇宗乾順との間に密接な関係があることを説明しており、6号陵はおそらく乾順の顕陵であろう。

 寧夏自治区の区都、銀川の西郊には西夏歴代の皇帝のうち9人の陵墓がある。これらには南から順に番号が振られていて、一番南にあるものを1号陵と呼んでいる。その9つの陵墓のうち、西夏歴代皇帝の誰の墓であるかがほぼ確定していたのは、7号陵のみだった。

 このニュースによれば、6号陵の再調査によって確認された「在位三十年」と書かれた漢文の碑刻残片によって、6号陵は第4代皇帝崇宗、李乾順のものである可能性が高くなったという。西夏歴代の皇帝の中で、在位期間が30年を越えたのは、第5代仁宗、李仁孝と第4代崇宗、李乾順の2人だけ。仁宗の陵墓は7号陵とすることが定説となっており、残るのは崇宗というわけである。

 これだけで確定とするには、まだ弱いようには思うものの、従来からいくつかの状況証拠と推定によって6号陵は崇宗の陵墓と考えられて来たので、それが些かながら裏付けられたとみることができるだろう。


 6号陵の陵台


 6号陵の遠景


<参考>
 西夏陵の解説6号陵(西夏史への招待)

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