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2009年3月19日

1995年アジア紀行〈マラバル海岸〉

 年が改まった96年の初めは、インド大陸南部の周回を目指して東海岸を南へと向かった。以前の話と少し重なるが、インド大陸最南端のカニヤクマリを1月31日に立ち、西海岸を北上してゴアを経由してボンベイ(今のムンバイ)へ入ったのが2月13日。インド東部のプリからほぼひと月の行程だった。

 地図を開くと、カニヤクマリからゴアにかけての海岸には、マラバル海岸と書かれている。大きな入り江を持つ天然の良好が点在する地方で、太古よりアフリア、西アジアとの貿易で栄えて来た。歴史の教科書的には、ポルトガルが乗り出して来た頃の港街、カリカットコーチンが知られているかと思う。

 マラバル海岸一帯は、ケーララ州の区域とほぼ重なる。日本から遠く、あまり馴染みの無い地名かもしれない。風光明媚なリゾート地帯でもあり、のんびりとしていてそれでいて1月でも強い陽光と南国らしい木々が印象的だった。

 ただ、自分にはここでのんびりする時間が無く、カニヤクマリの後、ケーララ州の州都トリヴァンドラム、水郷観光で知られるアレッピー、港町コーチンの隣街エルナクラム、カリカット、マンガロールと泊まり歩いて、ゴア州の州都パナジへ入ったのが9日の夕方のこと。このころの行程としてはわりと強行軍だったが、移動手段がバスと列車に加えて、運河を行く船も利用できるのがこのインドの中ではケーララらしい所と思う。



 フォート=コーチンを写した一枚。小型の渡し船だけでなく他の方向には大型の貨物船も見えていた。エルナクラムからは、渡し船で渡った。


 トリヴァンドラムでは、一日移動の無い日があって博物館をいくつか見て歩いた。写真は、南国風な建物のネイピア博物館。何が展示されていたかは既に忘却の彼方。


 水郷観光で知られるアレッピーで、街の西側の海岸で撮った一枚。左手にアラビア海が広がる。


 アレッピーからの船は、観光専用の船の他、地元利用の船もあった。自分が乗ったのは地元民御用達の一般船で、外国人は自分とドイツ人が一人だけだった。早朝の水辺がとても気持ち良かったのは記憶に残っている。


 運河は、集落の中を抜けるルートもあり、低い目線から家々を眺められる。住人と目線があうのも度々のことだった。


<Google May Map>
 1995年アジア紀行参考地図

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