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2009年3月 1日

1995年アジア紀行〈ウランホト〉

 中国でチンギス=ハンの廟所というと、その存在を知る日本人は自分を含めて全員が内モンゴル自治区オルドス市にある丸い屋根が印象的な建物を思い浮かべることと思う。チンギス=ハンを祀った施設がもう一つ、同じ内モンゴル東部にあることをご存知な方はかなり少ないのではないだろうか。

 今となってはどこでそのことを知ったのか記憶は定かではないのだが、95年の旅に出る前から知っていた。内モンゴルに入る前に短期間ながら旧満州地方を縦断することに決めた後、内モンゴルへ向かう途路ということでその廟があるウランホトへと寄ってみた。この街に滞在したのは、6月の22日から24日にかけてのこと。


 ウランホトへは、黒竜江省西部の大都市チチハル発の急行列車を白城で降り、白城の駅前にたむろしていたマイクロバスへと乗り継いだ。記録的に雨が多かった95年の初夏、ウランホトへの移動も雨まじりの天気の中でのこと。白城から100kmに満たない道程ながら、工事や災害のために塞がれた車道を迂回するために、泥の海を渡るような難路が続いた。

 ウランホトの街が近づくと、周囲は平原から大興安嶺へと続く丘陵地帯へと変わっていく。ウランホトは、内モンゴルに属しているものの大興安嶺の東麓に位置し、街に入るまでの沿道には水田が多くて平原の続きという風景だった。



 チンギス=ハン廟は、ウランホトの街の北に続く丘の上にある。写真のように、青い丸屋根を載せた左右対称な白い建物だ。

 なぜここにあるのかという疑問は、着工1940年、竣工1944年というその創建時期にあるらしい。ボルジギン=ブレンサイン氏によれば「モンゴル人の歓心を買うため」に、日本が関わって建てられたものという。当時ウランホトは、満洲国にとって興安地方を治めるための拠点だった。


 廟が建つ丘の上からは、ウランホトの街を一望できるものの、小雨の混じる天気の中で白く霞んでいた。


 こちらは、同じ丘の上から西側を眺めたところ。写真ではあまり良く分からないが、街へ入るまでの水田が広がる風景に比べて、草原が広がっているのが見えていて、ここがモンゴル草原の東端と少し実感した記憶がある。


<参考>
 内蒙古・烏蘭浩特公式サイト、同サイト内の成吉思汗廟
 エジェンホロ旗公式サイト、同サイト内の成吉思汗陵園
 チンギス・ハンは誰の英雄(朝日新聞社、ボルジギン・ブレンサイン)

<Google May Map>
 1995年アジア紀行参考地図

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コメント

包慕ヘイ著『モンゴルにおける都市建築史研究』にも出てました。日本人が設計したっていうのですね。
内部は日本様式って事ですが、どんな感じでしたか?

投稿: 雪豹 | 2009年3月 6日 00時44分

雪豹さんこんにちは

残念ながら最小限しか写真撮ってないので記憶を辿るしかないんですが。

どこらへんをもって日本式といっているのはははっきりわからないです。
像がいくつか置かれていた以外、中はあまり大したこと無かったなという程度しか覚えてないです^^

ネットを叩いてみたら、金色のチンギス像と朱色の柱が出てきたけど、そうだったかなあ・・・という感じです。
すいません^^

投稿: 武藤 臼 | 2009年3月 6日 06時56分

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