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2009年4月 5日

1995年アジア紀行〈ビシュバリク〉

 ビシュバリクの名前は、高校の歴史地図帳の上で良く目に止ったのをなぜか今でも覚えている。どの様な歴史があったのかも良く解らない、中央アジアのどこかにあった街。

 その後に読んだ本に載っていて、この街が遺跡として僅かながらも形を残していることを知った。唐の時代に北庭都護府が置かれ、チベットやウイグルなどの勢力が興亡し、天山ウイグル王国の夏の都となり、またモンゴル帝国の時代にはモンゴル高原と中央アジアを結ぶ要衝ともなった街。ジュンガル盆地を回ることを決めた時に、最初に訪れようと思ったのが、このビシュバリクの古城遺跡だった。


 ウルムチを7月25日の早朝のバスで立って3時間ほど、天山北麓を東へ向かうバスをジムサルの街外れで降りた。大陸の移動時間としては楽な部類に入る。ビシュバリク古城はそこから北へ10kmほどの場所にあるので、通りでのんびりしていた三輪タクシーの運転手を捕まえての交渉となった。

 地図の上から簡単にはたどり着けないような秘地をイメージしていたのだが、思いのほか簡単にたどり着くことができた。天山南麓が乾燥した沙漠のイメージが強いのに対して、北麓は裾野部分には緑が多く、地理の教科書的には新疆の穀倉地帯と表現されている。今ひとつぱっとしない天気で写真もいまひとつだが、古城は刈り取りを終えた麦畑と菜の花が広がる穏やかな田園風景の中に崩れた土の塊としての城壁跡を残していた。


 二重に残る城壁跡の内、内側の城壁の西側の中程に残る門の跡。右側に写っている馬が、なにをしていたのかは不明。


 城壁の上から見た周辺の様子。菜の花がちょうど盛りを迎えていた。


 一日おいた27日、時間ができたので天山北麓で一番有名な景勝地天池へ行ってみた。風光明媚ではあるものの当時すでに俗化を言われていたが、趣きの無さは聞いた通りだった。今はどうなっているだろう。


<参考>
 世界の歴史7 宋と中央ユーラシア(伊原弘・梅村坦著/中央公論社 1997年)

<Google May Map>
 1995年アジア紀行参考地図

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コメント

> 高校の歴史地図帳の上で良く目に止った
見たことも無いし今の今まで聞いたこともありません。高校の時には世界史も地理も大嫌いだったしなぁ。 今は歴史も地理も大好きなので、きっと教育方針や教員が悪かったんです;;
土塁しか残っていない遺跡みたいですけど、ガイドブックじゃなく自分の思い入れで尋ねた場所って、写真じゃ写らないものが見えるんですよね。
ところで、僕が割れた氷から天池に落ちたのは1990年でした^^

投稿: 没関系 | 2009年4月 5日 23時58分

没関係さん
こんばんわ

地理や歴史は覚えることが多くてやになりますよねえ^^
自分はどちらかというと古い時代の方が好きなので、世界史でも近代は苦手でした。
大学受験は地理で受けました^^

歴史が好きで旅をすると現地になにも無くても楽しめてしまうところが特殊です(笑

90年の中国シリーズ読んでますよ。
同じ年に中国にいたので懐かしくてリアルで面白いですね。
そのうちにコメントにお邪魔させて頂きます^^

投稿: 武藤 臼 | 2009年4月 6日 00時26分

いいなぁ、いいなぁ。
行きたいなぁ。
土塁しかない方が、ヘンな建物が建ってるより何百万倍もステキですよ。

投稿: 雪豹 | 2009年4月 6日 22時11分

雪豹さんこんばんわ
ビシュバリクはウルムチから日帰りできるから
日本からなら2泊3日でも行こうと思えば^^;

たしかによけいなもの無い方がいいですねえ
今も無ければいいけど(笑

投稿: 武藤 臼 | 2009年4月 7日 00時42分

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