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2009年4月12日

鹿背山城

 昨日のことになるが、もう初夏を思わせる陽気の中、京都府南部、木津川市にある鹿背山城へと出かけた。

 この城については、実は全くノーマークだった。先月発売の月刊「歴史読本5月号 特集 日本の名城」を読むまで知らなかった。この中で鹿背山城は、都道府県毎の評価の中で、京都府の4番目にランクされている。1番二条城、2番山科本願寺、3番目周山城に次ぐもので、戦国時代の山城としては京都府内で2番目という評価になる。それほど評価が高いのなら早速ということでの遠征となった。


 鹿背山城は、JR関西本線の木津駅から東へ2kmあまり。木津川の南岸、一番高い所でも標高200mほどのなだらかな丘陵地帯にある。木津駅から歩いて30分ほどで登り口となる西念寺にたどり着いた。寺の門前には、案内板と大量にコピーされた配置図、ノートが置かれていた。

 寺の脇から始まる登城道を辿ると、中心となる1の主郭までは標高差70mほど、わずか10分で到着した。さほど厳しい坂というわけでもなく、また道も最低限整備され、看板も立てられていてほとんど苦労はない。拍子抜けというほどだった。

 歴史読本によれば、城は松永久秀との関係が想定されているという。300m四方ほどの広がりを持ち、石垣こそ無いものの多くの縦堀を含む沢山の空堀、土塁、虎口があり、比高こそ低いもののかなり複雑な構成を見せる。山頂周辺には、そこそこの広さを持つ櫓台と想定できる土塁を擁する1の主郭のほか、ほぼ同じ高さに2つの主郭がならぶ。

 ほぼ全体をくまなく見て歩いて1時間。空堀と土塁で構成された戦国後期の実戦的な山城として、見て歩くに手頃で楽しい山城だった。


 西念寺の門前。鐘楼の脇に立派な案内板がある。右正面が登城道。


 西念寺から少し登った所。竹薮の中に奇麗に縦堀が残る。見易いように竹が刈り払われている。


 1の主郭西側にある巨大な空堀。右手、下側に土塁があり大きな虎口状になっている。

 山城の保存管理を行なっているという守る会の方々が、竹の刈り払いを行なっていた。城の特徴である空堀を見通せるように、かなり広い面積の竹が刈り払われていた。数年後の史跡登録を目指しているという。


 1の主郭。手作りながら各所に看板が立てられている。主郭までの道は、そこそこ整備されていて歩くのに困難はない。竹の他、開き始めた櫟の若葉が奇麗だが、去年の落葉が大量に積もっていて歩き難い所も多い。


 1の主郭の東側、櫓台が想定されるところ。先日ニュースにもなった。


 1の主郭からほぼ西側の眺め。中央に木津川が流れ、遠く京阪奈丘陵が見通せる。


鹿背山城周辺地図(電子国土)

 赤が3つの主郭。西念寺から右へ延びる青線が登城道。


<参考>
 多聞櫓 最初期遺構か 木津川・鹿背山城跡、近世城郭の先駆け?
 (京都新聞 2009年3月25日)
 歴史読本 2009年5月号(新人物往来社)
 歴史読本 2007年5月号(新人物往来社)

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コメント

こんばんは。
登城、おめでとうございます。
鹿背山は以前から注目していました。
まさかそんな立派な城跡があるとは想像を越えてましたけれど。

さいしょに鹿背山に興味をもったのは、旧加茂町に恭仁京の大極殿跡がありますが、ある説では聖武天皇の恭仁京プランは遠大だとし、恭仁京の推定条里を旧木津町の木津川湾曲部まで広げていたことなんです。(拡大恭仁京が計画されていたとする説)

それから木津川流域の市町村の都市地図をブックオフで買い漁ったりして、そしたら鹿背山という地名が木津・加茂地域を両方見降ろすような位置にある。
たぶん聖武天皇の側近配下の大工あたりは鹿背山に登って新京のプランを練っていたんじゃないかと思うんですよね。

よく分からないんですけど、加茂氏というのは葛城から移ってきた名族とされ、「山背」国と言うように、もともと山背国造という一族が平城山丘陵の向こうの木津川流域にいたとか。(『国造本紀』が出典?)

ところで旧加茂町の東南の「塔尾」には岩船寺がありますが、境内から山道が伸びていて、本陣山の山頂まで登れたと思います。
2年くらい前に登ったんですけど、本陣があったということを示す看板とかがあって、そこから鹿背山の山系を見下ろすことができるんですよね。
乱文すいません。

投稿: 巫俊(ふしゅん) | 2009年4月18日 23時16分

巫俊さん こんばんわ
恭仁京は全然考えてなかったですが
賀茂の盆地も近いし
木津川の湾曲部は特によく見通せました
古来からあの辺りは要衝だったんですねえ

なだらかな丘陵が続くここら辺は面白い土地柄なのかもしれません
満開の桜の散り際たとても奇麗で長閑でした
奈良に住んでいる内にもうすこし
ここら辺は歩いておくべきでしたでしょうか^^

投稿: 武藤 臼 | 2009年4月20日 21時25分

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