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2009年5月 1日

1995年アジア紀行〈バラナシ〉

 インド最大のヒンドゥー教の聖地として知られるバラナシ。ガンジス川に臨む街は、度々ドキュメンタリー番組に取り上げられたので、「聖地」として覚えておられる方は多いだろうか。聖地としてばかりでなく、北インドのほぼ中央にあってネパールへ向かうバスの出発点でもあることから、巡礼者ばかりでなく多くの旅人が立ち寄る街でもある。

 10月の初めにインドへ入った後、寒さが厳しくなる前にネパールへ向かうことを予定していたので、首都デリーでネパールのビザを取得してから早々にバラナシへ入った。夜行列車で一晩、早朝のバラナシへ着いたのは10月8日のこと。一週間ほどでネパールのカトマンズへ向かう予定でいたものの、体調を少し崩したこともあって20日までの長逗留となった。

 長く滞在したわりには、この街ではほとんど何もしなかった。中国やパキスタンで出会った友だちと再会して一緒に食事に出たり、思いついたようにガンジス川沿いを散歩した程度で、手紙を書いたり本を読んだりとのんびりと過ごした。著名なガート周辺にはカメラを向けることもなく、おかげでバラナシで撮った写真はビックリするくらい少ない。



 バラナシで撮った数少ない一枚。巡礼者が集まるガートから川沿い小一時間上流へ歩いた辺り。下流を振り返ると街が霞んで見えた。


 その周りにも水浴場や火葬場があり煙りが上がっていたが、この日一番の沐浴者は水牛の群だった。


 その水牛の群の番をしていた少年。帰国した96年の翌年が丑年だったことから、この写真を年賀状に使ったみた。


<Google May Map>
 1995年アジア紀行参考地図

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コメント

一番上のガンガー、海みたいですね。12日間もバラナシにいたんですか。僕は6泊だったのだけど、カトマンドゥから国境での乗り換え2時間半を含めて28時間半掛けて着いた翌朝に赤痢が発症して、5泊目の夕方までベッドで唸ってました。どうもそれ以来、チベット文化圏以外の、いわゆるインドに苦手意識が^^A;
それにしても、丑年だからってその写真は・・・どうなんでしょうw あ、写真は水牛だけど、バラナシの町牛って他の町に比べてやたらと大きくありませんでしたか?

投稿: 没関系 | 2009年5月 4日 00時51分

没関系さん
こんにちわ

私とは逆回りだったのですねえ
赤痢とはごくろうさまでした^^;

イメージとしては確かに何となく大きなイメージがありますねえ
狭い通りにでん!と塞ぐように寝てたからかな?

上の写真って去年の年末に今年が丑年だからと載せてますね
すっかり忘れてました^^;
もう一回りしだんだなぁ・・・

投稿: 武藤 臼 | 2009年5月 7日 08時10分

>水牛の群の番をしていた少年。
________貴重なソース拝読し拝見
________いたしました。有難う存じました。


「アジアの水牛と少年」でネット検索エンジンをかけると
幼児さえ水牛へ信頼を寄せている写真へ複数出会います。

一方水牛の強さはライオンの比較ではない…しかしライオ
ンの群れに襲われてしまい水牛は倒れ、もはやーと。

この時、仲間の水牛数頭が救助にやってきて追い払い
庇いながら連れ帰り、沼へ入れてやり、傷口を舐めてやっ
ている動画を、当方視聴しました。

アジアでは水牛を牛車に使い【神の使い】として崇め
日本では【牛車に貴人】を乗せました。

すると
【ラスコーやアルタミラの洞窟壁画】に描かれた
【多数のバッファローの群れ】とは、
【先史_人類世界初の牧畜】ではないか?と考えます。

▼【描く視点が、怯えていない、しっかり観察している】
等から、
牧畜として飼い慣らし出産させ、人類とともに暮らした最初の
大型動物。
水牛は【水陸の交通の便】に利用し時には食することもあった
…のでは?と考察します。

なぜ斯く見方が生まれるか?と申しますと、
わたくしは美術家の端くれでございます。

吾が記憶では、かなり幼児期から描く作業をしておりまし
たが、国内では
・【発達障害者を絵描きとして持ち上げ、賛美する傾向】が
あります。また、思考についても理解できなくなると
・【君は芸術家だから】と、芸術家の前提も知らぬのに疎外
した言い方をします。

しかし、ものことの誕生は【審美が先立つものではない】と。

▼【音声・音楽:サイレンも、描画・造形:標識記号】も
▼【人類の“種の保存の必然性”の一環から誕生】したと思い
当たる当方】は、
▼【先史に残された先人が残した「今・所謂美術品と区別」
されるもの】について、
もっと重要な、あるいは自然科学的見識なもっと別の異なる
説明がつくであろぅはず_と、この晩年を願っています。

さすれば【水牛の存在史】も、単に百獣の王より強いだけの
表層的単純見解とは異なります。

単に面白ぃから、好きだから、飾りたいから、あるいは儲
かるから、等で、先史、道具も少ない時代に、
▼【洞窟の暗闇で水牛を描き続けたでしょぅか?】

やはり
【人と人の情報交換】=【見た!知ってる!から次へ知らせる】
そのコミュニケーション・コミュニティ形成行動ではないかしら
ん_と。

他にも多々、その例はございますので…。

投稿: 紫音 | 2019年9月 9日 21時01分

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