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2009年6月 6日

1995年アジア紀行〈ラーメシュワラムとアダムズブリッジ〉

 インド東部のカルカッタ(今はコルカタ)から最南端を回って西部のボンベイ(今はムンバイ)まで、インド亜大陸を時計回りに回る最中い立ち寄った街のひとつにラーメシュワラムがある。大陸の南東部に並ぶセイロン島に一番近いインド側の街だが、高校の地理の授業でも使われる地図帳を開いても載っていない。

 自分としても訪れるまでその街の名前に馴染みは無く、セイロン島と大陸を結んだという伝説の橋アダムズブリッジへはその街が近いらしいという程度のもの。アダムズブリッジの名前を知ったのは、暇つぶしに地図を眺めていた中学生の頃のことと思う。伝説の場所がどんなところなのか、その頃からインドの中で行ってみたい場所のひとつだった。


 ラーメシュワラムへは、インド南東部の大都市マドラス(今はチェンナイ)から列車で一晩、14時間ほどの夜汽車の旅だった。街は、大陸から海峡に架かる橋を列車に乗ったまま渡った先の島にある。インドの中では、ヒンドゥー教の聖地のひとつで海岸近くに立つ大寺院ラーマナータスワミの門前町として知られているようだ。

 街の東に、セイロン島と大陸を隔てる海峡が広がり、海岸には沢山の船が並ぶ漁村でもあった。海を見ながら砂浜を散策するとその船の数の多さが印象的で、一度訪れた薄暗い寺院の中よりもよほど強く記憶に残っている。


 ラーメシュワラムに滞在したのは、96年の1月22日から26日のこと。アダムズブリッジは、伝説の橋と言われるほどにスケールの大きな話のこと、現地を歩いたからといって簡単に実感できるものではなかったものの、それでも足跡を記してみるべくセイロン島の方向に向かって出かけたのは25日のことだった。

 なんら下調べをしていなかったので、どうすれば伝説の橋にたどり着けるか分かっていなかったが、街から南東に続いていることだけは確かだったのでとりあえず歩いてみた。アダムズブリッジとは、詰まるところ細長い砂嘴(さし)であってどこまで続くのだろというくらいに変化の少ない砂地と林が続いていた。少し歩いても景色がさして変わらないことだけは分かったので、急遽借りた自転車に跨がった。



 街を離れてから南にだいぶ行くと、道の左手には潟湖が続く風景となり、風の音くらいしかしない静けさと相まってなんとも幻想的だった。

 やがて、その潟湖の中に小さな島が見えた。島といっても東へと続く道とは堤防道路でつながっていた。その堤防の上から島を見たのがこの写真。コタンダラーマルという名の小さな寺院が建っていた。


 こちらは、堤防の上から来た方を振り返ったもの。潟湖の彼方に街が霞んで見えた。街からここまで8kmあまり、この先どこまでいけば良いのか分からず、疲れが溜まっていたこともあって寺院を後に街へ引き返した。

 GoogleMapを見ると、砂嘴の先端まではさらに14kmあまり。そこから海を30km越えた先にセイロン島であることがわかる。


 こちらは、砂嘴へのサイクリングに先立って出かけた街の北西側での風景のひとつ。右手にかなり高い塔があり、コタンダラーマル寺院からも遠望できる街のシンボルと思えるのがだ、ネットを少し探しただけでは、その名前は見つけられなかった。


 上の写真とあまり離れていない場所にあったとおぼしきガンダマダナ寺院。なだらかな島の中では高台にあって、街を見下ろす風景はなかなか爽快だった。


 街の中で何気なく撮った一枚。砂浜に連なる漁船の写真を撮ってなかったのが今にして少し心残り。


<Google May Map>
 1995年アジア紀行参考地図

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