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2009年6月21日

吉備津神社と吉備津彦神社

 先に少しだけ触れたように、今年の5月の連休は今までどちらかというと通り過ぎる場所だった山陽路吉備地方を回った。

 初日の5月2日、まず備前の一宮である吉備津彦神社を目指した。秀吉の水攻めで有名な備中高松城に近く、そこへ向かう途中のついでといえばそのとおり。ただし、そこから西隣にある吉備津神社を含む一帯を吉備路と称していることに誘われたということもあった。また、城廻の途中にその土地の神社に詣でるのは通例でもある。

 吉備路への旅は、岡山で新幹線から乗り継いだ吉備線のディーゼルカーを備前一の宮駅で降りたところから本格的に始まった。駅を出て回りを見渡した印象は、小高い山に囲まれ、街を離れた小さな盆地といった感じだった。地図を開いてみると、標高162メートルの吉備中山をはじめとした100メートル前後の丘陵に囲まれ、麓の標高は数メートルから10メートル程度。東の笹ケ瀬川と西の足守川の間に広がる東西に細長い谷と見て取れる。

 この長閑な田園が、古代には山陽古道が通り備前と備中の一宮が並ぶ要地だったということは、今の地図と現地を見てもなかなか想像し難い。その理由は、国道2号線、山陽本線、山陽新幹線がいずれも吉備中山の南側に開けた平野を通っているからだろう。ところが、古代においては今は半島になっている児島がその名のとおりに島であって、岡山平野の多くが遠浅の海だったことがわかれば、古代の国道が大河川の河口を避けながらこの盆地を通っていたことに少し納得がいくかと思うのだ。


 その吉備路には、東に備前一宮である吉備津彦神社、西に備中一宮である吉備津神社が鎮座している。両社の名前は、漢字が一文字多いか少ないかの違いだが、「探訪・神社寺院史話総覧」によれば、この名前が確定したのは明治になってからで、江戸時代にはともに吉備津宮と呼ばれていたという。また、同書によれば吉備津彦神社は、吉備津神社の分社にあたるとのこと。ここらへんのことは両神社の公式サイトを見てもなぜかよくわからない。

 両神社とも、主神は大吉備津彦命である。崇神天皇の時代に大和朝廷が派遣した4人に将軍の一人という伝説上の人物で、吉備中山には宮内庁が所管して彼の墓所とされる中山茶臼山古墳がある。古墳を含む山塊全体が神域あるいは神体だったのかと想像してみるが、ネットを少し泳いだ程度で分かる話でもなかった。



 今回の旅の最初の立寄地、吉備津彦神社。背後に吉備中山が聳える。


 宮内庁によって厳重に管理された中山茶臼山古墳。ネットをたどると全長120メートルの前方後円墳とあるが、その形を確認することはできない。

 吉備津彦神社から古墳まで、中国自然歩道が整備されていてゆっくり歩いて30分ほどの散策路だった。


 600年の歴史を持つという吉備津神社の本殿。


 吉備津神社の南へ400メートル続く回廊。かつてはもっと長かったとも言うが、自分はこの様な施設に他でお目にかかった記憶が無い。


吉備路参考地図(電子国土)


<参考>
 吉備津神社
 吉備津彦神社
 岡山市の古建築 1
 岡山市の古墳 1
 歴史と旅 臨時増刊 探訪・神社寺院史話総覧(秋田書店 1994年)

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