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2009年7月25日

リニア中央新幹線 2009年上半期 長野県知事会見より その2

<今までのエントリー>
 リニア中央新幹線を諏訪へ
 リニア中央新幹線と長野県
 リニア中央新幹線 Bルートが無理なわけ
 リニア中央新幹線 知事の質疑応答ほか
 リニア中央新幹線 Bルートが実現する可能性 その1
 リニア中央新幹線 Bルートが実現する可能性 その2
 リニア中央新幹線 2008年12月の動き その1
 リニア中央新幹線 2008年12月の動き その2
 リニア中央新幹線 2009年1月の動き
 山梨でリニア学習会
 リニア中央新幹線 2009年5〜6月の動き
 リニア中央新幹線 ルート別の試算公表
 リニア中央新幹線 飯田市議会で決意案
 リニア中央新幹線 2009年上半期 長野県知事会見より その1


 その1に引き続いて、長野県の公式サイト内、知事会見録2009年上半期分のリニア新幹線に関わるものの中から、中身のあるものを取り上げ解説、評価を加えてみる。

 以下は、6月18日分にあるもの。同日JR東海よりルート別の工事費試算が公表されており、その内容を前提にしたものとなっている。関連の話題については、6月20日のエントリーに纏めてある。


 まず、6月県議会定例会開会、リニア中央新幹線のルート別工事費の公表について。この知事からの説明について、要点は以下の3つ。

 ・今回示されたものというものは、あくまで一部のデータの概数
 ・輸送需要量なども含めて客観的、総合的にデータを吟味・検証していく必要がある
 ・客観的なデータの他にも全国新幹線鉄道整備法にある地域の振興という観点からも議論が必要


 JR東海の公表資料がかなり簡単なものであることは、6月20日のエントリーの中でも触れた。ここでは、その部分を強調してさらにデータが必要とした上で、データ以外の部分として「地域の振興」も重要であるとする。

 この「地域の振興」という話について、「かねてから申し上げていること」と前置きしている。昨年の秋にまで遡って知事会見録を見返してみたが、リニア中央新幹線の話題の中には「地域の振興」という言葉は出てこない。ただし、長野県のサイト内にある信州・フレッシュ目安箱に寄せられたリニア中央新幹線についての提言に対する回答には、

 新幹線鉄道整備は、首都圏を短時間で結ぶ機能だけではなく、国民経済の発展とともに地域振興に資することも目的としており(一例として2009年2月9日回答
という一文が繰り返し添えられていて、知事の見解かどうかはともかく、長野県としては以前から強調してきた言葉であることはわかる。

 しかしながら、「地域の振興」を盾に従来の主張を繰り返す事は限度を越えており、いたずらにだだをこねていると捉えられかねない。このことは、再三ここで述べてきた。


◆◆◆

 次に、リニア中央新幹線について(1)。質問者は信濃毎日新聞の記者ながら、いつもとは違う人が行っている。以下やり取りの要点を纏める。


 【記者】BルートとCルートの差額6400億円について知事はどう受け止めるか。

 【知事】よく分からないとしか言えない。

 【記者】Bルート実現を目指している県側としては、どうやって理解を得ていく方向なのか。

 【知事】Bルートに合意を形成したところへCルートがボンッと出てきた。その為いろいろ問題が出てきているが事業主体はJR東海であり、アイデアがある訳ではない。JR東海から説明を聞いて情報を共有するようにしたい。

 【記者】所要時間の差について、知事は10分もかからないだろうという見方をされていた。7分位と示されたがこれについてはどうか。

 【知事】よく分かりません。何とも申しかねます。

 【記者】今後県としては、どういう形で話し合いを進めていくのか。

 【知事】明確な決意を私自身持っていない。Bルートで手間をかけて合意を形成した。中央新幹線の実現のために運動を重ねてきた。どうやって調整したらいいのか私も悩んでいる。当初、長野県に対して直接何の話もなく、いささかの不快感だった。できるだけ情報を共有して、どのような形で調整ができるのか、地域のさまざまな期待もおさえながら努力をさせていただきたい。

 【記者】6400億円ていう差について知事としてはどういうふうにお考えか。

 【知事】評価のしようがない。巨大事業は、当初想定された金額から膨らむケースが多いし、ずいぶん振れる。今の段階では楽観的な数字がCルートの場合であっても出されているのではないか。そういうことも含めてよく分からないとしか言いようがない。


 信濃毎日新聞の記者が代わり、あきらかに質問が明快になっている。しかしながら知事の回答は歯切れが悪く、Bルートへ一本化した事を繰り返すほか、分からないと言い切るなど内容の無いものとなっている。JR東海が示した資料が薄いものとはいえ、一応ながら示された数字に対してこの一連の回答では、意図的にJR東海の数字を軽く見なした上で逃げようとしているとしか自分には評価できない。

 質疑の中で記者が「理論武装」という言葉を使っているが、長野県は主体的に理論武装していかなくては、事態収拾に対して一定の役割を果たすことはできないだろう。


◆◆◆

 ついで、リニア中央新幹線について(2)について。質問者は中日新聞記者。

 【記者】各地区での説明会で、知事にBルート推進として、(あるいは?)JRとの調整においてリーダーシップを取ってほしいという声もあった。どう受け止るか。

 【知事】 それは一つの意見。いろいろな意見があると承知している。私は、Bルートというコンセンサスが一回できたことを押さえ、相談をさせていただくしかないということを繰り返している。よく事実を押さえ、それで事業推進のために議論を重ねていくという手続が大事。


 あくまでもBルートをと念を押しているとはいえ、複雑化しつつある利害調整について主体的に役割を果たす予定は今のところはないと言っているのに等しい。また、前提条件が崩れている現状で「Bルートというコンセンサス」と繰り返すこと自体が無策に過ぎる。

 中央新幹線の事業の大きさ、諏訪上伊那vs飯田下伊那という構図、問題の複雑化を「長野県」(行政として、エリアとしての両方を含めて)の問題と評価されている現状などを考えれば、県として主体的にすべきことは沢山あるはずである。


 7月分の知事会見録が既にアップされているが、これについてはまた日を改めて検討する予定。

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2009年7月20日

リニア中央新幹線 2009年上半期 長野県知事会見より その1

<今までのエントリー>
 リニア中央新幹線を諏訪へ
 リニア中央新幹線と長野県
 リニア中央新幹線 Bルートが無理なわけ
 リニア中央新幹線 知事の質疑応答ほか
 リニア中央新幹線 Bルートが実現する可能性 その1
 リニア中央新幹線 Bルートが実現する可能性 その2
 リニア中央新幹線 2008年12月の動き その1
 リニア中央新幹線 2008年12月の動き その2
 リニア中央新幹線 2009年1月の動き
 山梨でリニア学習会
 リニア中央新幹線 2009年5〜6月の動き
 リニア中央新幹線 ルート別の試算公表
 リニア中央新幹線 飯田市議会で決意案

 ここでは、長野県の公式サイト内、知事会見録の中から、2009年上半期分のリニア中央新幹線に関わるものについて、中身のあるものを取り上げ解説、評価を加えてみる。


 2月13日分よりリニア新幹線について(1)について。

 ここでは、信濃毎日新聞の記者からJR東海がCルートを選択したことについて意見を求められている(この質問の前提として、同紙によるJR東海社長へのインタビューの話が紹介されているが、全体を通して何を聞きたいのか良くわからない。その点知事からも指摘されて言い直しているが、その結果知事が採った解釈にも疑問がのこる)。この質問に対する知事の回答について以下に要点を纏めた。


 JR東海は研究の結果として十分な情報を持って、「Bルートではなかなか進まない」「Cルートでしかやりようがない」と結論したと思われるが、結論だけ示して同意を求められても知識も情報も無いので同意できない。

 JR東海は、Bルートがなぜ難しいのか説明しなくてはいけない。全国新幹線鉄道整備法であれば国の補助を受けて(Bルートが?)できたがそれでは時間がかかるから、早期実現のためにCルートというのは簡単で分かりやすく見える。しかし(JR東海は?)もっといろいろ言う必要があるのではないか。

 JR東海が、吟味に耐えるだけのデータ持って地道な説明をされることを期待している。


 以上について、JR東海が単独で事業を行う場合Cルートが有効であることを知事は十分に認識しているように読み取れる。この点は記憶しておいて良いと思う。JR東海がもっと説明すべきという点について、自分はJR東海の義務とは思わないが、先のルート別の試算公表の結果(6月20日のエントリー参照)を見る限り、できるだけ情報を出す方が賢明であると考えている。

 ただし、一連のエントリーの中で書いてきたように、JR東海がCルートを選択した時点でBルートの実現はほぼ不可能である。また、全国新幹線鉄道整備法を盾にしたところで、「国民経済の発展」「国民生活領域の拡大」「地域の振興」という「新幹線鉄道網の整備」の3つの目的の1つを持って6400億円を引き出すのはやはり無理がある。

 このような状況の中で、「知識も情報も無い」とJR東海の説明を待ち情報を引き出すことを目指すというのは、受け身に過ぎると自分には思える。長野県自らJR東海に対して数字を示すような努力をしないかぎり、Bルートはおろかより些細な事についても、JRが示した事にだだをこねるか諦めて受け入れるかの選択肢しか残らないのではないだろうか。


◆◆◆

 次に、6月10日分よりリニア中央新幹線について(1)について。

 これは、マスコミによって「それで事業が進むのか!」リニア1県1駅構想で長野県知事(産経新聞 6月10日)などと報じられ、非難を集めた部分である。質問者は、なぜかいつもと同じ歯切れの悪い信濃毎日新聞の記者。記者と知事のやり取りついて以下に要点を纏めた。


 【記者】中間駅は1県1駅が適当というJR側の発言をどう思うか。

 【知事】(新しい)ニュースとは受け止めていない。いままでのことを繰り返されただけ。

 【記者】知事は以前「長野県の場合は大きな県だから複数の駅も」と言っていたが。

 【知事】リニア中央新幹線の運営者としては、東京と名古屋と大阪だけ飛ばせればいいので、通過地点は経営的にプラスではないと見ていることは理解はできる。「ただ、それで本当にうまく事業が進んでいくのでしょうか。」まだまだ初期の段階。とりあえず承っておくと言うにとどまる。

 【記者】昨日からは諏訪ほか4箇所で説明会が行われているが、知事としての意義、受け止めを。

 【知事】(地元の)関係者にとって、報道だけではなく、直接事業をJR東海から説明を受けることは大事な過程。こういう形で事実上いろいろなやり取りが始まっていくことは非常に結構なこと。


 まず報道された部分について。知事の回答2つ目の中程にあるが、ここは原文ままという意味で「 」に括ってある。上にリンクした産経新聞の記事と並べてみると以下のようになる。

 それで本当にうまく事業が進んでいくのでしょうか。(知事会見録)
  ↓
 それで事業が進むのだろうか(産経 記事本文内)
  ↓
 それで事業が進むのか!(産経 記事見出し)

 知事会見録が、発言をそのまま載せている保証もないので1番目から2番目への変化は評価できないが、2番目と3番目の違いは産経新聞の編集と見て間違いないだろう。程度の大小はともかくとして、脚色と見る事は可能と考える。

 産経新聞の記者が、当日の知事の語調を聞きながらその雰囲気を再現した可能性はゼロではない。しかしながら、質疑応答の全体の流れの中から考えれば、この一文を少し強調しすぎていると自分には思える。また、2番目の発言の最後の部分および3番目の発言を見る限り、知事はまだ道程の中であって多くはこれから、という点を強調したいようにも見られるが、そのニュアンスは産経の記事からは伝わってこない。

 次に知事の発言の中身についてだが、現状について簡単な評価をしているだけで目新しい中身はない。件の発言については、「通過地点の協力もなくては事業はすすまないでしょう」と解釈して差障りは無いだろう。


 なお、知事会見録については動画、音声での視聴が可能なようだが、自分の環境ではどちらもできないので、興味のある方は直接当たられたい。

 少し長くなったので、6月18日分について稿を改める。


<追記> (7月20日)
 上記の一番最後で触れた知事の会見について、6月17日のエントリーの中で

 「理解できるが」が「進むのだろうか」という「疑問を呈した」という文脈が自分には理解し難い。
と評価した。これについて、上記の内容では自分の評価に何もつながりを取れていないので以下に少し書き足す。

 知事の発表内容を改めて整理し直してみると、知事の発言を「通過地点の協力もなくては事業はすすまない」と言い換えるのは妥当というのが上記最後の部分の内容で、文脈として違和感なく、この部分だけ捉えれば理はあると言うこともできる。

 また、この部分には「Bルート」「Cルート」という言葉が出てこないので、純粋にルート沿線の理解を得ながらという意味に捉えれなくはないものの、同日の一連の発言の中にJR東海が1県1駅という考えを示した事が述べられていることを考えれば、やはりこの「通過地点の協力」の為には「Bルート」という地元の意思が含まれていると解釈されても仕方がないだろう。しかしながら、「Bルート」を含めるのはやはり行き過ぎである。

 こうして読み返してみると、Bルートの評価についてJR東海と長野県の間の大きな隔たりを改めて見せられたように思う。その点長野県知事は、本当にJR東海の評価を「理解でき」ているのだろうか。この意味においては、知事の発言について「文脈が自分には理解し難い」と評価することは、さほど間違っていなかったように考えている。

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2009年7月19日

シルクロード 文字を辿って

 先週から9月初めまでの予定で京都国立博物館で開催されている特別展、シルクロード 文字を辿って---ロシア探検隊収集の文物を見に行ってきた。概要は、京都国立博物館のサイト内の特別展覧会の案内にあるように、19世紀から20世紀初頭にかけて、ロシアが東トルキスタンから敦煌、カラホトにかけてを調査、探検した成果として、サンクトペテルブルクのロシア科学アカデミー東洋写本研究所に所蔵されている文物の中から文字資料を並べたというもの。

 カロシュティー文字で書かれたガンダーラ語、ブラフミー系の文字で書かれたサンスクリット語、サカ語、トカラ語、ソグド文字、チベット文字、ウイグル文字、西夏文字、漢文と130点近い資料が並ぶ。また関連として、京都博物館などが所蔵する西魏からモンゴル時代にかけての招来された漢文資料を展示したコーナーもある。


 話としてや様々な書籍の中身として見聞きした物の原典が、沢山見られるという二度あるかどうかという展示である。樺皮文書や貝葉形式という形にしても、コピーなどで見たことはあっても実際に見るのは初めて。おもわず樺の皮であることをじっくりと確認してしまった。

 西夏文字については、カラホトのコーナーで2部屋を使っていて、漢文、チベット文もあるものの大半が西夏文字。朱書きで校正されているような『孝経』の西夏語訳、全長10メーター近い『大般若経』、西夏文字、西夏語を解読する上で重要な資料となってきた『番漢合時掌中珠』『文海』『五音切韻』など十分にボリュームのある内容。強いて言えば、『番漢合時掌中珠』について、いろんなページをもう少し眺めてみたかった。

 文字資料ではないが、19世紀末の東トルキスタンを描いたとペトロフスキーの地図、全幅11メーターを越える敦煌千仏洞全景図の2つが広いスペースを割いて展示されていた。いずれも自分には初めて知ったもので、前者は絵地図ではあるものの関係性が意外に正確で興味深く、後者は長大な敦煌莫高窟が奇麗な線画で描かれていた。


 全体として、貴重な展示であって興味深いには違いないのだが、何文字で何語が書かれているのかというあたりの解説は徹底されていない。とくに文字についてもう少し踏み込んだ解説があっても良いのではないかと思う。西夏文字や漢文はともかくとして、ブラフミー系の文字は、話題としては知っていても文字字典を片手に見比べることでもしないかぎり、「ふーん、そーか」という以上の感想が出てこない。もう少し工夫をしないと、最後にはみんな同じ物に見えてしまわないだろうか?

 もうひとつ余談を。前からソグド文字が縦書きなのか横書きなのか、自分には良くわからなかった。展示に添えられていた資料には横書き文字として紹介されていて、展示物の中にはどちらかというと横書きと見受けられるものがあるものの、敦煌文書中の『鸚鵡のジャータカ』など活字のように奇麗な書体で書かれたものを見ていると、どちらなのかさっぱり分からない。これって一定の見解があるのだろうか?


 特別展に会わせて土曜講座が開催されているが、今日時点で残り3回の内、8月22日以外は既に閉め切られている。。

 特別展の図録を購入。

特別展覧会
シルクロード 文字を辿って
---ロシア探検隊収集の文物
京都国立博物館 2009.7

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2009年7月18日

遼金西夏研究の現在 2

遼金西夏研究の現在(2)
荒川慎太郎、高井康典行、渡辺健哉編
ISBN978-4-86337-031-9
東京外語大学 アジア・アフリカ言語文化研究所 2009.6

 研究所よりご恵贈いただいた。ありがとうございます。

 以下の4編の論文を掲載。いずれも各氏がこれまで続けられて来られた研究の途路における報告とお見受けする。単独としてもいずれも興味深い内容であり、遠からず熟読させて頂く予定。


契丹(遼)の授戒儀と不空密教
 藤原崇人

唐末・五代・宋初の華北東部地域における吐谷渾とソグド系突厥---河北省定州市博物館所蔵の宋代石函の紹介と考察---
 森部豊

金上京路の北辺---アムール川流域の女真城郭
 臼杵勲

契丹国(遼朝)の上京臨潢府故城の占地と遺構復元に関する一考察
 武田和哉

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2009年7月12日

マルワリード用水路

 アフガン用水路が完成へ 6年かけ、ペシャワール会
(47NEWS 6月6日)

 ひと月も前のニュースになるが、アフガニスタン東部で続けられて来たマルワリード用水路開削事業が竣工したとのこと。これは、6月6日に福岡で行われたペシャワール会主催の現地報告会にて、中村代表がビデオレターにて報告されたもののようだ。5月27日発行のペシャワール会報号外によれば、6月15日予定とあるので10日早まったということだろうか。

 何度かテレビ番組などで報じられておりご存知の方も多いことと思う。同事業は、2003年より荒廃した農村の復興を目指して進められて来たもの。全長約24キロメートル、現在までに22平方キロメートルに灌漑しているという。さらに同水路末端には、水路事業職員を中心とした入植者による自立定着村の開墾地として、2平方キロメートルへの灌漑も計画されている。


 以前この件について、会報を手がかりにGoogleMapを探してみたものの、航空写真の画質が粗いこともあって大まかな場所は想定できるものの、詳細な位置あるいは用水路そのものを特定することはできなかった。しばらくぶりにGoogleMap見てみると、当該地のデータが更新されていて、用水路そのものまで見ることができた。以下水路工事進捗報告ペシャワール会 現地報告)および、同会関係者のものかと思われるブログジャララバードで独り言を手がかりに、GoogleMapに用水路を追ってみた。

 資料によれば、用水路は東端部のジャリババ取水口からクナール河の水を取水し、全長24キロメートルで落差わずかに17メートルとほとんど平坦なルートを取り、西側に広がるガンベリ沙漠まで続く。上流からA、B、C地区と区分けされていて、沙漠の入り口に当たるQ地区、さらに沙漠を横断する部分がS地区となっている。A地区からK地区までが第一期13キロメートルで2007年の4月に竣工、L地区から先が第二期分として今夏竣工した部分となる。なお、昨年の段階で一部事業変更がなされたようで、より詳細な報告が100号目となる会報にて報じられるとのこと。

 GoogleMapを見ると、A地区からH地区の途中まで水が入ってることが確認できる。この間、G地区分水門からは、分水路へと分水されている様子も伺い知れる。この分水路は、一番上流に位置するものとのこと。この先J地区あたりまで水路を追うことができることから、一帯の航空写真が2005年の終わりから2006年初めにかけてのものと確認できる。


 灌漑には、単純には肯定できない負の面もあるので、現地を知らない自分としては無条件の賞賛は控える。ただ、一人の人の意思として始まり、様々な悪条件の中にもかかわらずこれだけのことを成し遂げたということ。ただそのことについて、尊敬と羨望が混じるのである。

 GoogleMapのデータは、次はいつ頃更新されるだろう。何年か先には、緑の耕地と村に変貌を遂げたガンベリ沙漠が見られるだろうか。


<追記> (7月18日)
 記事をアップして数日で関係エリアの中央部のGoogleMapデータが更新されました。プロットがずれたため修正を加えましたが、解像度が上がった変わりに撮影日は古いものに変わってます。少し不可解ですが。



より大きな地図で マルワリード用水路 参考地図 を表示

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2009年7月11日

西夏研究 3

西夏研究 第3輯
李笵文 主編
ISBN978-7-5004-3626-3
中国社会科学出版社 2006.12

 友人より安価に譲って頂いた。ありがとうございます。

 日本人、ロシア人を含む95本の論文を集録。以下参考に掲載論文を書き出しておく。


西夏学研究的10年---1995-2005年中国西夏学研究的回顧与展望(李範文)
寧夏霊武出土西夏文文献探索(白濱)
敦煌壁画与西夏服飾(徐庄)
西夏碑刻浅述(牛達生)
西夏仏塔岩画(朱存世)
西夏陵出土琉璃建築材料考釈(李範文)
塵封不住的西夏---従西夏文物精品巡回展談起(陳永耘)
西夏瓷器芸術特色初探(武宇林)
頗具特色的西夏瓷器(王萍)
再論西夏陵区北端建築遺址的性質(彭向前)
試析西夏文字題記和西夏文字岩画(李芳)
寧夏固原西夏文物析論(黄麗栄)
雑木寺石刻---兼談仏座拿具的演変 (李翎)
Tangut Buddhism as a Local Tradition(K.J.Solonin)
略談西夏人腰間的挂件(李進興)
楡林唐拓跋守寂墓及墓志(喬建軍)
西夏的歴法和歴書(史金波)
論儒学与仏教在西夏文化中的地位(李華瑞)
西夏与回鶻勢力在敦煌的興替(楊富学)
西夏立国長久原因新論(陳広恩)
《西夏書事》的征実精神与歴史認同意識(羅炳良)
成吉思汗攻滅西夏的戦争---兼論成吉思汗病逝于六盤山(薛正昌)
西夏《天盛律令》再認識(陳永勝)
西夏廟学制及相関問題考論(劉再聡)
李土司先世辯正(呂建福)
従《天盛改旧新定律令》看西夏軍事制度的特点(許生根)
西夏文書工作官吏制度考論(趙彦龍)
略述西夏対河西的占領及相関問題(崔紅芬)
西夏故地石窟芸術的多元化特征(王建舜、劉泓屺)
唐宋時期西蜀与西夏及敦煌的文化関系(劉復生)
論遼与西夏的関系(武玉環)
西夏与北宋比較研究引発的思考(楊其昌、王学功)
論党項民族消亡的歴史趨勢和教訓(呉峰雲)
論西夏都城興慶府的歴史地位及其作用(楊満忠)
西夏軍事法律制度研究(王元林)
西夏与甘州回鶻(李并成、朱悦梅)
日本新発現北宋開宝五年刻《熾盛漲仏頂大威徳銷災吉祥陀羅尼経》星図考(韋兵)
西夏人的天神崇拜(張迎勝)
区域研究的若干啓示---兼評前田正名《陜西横山歴史地理学研究》(楊蕤)
開辟西夏民族歴史地理考古学研究与編制《西夏歴史考古地図集》芻議(黄盛璋)
蒙古族唐古特氏人群中有西夏遺民(仁欽道爾吉)
西夏開国人口考論(趙斌、張睿麗)
略論張浦在西夏歴史上的地位(魏淑霞)
論西夏法律制度対中国伝統法律文化的伝承与創新---以西夏法典《天盛律令》為例(姜歆)
白河・石城・父冢与博峪略考(王国基)
宕昌党項羌与西夏的関系(楊海帆)
論西夏歩入農耕経済社会的進程及其歴史見証(楊秀山)
十二世紀西夏国的星曜崇拜(H.A.Hebckий)
大九寨国際旅游区蔵羌笛文化探秘(庄春輝)
論大九寨国際旅遊区蔵羌文化形成和発展(楊文健、庄春輝、李瑞瓊)
西夏的仏教術語(聶鴻音)
西夏語的多族融合環境和多語借用性質(趙杰)
俄蔵西夏文草書《孝経伝》正文訳考(胡若飛)
西夏宝源訳《聖観自在大悲心総持功能依経録》考(孫伯君)
日本蔵《聖勝慧到彼岸功徳宝集頌》考釈(荒川慎太郎)
従俄蔵黒水城文献看西夏文書署押制度(尚世東)
黒水城文献《庄子義》考(湯君)
西夏密教考古遺存与文献研究(楊志高)
西夏晩期経変芸術的重要特征和創新(王艷雲)
《文海》中反切上字拼注音研究的若干問題(M.V.索夫羅諾夫)
従吐蕃先民嘎(gha)党(ldong)両氏族繁衍的蔵弭葯(木雅)概況(木雅・貢布 著、孫文景 訳)
《試述漢文西夏文之研究》(胡玉冰)
我制印新版泥活字西夏文《維摩詰所説経》下集的由来及意義(孫寿嶺)
西夏文蔵伝《吉祥遍至口合本続広義文》節訳(孫昌盛)
英法俄蔵西夏文文献的分析和比較(束錫紅)
西夏語的作格性(小高裕次)
西夏語中的夏漢対音与語言研究“旁材料”的重要性(斌杰)
略論西夏書法芸術(毛来紅)
西夏文字形体結構的規範写法(賈常業)
西夏字部件検索系統的設計(高雅琪、庄徳明)
試論西夏文学特色(楊梓)
緬懐恩師王静如教授(陳炳応)
漢学家労仏的生平和著述(孫立新、孫虹)
西夏歴史文化研究的里程碑式盛会(薛正昌)
2001---2004年国内西夏学研究文献統計分析(黄秀蘭)
2004年西夏学研究概述(馬淑萍)
第二届西夏学国際学術研討会綜述(孫穎慧)
賀蘭山山嘴溝石窟西夏壁画的初歩分析(謝継勝)
重視西夏印刷史研究 推動西部経済大建設(尹鉄虎)
試析古羌与漢民族的源流(張潤平)
唐末局勢与西夏崛興(李鴻賓)
従読司馬光《西事扎子》看北宋政治之腐敗(王天順)
論西夏的犯罪(張玉海)
西夏的医学思想(蘇冠文)
会寧伯李公(南哥)墓志銘之研究(李培業)
西夏語和羌語支語言的詞滙比較以認同詞試探関系(池田巧)
納西語与西夏語初歩比較(木仕華)
西夏語文学和語言学研究百年評述(徐文堪)
簡論西夏語訳《勝相尊総持功能依経録》(林英津)
銀川市出土的銅仏像年代及偽造的西夏仏像(金申)
西夏文字的美学原理(北室南苑)
西夏文字書法創作浅談(劉魁一)
西夏仏教音楽(孫星群)
簡述西夏文字書法芸術(竇民立)
西夏10号帝陵的発現与思考(岳鍵)

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