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2009年9月12日

甲斐源氏と上條氏

 秋の訪れが早い昨今、もう夏休みでもないかとも思うものの、せっかくの休みということで泊まりで出かけて来た。行き先選びは、「休み」をメインに温泉と海、そして今まであまり歩いていない場所ということで山梨と伊豆を選んだ。

 まず山梨の話。山梨へ行くならと前々から考えていたのがルーツの地巡り。実家の苗字は「上條」で、家紋が丸に四つ菱。図書館で調べてみると、武田氏の一族として2つの系統が挙げられている。ひとつが、新羅三郎義光の曾孫武田信義の子一条忠頼、その子が甘利行忠、そしてその子の上條頼安と続く系統。もうひとつが、武田信義の別の子武田信光、その子が岩崎信隆、そしてその子の上條信賢へと続く系統。

 その2系統と自分に繋がりが有るのかどうか、可能性としては武田信玄の時代を想定することができる。しかし墓や位牌、過去帳や系図、手紙などの文書といった物証があるわけではなので仮定、仮想の域を出ることはたぶんない。


 「上條」という苗字それ自体は、条里制との関係が考えられる「條」「条」がつく地名に起源を求めるのが常套。山梨県の古い地名を調べると、「甘利上條」(現在の韮崎市南部)と「上條郷」(現在の甲府市南西部、国母周辺)の2つが見つかる。韮崎市の「甘利上條」というのは、甘利という庄園を上条と下条に分けたものという。甘利庄は甘利氏の発祥地とされ、上に引いたように上條頼安の父が甘利行忠という繋がりが連想されて面白い。

 今回は、現地をじっくり回るほどには時間がなかったので、これだけの前知識でとりあえず2つの「上條」に行ってみるというかなり適当なものとなった。



 まずは、富士川沿いを北上して身延町にある大聖寺。義光開基の寺と伝わり、義光の他、武田信玄、加賀美遠光の木像が安置されている。


 さらに富士川沿いを北上。甲府盆地の入り口、市川大門の高台にある熊野神社。義光の子義清が最初に館を構えた場所という伝承があり、傍らに「甲斐源氏旧跡碑」という石碑が建てられている。


 JR身延線、国母駅の周辺が古の「上條郷」とされ、「古上条町」などの地名が残る。駅の北、県道上には上条バス停がある。


 バス停の西、500メートルほどの場所にある義清神社。義清を慕って建立したものといい、墓所でもあるという。


 甲府市から大きく移動して、韮崎市の南部、甘利小学校の南にある南宮大神社。甘利郷きっての大社で、義光が建てたものという。所在は「大草町上條東割」。


 甘利郷の北隣には、武田義信に因む旧跡が点在している。写真はそのひとつの武田八幡神社


 上條氏についての物が簡単に見つかるとは思っていなかった。その意味で予定通りなのだが、2つの上條の隣に武田氏に関わる神社や旧跡が残っている点は、興味を深めるには十分な動機となる。

 帰って来てから調べたら、上條郷に関連して甲府市にある一蓮寺の過去帳に上條彦七郎なる武田信虎より少し前の人物の名前が残っているとのこと。また、武田信玄の信濃国筑摩郡侵攻後に現在の朝日村に上條佐渡守信隣、信俊なる兄弟がいたらしいことが分った。一条忠頼は墓所が残っているほか一蓮寺との関係もあるようだし、上條信賢の系統について岩崎氏や一宮氏について調べてみるのも意義があるかもしれない。


<参考>
 甲斐源氏 上條氏関連地図(Google Map)

 系図纂要 新版第11冊下 清和源氏5(岩澤愿彦監修/名著出版 1994年)
 新編 姓氏家系辞書(太田亮著/秋田書店 1974年)
 日本歴史地名大系 第19巻 山梨県の地名(平凡社 1995年)
 角川日本姓氏歴史人物大辞典20 長野県姓氏歴史人物大辞典(角川書店 1996年)
 別冊歴史読本73 甲斐の虎 信玄と武田一族(新人物往来社 2004年)
 武田のふるさと 甲斐・武田信玄(武田神社 1995年)

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