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2009年9月 5日

備中高松城

 前のエントリーから随分と時間が開いてしまった。今年のゴールデンウィークの話の続き。5月2日の午後、吉備津神社から吉備線の列車で一駅揺られて、初日一番の目的地備中高松に着いた。

 恐らく岡山県下の戦国時代の城としては、備中高松城が最も有名だろう。駅から城跡までは、平坦な道を歩いてわずかに10分ほど。羽柴秀吉による水攻めで名を馳せた城であって、沼地に囲まれた平城だったということは分っていることだが、拍子抜けもまた止むを得ないか。

 戦国の城といえば山城ばかり巡っていると、本丸周辺に僅かに微高地が残り復元された湿地がある程度で、なんとも平凡な田園風景と見てしまう。しかし、この地は毛利氏との激しい攻防が行われた場所であり、その後秀吉が飛躍する画期となった場所でもある。僅かな手がかりを元に往時を想像する場所ということになる。秀吉のその後の活躍は言うまでもなく、だからこそ一度は訪れようと思っていたわけだが。


 城跡公園の一角。田園の真ん中に忽然とある感じで、何も知らなければちょっと不自然な小さな公園というところ。


 当時を復元するということで、公園の一角が掘り返されて湿地になっている。ちょうどアヤメが満開だった。


 本丸跡周辺は、僅かに高まりが残り木々が茂っていた。写真は、その一隅にある高松城将清水宗治の首塚。元々秀吉本陣跡近くに有ったものをここに移したとのこと。


 城跡の東、寺院の裏手にある宗治自刃の阯。舟の上で兄と共に割腹したと描写されるのその場所ということだろう。


 城趾公園から南東へ歩いて15分ほど。林の中の小道に分け入ると秀吉本陣跡の案内が建つ。すぐそばに、宗治の首塚があったという持宝院の跡もある。


 高松城を水没させる為に築かれた長大な堤防だが、現存するのは2カ所のみとのこと。写真が東端に位置して数メートルの高さを残し、近年基礎部分の発掘調査が行われたという蛙が鼻築堤跡。


備中高松城周辺参考地図(電子国土)

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