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2009年10月 4日

賤ヶ岳古戦場 前編

 9月後半の連休を利用して、賤ヶ岳古戦場と福井県若狭地方を歩いてきた。

 余呉湖とその周辺には、1583年の春から初夏にかけて、柴田勝家と羽柴秀吉の間に戦いが起こった際に築かれたという城塞が、山の尾根筋を中心に点在している。初日は、余呉湖を取り巻く山々にある砦群を半日ほどかけて見て回った。まずは前半部分、湖の東から南にかけての話。

 21日は、雲の量は多かったものの一日中暑くも寒くもなく、山を歩くには程よい気候だった。北陸線の余呉駅に降り立ったのが昼前の10時半ころ。江土登り口から山に入ると、すぐに雑木林の中の道となり、尾根筋に出るころには杉林になる。高山右近が詰めたという岩崎山砦跡までは10分ほど。岩崎山砦は、削平されたと思しき地形が確認できるものの、土塁や堀切を見つけるのは難しかった。

 岩崎山砦跡から、尾根筋の細い山道を進み林道へ出てしばらく行くと15分ほどで「中川清秀主従の墓」の案内がある。そこから少し登った所に広場があり、江戸時代に大分県の岡城主になっていた子孫が建てたという墓石が立っている。あたり一帯が、羽柴秀吉方の中川清秀が柴田勝家方の佐久間盛政に攻められて玉砕したという大岩山砦跡。周囲には、広い削平地が確認できる。墓の建立など後世の手は入っているだろうが、岩崎山砦よりも規模が大きかったものと想像できる。

 林道は、やがて尾根筋の細道となる。杉の植林地の中を続く道は、部分的に平時の造成にしてはかなりしっかりとした土手状になっている。当時、砦間の連絡用に造られたものと想像したがどうだろう。さらに、大岩山砦跡から10分ほど歩いた所に小さなピークがあり、三角点の標石が埋められていた。周囲は明らかに造成されており、三角点周辺が小高くなっていて櫓台を思わせた。大岩山砦と賤ヶ岳城を繋ぐ砦があったと見て間違いないだろう。

 三角点からさらに尾根筋を辿ること30分で開けた山頂に出た。休日の昼ということで、ハイカーがベンチや芝生の上で弁当を広げていた。公園として造成され、展望台やトイレなどが建てられているが、よく見ると土塁や堀などが残っている。この一帯が戦いの雌雄を決する切っ掛けとなったという賤ヶ岳城跡。北は余呉湖周辺を一望し、南は琵琶湖から小谷城あたりまでが見渡せる。虎御前山の先の霞んでいるあたりが長浜になる。

 賤ヶ岳城跡から北西へ山道を降りて行くと、10分ほどで飯浦大堀切へと着く。かなりの深さのある堀切で、賤ヶ岳城の北西の尾根筋を断ち切っている。ここは、余呉湖畔から琵琶湖湖畔の飯浦とを結ぶ道の峠でもある。峠道を15分ほど下ると、佐久間盛政が未明に駆け抜けたという余呉湖畔へ出た。



 岩崎山砦跡にある中川清秀主従の墓所。


 岩崎山砦跡から賤ヶ岳へ向かう途中。かなりしっかりした土手道が確認できる。


 三角点付近。左の高まりの上に三角点があり、周囲は広く整地されている。


 賤ヶ岳山頂から眺めた余呉湖。右手の尾根筋を時計回りに登って来た。


 ハイカーで賑わう賤ヶ岳城跡。


 飯浦大堀切を余呉湖を背に見たところ。左手上が賤ヶ岳方面。


<参考>
 近江城郭探訪(滋賀県教育委員会編/サンライズ出版 2006年)
 近江の山城 ベスト50を歩く(中井均編/サンライズ出版 2006年)
 フィールドワーク 関ヶ原合戦(藤井尚夫著/朝日新聞社 2000年)


賤ヶ岳古戦場周辺参考地図(電子国土)
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