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2009年10月10日

賤ヶ岳古戦場 後編

 余呉湖を囲む山々を東から南へと縦走して、余呉湖畔へ降りたのが午後1時半。賤ヶ岳古戦場巡りの後半は、湖の北西端から権現坂を登り湖の北に連なる砦群を見て回った。

 正源寺の裏手という権現坂の登り口は少々分り辛かった。寺の裏手は、土石流に備えた砂防指定地となっていて、大きな砂防ダムが築かれていて往時の道は無くなっていた。代わりの道らしきものがあったものの、地形的に道らしいというだけで草が茂り、林の中に入ってしっかりした道に出るまで些か不安だった。麓から権現峠まではおよそ15分の上り道。峠に出たところで舗装された林道に出てちょっと拍子抜けした。

 すぐに林道を外れて尾根道を辿る。10分ほどで少しなだらで杉林の中に大きな赤松が混じる場所になる。よく見ても山城らしい地形があるのか判然としないが、案内本などによればそこが前田利家が一時滞陣した茂山砦跡とのこと。

 茂山砦跡を過ぎると道は急な下りになる。15分ほどで大きな堀切に行き当たり、そこを越えると神明山砦跡となる。中心には土塁で囲まれた櫓台を想像できる小高い曲輪があり、傍らには明瞭に虎口がのこっていた。

 その先、さらに削平された郭がいくつか連なり、神明山砦跡から100メートル近い標高差を下ると10分ほどで高圧線の鉄塔が立つ開けた場所に出る。そこ先は急な下りとなり、さっきよりも深い切り通しになっていた。そこは、山を挟んだ南北の谷を結んだ峠道でもあったという。

 堀切の向こう側の斜面を這い登った先が、余呉湖の北に東西に横たわる尾根筋の先端に築かれた堂木山砦跡で、神明山砦跡よりも規模が大きい。郭を囲む土塁は場所によって2メートル近い高さがあり、明瞭に形を観察できる虎口も複数残っていた。また、砦の北側にも深い堀切を確認できた。

 堂木山砦跡は、余呉川沿いの地峡部の喉元にあって、柴田勝家方の攻撃に直接曝される重要な位置に築かれたもの。下手な山城よりずっとも堅固な造りが今に残り、古戦場の緊張感を多少なりとも体感できたように思う。


 堀切まで戻り峠越えの旧道を南へ下ると10分ほどで田んぼの傍にある登り口に出た。権現坂を登り始めてからここまで1時間40分。後半ルートについては、権現坂は登り口が分りにくいなど不備があったが、茂山砦跡から堂木山砦跡を経て下山するまでは、笹が刈り払われ、ルートに沿って赤い目印が木に巻かれているなど手入れがなされていて、迷うというほどのものではなかった。

 午前11時少し前に余呉駅をスタートして、途中で休みながら5時間。足にはだいぶきていたものの予定していた余呉湖周回コースをなんとか歩き終えた。



 踏み跡がほとんどなかった権現坂だが、砂防ダムから少し上がると窪んだ道の形ははっきりと解る。


 杉林の中に踏み跡が続く茂山砦跡付近。


 神明山砦跡の中心、櫓台と思しき土塁がはっきり残る。


 神明山砦跡と堂木山砦跡の間にある堀切。峠道としてみれば切り通し。


 堂木山砦跡に残る虎口。写真では分り辛いが真ん中から右へ折れる形が明瞭に残る。


 小さな案内板が立つ旧道の登り口。


<参考>
 近江城郭探訪(滋賀県教育委員会編/サンライズ出版 2006年)
 近江の山城 ベスト50を歩く(中井均編/サンライズ出版 2006年)
 フィールドワーク 関ヶ原合戦(藤井尚夫著/朝日新聞社 2000年)


賤ヶ岳古戦場周辺参考地図(電子国土)
 地図右上の「+」「ー」をクリックすると地図が拡大縮小します。
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