疋壇城
9月22日、玄蕃尾城跡を巡り終えた後、昼前後に小雨に見舞われる中旧街道を疋田まで歩いた。
国道から疋田の集落の中へ入ると、かつて水運に利用されたという水路沿いの道が整備されていた。疋壇城跡は、集落の南西、10数メートル登った丘の上の残されていた。周囲より一回り高い丘の中腹という場所で、山城ではなくて少し堅固な城館といった風情。
近江の湖東と湖西それぞれを通って敦賀へ抜ける街道が交わるという要衝であり、また越前最南部という意味でも重要な場所だったといえるだろう。織田信長による二度の越前朝倉氏侵攻に際しても攻防の場所となったという。
城跡は、南北に連なるゆったりとした広さを持つ郭が確認できる。南側は、小学校の跡地とのことで今は整地されてグランドになっている。その北の一段高い郭が城の中心だったと思われる。登り口に案内板が建てられ、石垣も確認できる。郭内はほとんどが畑になっていて立ち入るのは憚られた。
その更に、奥にも郭があるということだが確認していない。城の西側には北陸線が通っている。新疋田駅までは、南へ歩いて10分の距離。
標識のところを西に曲がると、神社の境内へ続くような石段が聳える。
グランドを背に中心となる郭の段を見上げたところ。虎口らしい形やさらに小高い区画を確認できるものの、往時のものか以後の改変の結果なのかは判然としない。
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疋壇城跡周辺参考地図(電子国土)
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コメント
疋田!疋田だ!
敦賀から琵琶湖にかけての道は今まで2度通ったことがあって(一度はバス+徒歩、もう一回は自転車)、疋田はその折に訪ねて非常に印象に残ったところでした。
武藤さんが指摘されるように、あそこ、舟溜まりの跡があって、あそこまで舟運が及んでいたってのが驚きポイントの一つ。へたれチャリダーの私が自転車でいけるんだから、勾配的に問題ない、というのがよくわかります。
朝方9時前後位にあの辺りを散策したのですが、静かな家並みと水路の存在感がよい感じでした。山越えたとこにある集落もいい感じでしたが。
あそこが日本海と太平洋側を結ぶ、一番細いところですからねぇ。連水陸路マニアとしては絶対外せないポイントです。
投稿: 蒸しぱん | 2009年11月 8日 12時49分
蒸しぱんさん
ご無沙汰です^^
距離も結構ありませんか?
疋田の中の水路もかなりの勾配で
流れ下っていたようにも思います。
疋田までが限度ということでしょうか。
蒸しぱんさん的なポイントというのは凄くわかりますが
迂闊にも写真を撮ってなかったのが悔やまれます^^;
投稿: 武藤 臼 | 2009年11月15日 18時52分