2008年11月10日

中国のブログと西夏

ブログ開設が1億件を突破—中国
 (Record China 11月9日)

 このニュースによると

 中国で開設されているブログの数が1億700万件に達している
とのこと。中国発のブログについて、「西夏」のキーワードで引っかかるものをチェックしている。「西夏」というマイナーなワードでも毎日、何件もヒットするということで中国のブログ世界の広がりを日々実感している。

 「西夏」のワードでヒットするものは、大きく二種類に分けられる。ひとつは、西夏が関わる歴史について触れたもの。最近ではチンギス=カンの話の中で登場するものを良く見かける。

 もうひとつは、西夏に関係する観光地へ出かけたというもので、そのほとんどは西夏陵の三号陵を見物したというもの。観光シーズンであれば、毎日、多い日なら日に何件もヒットした。多くが写真付きなので、対象が限定されているものの、変わりゆく遺跡を日々観察できた。

 そんな中で、先月のことなのだがカラホトの名で知る人ぞ知る遺跡が、写真つきでブログに紹介されたのには少し驚いた。黒水城として紹介されたカラホトは、中国内モンゴル自治区の西端、モンゴル国境に近い沙漠の中にある。観光で簡単に行ける場所でなはないとイメージしていた。それはもう昔話ということだろうか。検索すると、数は少ないが日本人のブログもヒットした。

 西夏に関心がある者として、カラホトは一度行ってみたい遺跡のひとつ。もう具体的に考えても良いということだろうか。


<カラホトを紹介している中国のブログ>
 额济纳之行——黑城(原)(菜鸟)
 沐秋风,赏胡杨——壮美不羁沧桑(上)(leg6789)

<カラホトを紹介している日本のブログ>
 黒水城(カラホト)に行って参りました。(RAKUDA通信)

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2008年9月27日

西夏王陵の保護

中國投巨資對“西夏王陵”進行搶救性保護
(新華社 9月21日)

 “東方のピラミッド”との誉れの西夏王陵が破壊に遭うことから免れるため、中国政府は策定を進めている文化財保護計画のプランを基にして、この10年で累計7000万元余りを投入して西夏王陵の緊急的な保護に用いている。

 西夏(王)陵は、寧夏回族自治区銀川市観光の目玉で、中国の観光旅行記的なブログで数日に一本は紹介されている。新しいところでは、宁夏行之五----游西夏王陵(心怡的博客)など。ピラミッドとは根本的に造りや企画が違うので、“東方のピラミッド(東方金字塔)”という言い回しはどうかと思うが、ネットを見ていても普通にあちこちで見かける。


 写真は上記ニュースで触れている3号陵の中心となる土山(陵台という)。この陵台は、版築によって土を突き固めて造られているもので、モンゴル軍による破壊以来800年の風雨に耐えてきたほどに堅いものだが、徐々に破壊が進んで来ている。ニュースの中では、その原因として風雨、羊の放牧、車両による蹂躙が挙げられているが、軍による射撃の標的とされた過去もあり、それらしき跡は現地で確認できる。

 雨という点では、西夏陵が点在する賀蘭山麓は乾燥地帯で年間降水量200mm程度という。それでも、その賀蘭山によって集水された雨水が流れ下ることが時折あるのだろう、山麓には西から東へと幾筋も枯れ川が走る。航空写真を見れば、実際に流水によって破壊された跡が確認できるし、南側には陵を守るためと考えられる堤防も存在している。


 ニュースには、7000万元とある。これは、1999年以来の3号陵整備に伴う1000万元と、2006年から10年にかけて4号陵、6号陵の補強などを行う5882万元の合計ということだろう。日本円にして11億円弱というとあまり大きな額ではないようにも見える。3号陵は、現在もっとも整備が進んでいる陵墓で、西夏王陵観光といえば3号陵の見学になる。


 これは、2006年からの整備対象になっているという4号陵。2005年に現地を見た限りでは、周囲にバラ線が張られ、一部に補強や復元が行われているように見えた。


 こちらが6号陵の陵台。2005年当時、バラ線などの囲いはなく、直接観察することができた。風化が原因なのか、陵台の崩壊が進んでいた。6号陵に適切な保護が加えられて現状が維持されればと思うが、6号陵の近くにあってより破壊が大きい5号陵に触れられていないのは何故だろう。


 西夏史研究の大家李範文氏は、ニュースの中で次のようにコメントしている。

 兵馬俑が秦漢の文化の代表であるように、西夏王陵は少数民族文化の代表で、全世界でここにしかない。もし保護を強化しなければ、今後西夏の歴史文化研究の全体に致命的な打撃になるだろう。
やや大仰な物言いとも思うが、適切な保護が必要なのは確と思う。昨今の中国の情勢では、歴史テーマパーク化するのではとの懸念をしてしまう。ただ、3号陵の整備が陵そのものは部分的な復元や参道の整備に留まり、大袈裟なのは陵園の入り口や博物館周辺の方なので、テーマパーク化は辛うじて避けられている。また、歴史テーマパークという点では、銀川市郊外の別の場所に西夏影視城(上記ブログの続編宁夏行之六-----参观西夏影视城参照)があり、さらに別の場所に西夏陵の復元が進められているというニュース(この話は現在追跡中で、新しい話が出てきたら紹介する予定)もあり、遺跡そのものをテーマパークする意義はあまりないだろうと期待しておきたい。


<参考>
 西夏史への招待 西夏陵

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2008年8月29日

スペースデブリ

ロシア宇宙局、デブリとの衝突回避のため国際宇宙ステーションの軌道を緊急修正
(technobahn 8月29日)

 ロシア連邦宇宙局(Roskosmos)と欧州宇宙機関(ESA)は28日、スペースデブリとの衝突を回避するために国際宇宙ステーション(ISS)の緊急軌道修正作業を実施したことを発表した。

 同ニュースには、過去1年半で4件のデブリ関連のニュースがリンクされている。

 プラネテス(幸村誠著 講談社)の連載が終わって4年。2年で4件では、まだ商売にはならないが、さほど遠くない未来(オラネテスの時代設定は70年後)に普通の人が仕事で空に上がる時代が来るのだろうか。やっぱり、一度くらは行ってみたいよなぁ。

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2008年8月27日

アフガニスタン邦人殺害事件

 拉致の第一報を知ったのは、アフガニスタンなどで活動をされている別のNPOの方のブログだった。世に報じられることなく、NPO、協力隊、JICAあるいは個人として地道に活動されている方は沢山居られることと思う。昨今では、このブログの様に現地から情報発信される方が増え、単に見知らぬ地の情報に触れられるばかりでなく、活動の分野と地域の広さに目を見張る思いでいる。


アフガン山中で拉致された日本人発見、遺体収容し下山へ=州知事
(ロイター 8月27日)

 既に報じられたように、事態は残念なこととなった。こういう言い方で伝わるものかどうか、自分は他人事として言い尽くせないような思いを感じている。なんともおかしな言い方なのだが。

 既に四半世紀、アフガニスタンで活動してきたペシャワール会のこと、治安の悪化が伝えられていたとはいえ、事件は起きないに違いないという期待はあったものの、残念ながら例外とはならなかった。ただ、事件の情報は錯綜していてまだ不明なところが多い。上のロイターの記事中には、

 反政府武装勢力「タリバン」は、伊藤さんの拉致に関して情報を持っていないと述べた。
とあるものの、

 男性の拉致については、タリバンが犯行声明を出している。
アフガン治安部隊、拉致日本人救出のためタリバンと戦闘中 現地警察発表 (AFP 8月26日)

というのもある。ペシャワール会の中村哲氏は、インタビューの中で次の様にコメントしている。

 犯人が村人に追われて逃げる途中、(伊藤さんは)撃たれて死亡したようだ。単なる強盗、身代金目当てで、政治的なものではないと思う。
「治安悪化の認識甘かった」=ペシャワール会の中村代表−アフガン邦人拉致・タイ
(時事通信 8月27日)

タリバンというのは、裾野が広くて雑多な集団と見られているので、例え犯人がタリバンに繋がっていたとしても、中村氏の見立てが正しい可能性は十分にある。政治性がなければ単なる事件・事故と見る事ができるとはいえ、治安の悪化が深刻であることに変わりがない。ただ、その社会的な背景がわりと明瞭なだけに、余計に煮え切らない物が残る。


 これからどうなって行くのかということになる。アフガニスタンの状況が悪化するままに世界から忘れ去られるというのが最悪である。目先のこととして、それに対処していこうという活動を基本的に自分は支持する。また、中村氏が厳しい判断を迫られているとはいえ、どんな決定を出したとしても氏と会を支持していけると思っている。


 既に事件を元に様々な論評が出てきている。たとえば、以下のようなコラムがある。

 福岡市の非政府組織(NGO)「ペシャワール会」の伊藤和也さん(31)が拉致されたアフガニスタンでは、反政府武装勢力タリバンの活動が活発化、駐留米軍などとの戦闘が激化の一途をたどっている。日本の国際貢献の中核を担うはずの自衛隊は、憲法上の制約などから部隊派遣に踏み切れない状況で、危険と直面しながら民間NGOが活動を続ける国際貢献の「ねじれ」が、事件の遠因にあるとも言える。
アフガン邦人拉致 危険覚悟のNGO活動 自衛隊は派遣できず 国際貢献に課題
(西日本新聞 8月27日)

 自衛隊の派遣に反対し続けてきたペシャワール会に、自衛隊派遣前提の論評というのはかなり奇異に見えてしまう。また、貴い命とはいえ、これを期にと危険が強調されることも単純に過ぎる。自衛隊にペシャワール会のような活動が不可能であることは、イラクの実績で既に明らかなこと。このような記事が増えて、事態あらぬ方向に流れないことだけは特に願っておきたい。

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2008年8月14日

スラブ・ ユーラシアの今を読む

 スラブ研究センターのHPに、スラブ・ユーラシアの今を読むと題するコラムの第1回と第2回として、廣瀬陽子氏と宇山智彦氏のグルジア・南オセチア関連の一文が掲載されている。

最近のグルジア情勢によせて
 廣瀬陽子

南オセチア紛争:非承認国家問題の正しい理解を
 宇山智彦  

 短文ながら、広い視座で簡潔に纏められている。「非承認国家・未承認国家」、「凍結した紛争」、「GUAM」と「民主的選択共同体」、「BTCパイプライン」などなど初めて聞くような用語が解説されていて、一連の問題を考える上で示唆に富む内容となっている。


 やや細かい部分だが得心いった点のひとつが、宇山氏が触れた「南オセチア臨時行政府」のところ。今は、Wikipediaの南オセチア紛争でも簡単に触れられているが、ネットを検索してみる限り数日前まで日本語での解説は一切無かったと思われる。Wikipediaに載っている地図にグルジアが実効支配しているエリアが図示されているが、その塗り分けがどこまで実態を反映しているのかは分からないものの、州都ツヒンバリと臨時政府所在のクルタが対峙している様子を見て取ることができる。

 それを前提にすると、先日のエントリーに書いた「ロシアからの支援道路」が、グルジア軍に包囲されているツヒンバリと北部地域やロシアとを結ぶために、山中を迂回して造られたという解釈で間違いように思われる。

<Google Map>
 グルジア-ロシア紛争関係Google Mapで見る南オセチア 2
 関係する地名を追加しました。

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2008年8月12日

南オセチアをGoogle Mapで見る

ロシア大統領、グルジアへの軍事作戦停止を指示
(AFP 8月12日 19:13)

 ロシアのドミトリー・メドベージェフ大統領は12日、グルジアに対する軍事作戦の停止を決定したと発表した。
 10日にグルジア軍が南オセチアの州都ツヒンバリからの撤退を始めてから丸二日、今度こそ収束に向かうだろうか。この間、ロシア軍はトビリシ近郊を空爆、黒海の封鎖を実施したほか、グリジア領内、ツヒンバリに近いゴリ、黒海沿岸のポチ、西部のグルジア軍基地があるセナキ、アブハジアに境する街ズグディディへ侵攻したと伝えられている。

ロシア軍、グルジア海軍艦艇を撃沈 空港への空爆も
(AFP 8月11日 06:43)
露、グルジアの4都市に侵攻、首都攻防の懸念
(産経新聞 8月12日 10:58)
ロシア軍「セナキを撤退」 アブハジアでは掃討作戦
(朝日新聞 8月12日13:26)

<Google Map>グルジア-ロシア紛争関係


 ところで、一昨日のエントリ−を整理していて気になったのが南オセチア州と州都ツヒンバリを巡る地理的なこと。地図をただ見ていてもぼんやりとしか見えてこなかったが、家一軒一軒が確認できるという威力なのか、Google Mapの航空写真を見ていると、かなり具体的な現地を見ることができるので、そこに地図にはない実物感を感じ取っている。細かく調べ始めると、すぐに解像度、撮影時期が不明なこと、現地を全く知らないこと、ほぼ真上からしか見えないことなど、限界もまた実感できるのだが。それでもじっくりと読み解くと、世界地図帳からの空想では限りなく不可能なものを見ることが出来るように思う。


 まず、州都ツヒンバリについて。州内での州都の位置関係については、ウィキペディアの南オセチア紛争 (2008年)に添えられている地図を見るのが手っ取り早い。州都「Tskhinvali」は、州域の南よりにあり、すぐ南に州境があるのがわかる。この地図を頭に置きながらをGoogle Map見てみる。


大きな地図で見る
 ほぼ中央に州都ツヒンバリがある。上に見える白い山々がカフカス山脈。真ん中下寄りに左から右へ川(クラ川)が流れていて、これを底辺した三角形が見えないだろうか。この三角形がツヒンバリを含む盆地の形そのものだ。ツヒンバリは三角形の上の頂点に近いところにある青色の点。ここでひとつ言えることだが、南オセチア州の南にある州都が盆地の北端近くにあるのだから、南オセチア州北側の過半が山岳地帯ということになる。その位置にどんな歴史的経緯があり、意味があるのか全く知らないのでその点は放置する。カフカスを北へ越えればロシアである。

 次に上のニュースにも出て来る、ロシア軍が攻めたというゴリが下の方に見えている。川沿いに二つあるピンク色の点の右側がそうだ。ゴリは、ツヒンバリから流れてくるクラ川の支流が合流する場所にあ。Google Mapで距離を測ってみると30kmほど。拡大して川沿いにゴリからツヒンバリへ向かうと、緑に包まれた村と田園が交互に続く。自分は、奇麗な田園風景だと思った。この僅かな距離と緑の風景の中で、ここ数日の紛争が続いていたはずである。

 このくらいの航空写真では、詳しくないと軍用車両が見分けられるわけもなく、よくよく見た所で緑の田園風景にしか見えない。ただ、地図よりは実物感があるということ、それが手軽に見られるということが、毎度のことながら凄いことと思う。


 あと、細かい話をもう少し。この航空写真がいつ撮られたものかということは分からないが、南オセチアの独立運動が始まるよりも前ということはないだろう。根拠はないのだが、古くても5年内外だろうと想定している。その点では、ツヒンバリとゴリの間に係争に関わるもの、具体的にフェンスやバリケードの様ないかにも国境というものがあるのかと思った。しかし、少なくとも線ととして長く続く固定的なものは読み取れなかった。

 南側からツヒンバリに入る道を追ってみると、なんとなく街に入る手前あたりで道の質が落ちているように見えるので、結果的にか実態としてかはわからないが、南北の行き来に障害があることが想像できる。


大きな地図で見る
 これは、クラ川支流の東側を南北に走る道がツヒンバリの市街へ入る手前のところ。土嚢かなにかが並べられているように見えるが、どうだろうか。



大きな地図で見る
 この写真真ん中は、ゴリから続く鉄道の終点にある駅、勝手に名前をつければツヒンバリ駅である。この水色?の屋根の大きな建物は駅舎だろうか。回りを見ると、構内の広い駅なのに客車も貨車も機関車も見当たらない。線路はあるように見えるが、南へ追って行くとやがて薮の中にほとんど隠れてしまう。もう少し南へ行くと、途中から線路がはっきり見えて来る。グルジア側ではそれなりに線路の保守が行われているのだろう。ただ、列車が走っているかどうかは分からない。



大きな地図で見る
 次は、ツヒンバリの北西、山の中に伸びる道。道の法面がまだ白いことから、10年内外に造られた、あるいは大幅に改良された道ではないかと想像する。この道を北へと追って行くとやがて川沿いの道へと繋がり、その道をさらに上流へ行くとロシアとの国境近くまで続く。解像度が悪いこともあって峠は正確にはわからないが、わりと整備されたロシアからの支援道路とみて間違いないだろう。

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2008年8月10日

グルジア情勢

南オセチア州都に進攻=村を空爆、住民15人死亡−グルジア
(ロイター 8月8日 12:58)

 7日夜、グルジア軍が州都ツヒンバリを包囲、市内へ向けて進攻するとともに、8日朝には空軍機5機が自治州内の村を空爆した。
 このニュースを読んだのは、8日の深夜のことだった。オリンピック開幕関連のニュースが賑わうなかで、「何故今」ということと、内容を見る限り小競り合いを越えているという事態にかなりショックを受けた。以下、ニュースサイトを辿りながら整理を試みる。


グルジアと南オセチヤ境界で銃撃、自治州側兵士6人が死亡
(読売新聞 8月2日19:07分)

 インターファクス通信などによると、グルジアと同国からの分離独立を主張する南オセチヤ自治州の境界地域で、1日夕から2日朝にかけてグルジア軍と自治州独自部隊の間で銃撃戦があり、自治州側の兵士ら6人が死亡、15人が負傷した。グルジア側では4人が負傷した。

南オセチアで独立派勢力と治安部隊が交戦
(毎日新聞 8月7日 10:38)
 グルジアからの分離独立を求める南オセチア自治州で6日、独立派勢力とグルジア治安部隊が交戦し、本格的な戦闘の再燃が懸念されている。
 7日夜の州都ツヒンヴァリ攻撃のニュースが伝わり始めたのが日本時間で8日になってからだったが、この2つのニュースはそれより早く今月頭から既に戦闘が始まっていたことを伝えている。これは、1日頃から小規模な戦闘が続いていて、それを引き金として7日夜の本格的なグルジア軍の侵攻に発展したということになるのだろうか。


国連安保理、南オセチアでの戦闘停止呼びかける声明で合意できず
(ロイター 8月 8日 16:58)

 7日(アメリカ東海岸時間か?)中に動き出した安保理だが8日になっても合意ができなかったとのこと。


ロシア戦闘機がグルジアを空爆、安保理会合は決裂
(AFP 8月8日 19:50)

 グルジア内務省は8日、ロシア軍の戦闘機3機がグルジア領内の軍事拠点を爆撃したとAFP記者に明かした。
 これは、南オセチアに駐留しているロシア軍とは別に、恐らくはロシア本国からの空爆を伝えていると見られる。


南オセチア、本格交戦も=ロシアが軍事介入−グルジア、総動員令
(時事通信 8月9日 1:30)

 ロシア軍の戦車や装甲車数十両が南オセチア州都ツヒンバリ近郊に到達したのが目撃された。
 ロシア軍は空軍だけでなく、カフカスを越えての地上増援部隊の派遣にも踏み切り、はやくもツヒンバルに入ったということだろう。


ロシア首相、北オセチア電撃訪問=グルジアで戦闘の軍鼓舞
(時事通信 8月10日 0:22)

 8日のオリンピック開会式に出席していたプーチン首相は、翌日には係争地の北側、北オセチアの首都入り。


アブハジアでも戦闘、安保理会合は停戦要求で合意できず 南オセチア情勢
(AFP 8月10日 9:49)

 グルジア国内で南オセチア同様に分離・独立を目指すアブハジア自治共和国にも軍事衝突は飛び火した。同自治共和国政府はグルジア軍への軍事行動を開始したと発表。
 これは、グルジアが抱えるもうひとつの係争地、アブハジアでの戦闘を伝えるニュースで、陽動とも漁父の利狙いとも取れる。既にコドリ渓谷へロシア軍による空爆があったことを伝えるニュースもある。

 Upper Kodori Attacked(Civil Georgia 英文)


「南オセチアから部隊撤退」とグルジア当局者
(CNN 8月10日 16:12)

 グルジア当局者は10日、同国部隊が南オセチア自治州の州都ツヒンバリから撤退したと述べた。
 ロシアの反攻が早くかつ強力だったということだろうか。このコメントどおりなら、本格的な開戦から3日で収束に向かうことになる。グルジアは、なにも得る物が無かったということになりそうだ。


 とりあえず悪化が防げればまだマシと思うが、20年来という争いは簡単には解決しそうにない。グルジアがオリンピックの最中を狙って、有利な停戦調停を目論んだとも考えられるが、経過を見る限りあまりその可能性は無いのではないかと自分は考える。

 民族対立という言葉は使いたくない。その「民族」が言い表している大きさが小さくなるほど地域コミュニティーや部族といった概念との境が曖昧になるようには思う。それでも、宗教や経済の問題も丸め込んで「民族対立」と表現してしまうのは安易と思うのだ。

 また、グルジアを巡る南オセチア、アブハジア、パンキシ渓谷の各紛争のいずれにもロシアが絡んでおり、単にロシアが各民族を支援(パンキシ渓谷の場合は逆)しているだけでは済まない問題であろう。近くには、以下のようなニュースがあり、安保理が結局機能しなかったのも昨日今日の話ではない。

ウクライナとグルジアがNATO加盟なら軍事的措置も=ロシア軍参謀総長
(ロイター 4月11日)


 ニュースを纏めるといってもニュースを流し読み、ネットで情報を漁る程度では表層的に留まるのが限界である。地名や用語を調べようとしても、わりと早く壁にぶつかる。この地域の複雑さや日本からの遠さを実感してしまう。諦めてもしょうがないので、少しでも勉強してみようとは思うのだが。


<Google Map>
グルジア-ロシア紛争関係

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2008年7月17日

野茂英雄引退

 野茂英雄投手が引退=日本人メジャーの先駆者、日米201勝(時事通信社)

 日本人選手の米大リーグ進出の実質的なパイオニアとなり、日米通算201勝(155敗)を挙げた野茂英雄投手(39)が現役引退を決意した
 一度球場で見てみたいと思っていた選手のひとりだったが、ついに実現せずにこの日が来てしまった。野茂というと中国のウルムチを思い出すというのがいかにも自分らしい。彼がアメリカへ渡り、早速大活躍して話題になったのが1995年、自分が大陸を旅行中のこと。中国ではあまり出会ったことのないアメリカ人バックパッカーとウルムチのホテルで同室となり、野茂を種に野球の話をしたことを良く覚えている。

 桑田の引退など、いよいよ残り少なくなってきた同世代選手の引退という寂しさがあるが、野茂ならきっとまた話題を提供してくれるに違いない。


 野茂の年度別成績(時事通信社)

 勝ち星は多いが、結構負けも多く、奪三振も多いが、四球もそこそこ出していて防御率ちょっと高めというところがいかにも波瀾万丈な野茂らしい。といいながら、通算奪三振3122、防御率3.86は凄い数字だな。

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2008年7月14日

アフガニスタン関連ニュース

 7月に入って、アフガニスタン関係のニュースが連日のように伝えられている。戦闘やテロに関わるものについて、起きた日順に並べると以下のような状況。

1日
 アフガニスタンでタリバン33人殺害、多国籍軍発表(AFP)

4日
 アフガン駐留米軍、武装勢力の車両空爆と 民間人死亡と州政府(CNN)

5日
 アフガニスタン・カンダハル州選出下院議員が銃撃され死亡(読売新聞)

6日
 アフガニスタン東部で多国籍軍が空爆、民間人22人死亡か(AFP)

7日
 アフガニスタンのインド大使館で自爆攻撃、41人死亡(ロイター)

13日
 アフガニスタン国際治安部隊10人死亡、1日の死者数では最悪規模(AFP)
 アフガンで自爆テロ、20人以上死亡(CNN)


 4日と6日の空爆については、アフガン政府調査チーム報告(AFP)が報じられ、合わせて民間人64人が死亡したという。死者の数や事件の内容がややセンセーショナルというのもあって目につく報道がされているのかもしれない。治安の悪化は以前から報じられていたことで、急速に悪化しているというわけでもないと思うが、混迷の度合いが深いのは確かだろう。


 この間、日本国内の自衛隊派遣問題やサミット関係以外でも、アフガニスタンを取り巻くニュースは以下のようにいくつも報じられている。

3日
 米海兵隊2200人のアフガニスタン駐留期限を延期、11月まで(AFP)

10日
 英国防相 イラクよりアフガン懸念(産経新聞)

11日
 テロ組織掃討に全力 米・パキスタン外相会談(産経新聞)

13日
 米がアフガン増派を準備か イラクからシフト?(産経新聞)

 アメリカとイギリスのアフガニスタン駐留に関わるニュースが続く。しかも増強というものだが、軍事力でどこまで事態が好転するのだろう。

 イギリスの国防相のコメントについて産経新聞の記事は短いが、イギリスのDaily Telegraphには駐留の継続について以下のようなコメントが載っている。この後でイギリス軍が抱える問題点などにも触れていて、さほど強気という感じはしないが、余計なお世話じゃないかとは思う。

 Let us acknowledge that this is a long term and challenging enterprise.
 (これは長期のやりがいのある事業であると認めよう。)

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2008年7月 8日

中国四大美女

 (前略)歴史的な絶世の美女とされる王昭君の像が登場した。中国は早くから王昭君を民族親善のシンボルと位置づけているが、モンゴル族には不満を口にする人もいる。
 内モンゴルの聖火リレーに「歴史的」絶世の美女登場(中国情報局)

 王昭君は美人だったのだが・・・という話はわりと有名と思うが、中国四大美女の一人に数えられているのは知らなかった。まして、枕流亭ブログ[電子画像]中国史上の三十四人の美女で紹介されている34人となると知らない人の方が多い。名前は知っているが、美人だったのかという人もいるが・・・

 ニュースの話については、どこにでもありそうな詰まらない話。民族とか中国とかモンゴルとか並べ立てるのは全く現代の概念である。まして、政治の贄にされた人を今また道具として使うなどセンスが疑われる。


 フフホト市郊外には「王昭君の墓」とされる遺跡があるが、王昭君の墓との言い伝えがある場所は、他にも多く存在する。
 記事の最後にこのようにある。1995年にフフホトの南郊で撮った下の写真は、王昭君墓としては一番有名な所と思う。


 最近はどうなっているのだろうと思って、ネット上を色々と物色してみるとなかなかに面白い。

 俯瞰昭君墓境觀 (Resize of P1020213)

 リンク先の写真には、2005年7月26日とある。墳丘の上から撮った写真だが、これだけでももう95年の面影がないほどに変わっている。

 王昭君墓(KYCHU さんの公開ギャラリー)

 こちらは、2006年7月14日とのこと。この間1年の変化は凄いのなんの・・・

 参观王昭君墓(郑严的博客——我看到的长城)

 3つ目が、2008年4月2日の日付のブログ記事。完成後というところか。各地でテーマパーク化というのはちらほら聞く話。



大きな地図で見る

 Google Mapのこの写真も3年以上前ということになる。

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