2009年7月12日

マルワリード用水路

 アフガン用水路が完成へ 6年かけ、ペシャワール会
(47NEWS 6月6日)

 ひと月も前のニュースになるが、アフガニスタン東部で続けられて来たマルワリード用水路開削事業が竣工したとのこと。これは、6月6日に福岡で行われたペシャワール会主催の現地報告会にて、中村代表がビデオレターにて報告されたもののようだ。5月27日発行のペシャワール会報号外によれば、6月15日予定とあるので10日早まったということだろうか。

 何度かテレビ番組などで報じられておりご存知の方も多いことと思う。同事業は、2003年より荒廃した農村の復興を目指して進められて来たもの。全長約24キロメートル、現在までに22平方キロメートルに灌漑しているという。さらに同水路末端には、水路事業職員を中心とした入植者による自立定着村の開墾地として、2平方キロメートルへの灌漑も計画されている。


 以前この件について、会報を手がかりにGoogleMapを探してみたものの、航空写真の画質が粗いこともあって大まかな場所は想定できるものの、詳細な位置あるいは用水路そのものを特定することはできなかった。しばらくぶりにGoogleMap見てみると、当該地のデータが更新されていて、用水路そのものまで見ることができた。以下水路工事進捗報告ペシャワール会 現地報告)および、同会関係者のものかと思われるブログジャララバードで独り言を手がかりに、GoogleMapに用水路を追ってみた。

 資料によれば、用水路は東端部のジャリババ取水口からクナール河の水を取水し、全長24キロメートルで落差わずかに17メートルとほとんど平坦なルートを取り、西側に広がるガンベリ沙漠まで続く。上流からA、B、C地区と区分けされていて、沙漠の入り口に当たるQ地区、さらに沙漠を横断する部分がS地区となっている。A地区からK地区までが第一期13キロメートルで2007年の4月に竣工、L地区から先が第二期分として今夏竣工した部分となる。なお、昨年の段階で一部事業変更がなされたようで、より詳細な報告が100号目となる会報にて報じられるとのこと。

 GoogleMapを見ると、A地区からH地区の途中まで水が入ってることが確認できる。この間、G地区分水門からは、分水路へと分水されている様子も伺い知れる。この分水路は、一番上流に位置するものとのこと。この先J地区あたりまで水路を追うことができることから、一帯の航空写真が2005年の終わりから2006年初めにかけてのものと確認できる。


 灌漑には、単純には肯定できない負の面もあるので、現地を知らない自分としては無条件の賞賛は控える。ただ、一人の人の意思として始まり、様々な悪条件の中にもかかわらずこれだけのことを成し遂げたということ。ただそのことについて、尊敬と羨望が混じるのである。

 GoogleMapのデータは、次はいつ頃更新されるだろう。何年か先には、緑の耕地と村に変貌を遂げたガンベリ沙漠が見られるだろうか。


<追記> (7月18日)
 記事をアップして数日で関係エリアの中央部のGoogleMapデータが更新されました。プロットがずれたため修正を加えましたが、解像度が上がった変わりに撮影日は古いものに変わってます。少し不可解ですが。



より大きな地図で マルワリード用水路 参考地図 を表示

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2008年12月31日

2008年の御礼

 当ブログは、これまで3年続いてきました。自分の事ながら、良く続いているものと思います。

 エントリ数が600を数え、内容が有ってか、タイトルに釣られてか、オープン以来でのべ10万アクセスを越えるまでになりました。今年ご来訪頂いたみなさまに感謝いたします。


 今でも歴史の話題を中心にしたブログと思っていますが、今年は歴史以外の話題が多く、中でもここ数ヶ月はリニア中央新幹線関係のエントリを多くの方に読んで頂くことが出来ました。

 「西夏と年号」「2008年秋 スペインの旅」を年内に終わらせるという目標は、遥かに届かない結果となりました。春までには、結果を出したいと思っています。


 どの程度意味が有ったのか無かったかは問うことなく、来年もまた思うままに書き続けて行く予定でいます。

 また、是非お立ち寄り下さい。

 新しい年が良い年でありますように。


 新年の干支にちなんでインドの聖地バラナシ、ガンジス川の畔で撮った一枚を。

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今年の西夏成果

 今年もいろいろなところへ旅をすることができた。以下経県値などの結果を総括。

 ゴールデンウィークには、北陸巡りとして未宿泊だった石川県下を中心に能登までを回った。経県値&経県マップで採点すると、経県値は1点増えて192点『武藤 臼の経県値&経県マップ』。残る未宿泊地のうち滋賀県は来年の最初の目標。


 次は、3月に自作した国内旧国版経国マップの更新。ゴールウィークの旅行で、加賀と能登が宿泊に昇格、帰りに通過した若狭が通過に昇格した。さらに、11月の壱岐出張でこれまで一つも踏み入っていなかった島国をひとつ攻略できた。3月の時に291点だったものが、304点と300点突破。来年の目標は、若狭、淡路、備中、備後あたり。

居住(5点)6
宿泊(4点)56
訪問(3点)14
接地(2点)3
通過(1点)2
未踏(0点)3
 
 

 



  陸奥



 
 
 



 
 

 
 





 









 












 









駿

 
 

 





 



 

 
 

 

 

 



 最後に、世界の経国マップ。これは、World66で作る。

 9月のスペイン旅行の時に、行程の都合でフィンランド、ポルトガルにも立寄れた。下の地図では、小さくてほとんど分からないが、ジブラルタルも加算されている。全部で日本を含めて14か国。今のところ、来年の渡航の予定はない。


<追記> (1月5日)
 国内旧国版経国マップで「志摩の国」が抜けてたことに今頃気がついたので修正しました。点数も微妙に変わってます。

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2008年11月24日

バダインジャラン沙漠700km

 写真が奇麗だったので、中国の可可西里というブログの記事紹介。

 第四天 银川 阿拉善左旗 腾格里 巴丹吉林沙漠 额济纳

 10月に、重慶から延安や銀川を経て4日間で内モンゴル最西部のエチナ旗まで2500kmをドライブしたという話の4日目。朝に銀川を立って賀蘭山を越え、アラシャ(阿拉善)左旗を経て、バダインジャラン(巴丹吉林)沙漠を走破して午後3時にはエチナ(额济纳)旗の中心达来布库镇へ到着したという。大陸ならではの豪快なドライブ。羨ましく真似してみたいとも思う。

 とえいあえず、こういう写真があまりタイムラグ無く(多分)見られるのが有り難く、また楽しい。写真一枚目は、西夏陵1号陵と2号陵を南東側から遠望したところ。右手前が1号陵。

 真ん中あたり、「在走几公里就看见胡杨了」から下に、黒河の下流エチナ河沿いに広がる胡楊の林の紅葉写真が続く。どうも、今年の京都の紅葉が外れに思えるせいか、夕日に映える胡楊がよけいに奇麗に見える。


 黒河というと、一昨年のNHKスペシャル新シルクロードシリーズの中で、流水の激減が報じられていたのを思い出す。この一連の写真がエチナ河のものであるとして、河には水があり緑も豊に見える。秋10月、もう農閑期だから上流での取水が減少しているとも、また取水制限が功を奏しているとも、あるいは黒河の水量がたまたま多いとも考えられる。緑が豊なのは、水の恩恵なのか、はたまた写真に写っている範囲ではということか。


 筆者はカラホト遺跡には行っていなのだろうか。あるいは、5日目に登場するのか。先日某勉強会会長から、カラホトを見に行くなら早い方が良いと言われた。観光開発の名目によるテーマパーク化は依然として各地で見られるようなので、そうだよなとは思う。さて、いつ実現するか・・・実現させようか。


<Google Map>
 エチナ旗の中心達来呼布鎮

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2008年10月 8日

豊臣秀吉、大石内蔵助、尼子経久・・・

 緒形拳氏死去のニュースにはかなり驚いている。Wikipediaによれば、氏が出演した大河ドラマは9本。真っ先に思い出すのは豊臣秀吉役だが、出世作として知られる1965年放映の太閤記は見ていない。自分が知っているのは、1978年放映黄金の日日の中の秀吉。歴代秀吉役の中で最も格好良かったと思っている。その格好良さと晩年期の悪役振りの対称さと壮絶な最後は良く覚えている。

 氏の演技は、この他も目や耳が結構覚えている。1982年の峠の群像では、最終回、切腹へと向かうちょっとさばさばした大石内蔵助の姿を思い出す。1997年放映毛利元就の尼子経久役は、これも少し格好良すぎないだろうかと思って見ていた。主役に情けなさが残っているので、よけいにそう思えるのかもしれない。

 亡くなられたと聞くと、黄金の日日などは特に見直してみたいという気がしてきた。


 まだまだ早い71年と思う。心よりご冥福をお祈りしたい。

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2008年9月 5日

久しぶりにバックパッカー

 遅めの夏休みが、長めに取れたので放浪の旅に出ます。

 ノートパソコンや携帯電話などは持って行かないので、ネットへのアクセスはホテルとネットカフェ頼み。

 コメントを頂いた場合、しばらく返事ができないかもしれません。ご容赦下さい。

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2008年9月 3日

サンダーフォースに西夏文字

アイエヌエイチ、池袋ギーゴ「3大シューティング祭り」 会場に200人以上のファンが集結!
(GAME Watch 9月1日)

 最近ゲームをする機会がなくて縁が無い話ではありますが、10月30日発売予定というPS2の「THUNDER FORCE VI」に西夏文字がでてくるそうです。

 だから、今『読めない字が出てくる』って皆思ってるだろうけど、あれ実は中央アジアで今は絶滅しちゃった西夏(せいか)文字を使っています。西夏文字って最近まで解読されてなかったんだけど、大学の先生のところで訳してた。だから、今回のエンディングとか、あそこらへんはサンダーフォースが好きな人ならグッとくる言葉が“すべて異星人の言葉として”きちんと言語体系、文字体系をもった言葉として翻訳されてます。
 この文章、長文な上に南海で、前後を読んでもさっぱり要点が掴めなかったんですが、適役の宇宙人が西夏語を話して西夏文字が出て来るということ?

 あと、モンゴル文字やモンゴル語、パスパ文字とかも出て来るそうで、こういう凝り性な設定は好きです。ちょっと声聞いて画面見たいと思うけど、PS2には全く縁がないので機会はないかもしれない。


<追記>
 ファミ通.comプロモーションムービーを発見。

 最初の画面、左側に縦に西夏文字が3文字。上から樹、星、也といった意味なので、「木の星です」あるいは「緑の星です」といった感じ。1文字目の下にある「Jungle Stage」の意訳といったところか。

 もう一か所、57秒あたりから2度表示される警告メッセージみたいなの。横書きで3行出て来るが、真ん中の6文字と付属の英文はちょっと判読しんどい。1行目は、頭を挙げるという意味で転じて「注意」。これも「Danger」にそのまま対応。3行目は、1文字目と2文字目は共に敵という文字で二字熟語でも敵あるいは敵軍。3文字目が来るという意味なので、3文字で「敵が来る」となる。1行目と3行目で「注意せよ ・・・ 敵が来る!」てな感じかな。

(9月4日)

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西夏文字Tシャツ(続報)

 以前紹介した西夏文字Tシャツを販売しているショップもじもじのサイトがオープンしたので、お知らせてしときます。

 ショップもじもじ

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2008年8月18日

南欧西夏

喬治亞軍隊撤出南歐西夏首府
(中央廣播電台)

 10日あまりが過ぎ後はロシア軍がどこまで撤退するのか、という辺りの駆け引きがニュースの中心になってきたグルジア情勢。どういう形に収まるのかまでは注視していこうとは思うものの、事件についての解説記事やブログが増え、このブログで採り上げることには一応区切りがついたと見ている。以下はまったくの余談。


 南歐西夏、この文字を検索サイト上で見かけた時は、これがグルジア関係のニュースとも思わず、かといって西夏と南ヨーロッパの関係というのも意味不明で見流していた。それでこれが「南オセチア」と読むと気づくのに少し時間がかかった。そもそも、中国語のニュースサイトで探すニュースは中国関係のものに限られるので、カタカナで覚えている固有名詞にどんな漢字が当てられているかさほど気にしたことがない。

 なにやら、これも西夏の縁ということで、グルジア情勢関連ニュースから地名を探してみる。

 喬治亞:グルジア
 特比利西:グルジアの首都トビリシ
 南歐西夏:南オセチア
 茨欣瓦利:南オセチアの州都ツヒンバリ
 哥里:ゴリ
 波蒂:ポチ
 北歐西夏:北オセチア
 阿布卡西亞:アブハジア
 卡多里峽谷:コドリ渓谷

 台湾の中央廣播電台に限定してみても南オセチアが「南歐希夏」、ゴリが「戈里」と書かれているものがある。これが中国になるとまた異なる。

 格魯吉亜:グルジア
 南奥塞梯:南オセチア
 阿布哈茲:アブハジア


 中華書局などが出版している中国の古典歴史書では、固有名詞に下線が引かれているので固有名詞に苦労することはあまりない。日常生活の中で固有名詞を読み分けるという作業は、慣れという範疇を越えているように思われるのだが、苦労はどれくらいのものだろう。


<参照もと>
全面備戰 阿布卡西亞下達軍事動員令
躱避戰北歐西夏計劃接收2000名南歐西夏居民
俄喬停火似能維持俄軍仍留駐喬治亞
俄國空襲喬治亞 國際社會加緊調停
50多架俄機轟炸喬治亞首都特比利西
(以上は全て中央廣播電台)
安理会南奥塞梯冲突問題磋商陷入僵局(杭州网)

<Google Map>
 グルジア-ロシア紛争関係

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2008年5月25日

アラル海

 昨日発売された日経サイエンス7月号に8頁の特集で最近のアラル海を紹介した記事が載っていた。しばらくぶりに見る情報で、少し驚きだったのでアラル海の海面縮小について、以下で少し紹介してみる。

 同特集のダイジェストがこちらで読めます。載っている写真は、アラル海南のかつての海岸線。

 以下の内容は、当記事を作成した日のGoogle Mapを元に作成しているため、Google Mapのデータが更新された場合、内容と合わなくなるかもしれません。



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 この画像が現在Google Mapで見られるアラル海の姿。海面の縮小がニュースになってもうどれくらい経つだろう。小アラル海の分離や島の巨大化が話題になったのは覚えている。日経サイエンスの特集には、1976年、1997年、2007年の衛星写真が掲載されているが、このGoogle Mapの画像は1997年のものに近い。2007年のものでは、大アラル海(小アラル海が分離した残りの部分、小アラル海は下記を参照)中の島が完全に陸地とつながり、大アラル海はその部分で東西2つの海に分断されてしまっている。その上水深が比較的浅いという大アラル海の東半分の海面縮小が著しい。


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 こちらが、大アラル海と分離された小アラル海。カザフスタン領になる小アラル海は、堰を築いて大アラル海への流水を止めることで水域として再生させるという計画が、だいぶ前にニュースになった。同特集によると、最近はその成果が現れて漁業などが復活しつつあるという。


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 大アラル海の北にある湾。正確に言うと「あった」ということになるのだろう。同特集の2007年の写真を見ると、この鳥が翼を広げたような湾は、頭の部分を残して干上がってしまっている。


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 同特集では、今はただの陸地になってしまったボズロジェーニエ島にあったという、旧ソ連の実験施設のことが採り上げられている。元島だった部分をざっと見てみて、人工的なものが見つかったのはここだけだった。ここがその施設だろうか?左に見えるナスカの地上絵みたいなのは滑走路の跡だろうか。


<おまけ>
 シル川河口付近アム川旧河口付近クフナ・ウルゲンチ周辺

 アム川の河口は、途中で塞き止められて完全に干上がっている。アム川河口というと、13世紀にモンゴルに抵抗して滅ぼされたホラズムシャー朝の都ウルゲンチを思い出す。今はトルクメニスタン領となった旧ウルゲンチ(クフナ・ウルゲンチ)が、河口からはだいぶ距離があることを確認した。

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