2008年11月23日

(書評)オスマン帝国500年の平和

興亡の世界史10
オスマン帝国500年の平和
林佳世子 著
ISBN978-4-06-280710-4
講談社 2008.10
目次は、本書タイトルのリンク先を参照

 これまでに読んだ興亡の世界史シリーズは、特定のテーマに拠った歴史論を展開するものが多く、通史的な構成の本は少数派のように思う。本書は、政治史のトピックや解説を並べるだけでなく、文化史や社会史、制度史などについての章や段があって、構成だけ見ると王道的な通史に見える。

 形としてはそう見えるのだが、中身は筆者の意気込みが伝わるなかなか興味深いものだった。オスマン帝国ものを読むのが久しぶりだからかもしれないが、筆者が前書きで書いた「近年の研究成果の一端を紹介する」という方向が随所に感じられた。以下、著者のこだわりとして面白かった点をいくつか紹介する。


 まずタイトルの500年。初代のオスマンから数えて第一次大戦までなら600年。本書は、19世紀初頭まで、バルカン半島における分離独立が進んだ頃までを多民族国家オスマン帝国の範囲とし、15世紀初頭までを前史として合わせて500年ほどとしている。


 多民族国家オスマン帝国という点は特に繰り返し述べられていて、例えば前書きには次の一文が載る。

 オスマン帝国は、「オスマン人」というアイデンティティを後天的に獲得した人々が支配した国としかいいようがない。
このような、国民国家成立以前の帝国に対する評価という点はかなり納得できる事で、今の時点として一般書ではこのくらい強調していて良いと自分には思える。

 このことは、その対称にあるオスマン帝国が遊牧民の国、あるいはトルコ人の国ということを否定することを含んでいて、それは本書の構成に端的に現れている。例えば『オスマン VS ヨーロッパ(講談社 2002年)』では、最初の一章で古代のモンゴル高原から建国までのトルコ人の西遷を説いている。それに対して、本書の一章はルーム=セルジューク朝の成立から始まっていて、中央アジアという言葉は辛うじて出て来るがモンゴル高原はでてこないという具合。


 また、構成という点でもうひとつ、通史として政治史の部分では細かい内容がかなり省略されていた。それは、例えば戦争の経過にはほとんど触れずに原因や結果の説明に費やすといったように。具体的な事例紹介を少し省き過ぎという感想を持ったが、読み終わった後はこれはこれで面白いとも思った。「近年の研究成果の紹介」ということの結果なのかもしれない。

 もう一点、社会史部分を中心として女性の登場する話題が相対的に多いという印象を受けた。このバランスもまた、自分には新鮮で面白かった。


 自分にとってオスマン帝国の歴史は、関心はかなりあるものの手が回らないという位置づけで、細かい部分にあまり踏み込めないのでザックリとした感想で終わる。本書は、そういう自分にとって新鮮な内容を含んだ意欲を感じさせるもので、具体的な内容にやや不足を感じるものの、通史の形をとったオスマン帝国論としてかなり面白い一冊だった。展開されている論について奇異な珍説というような印象を受ける部分は見かけなかったのだが、より詳しい方から見るとどうなのだろう。


 本誌挟み込みの冊子連載の「歴史を記録した人びと」の15は、森安孝夫氏執筆の「ペリオ 世界最高の東洋学者」。また、シリーズ次回配本は、13巻「近代ヨーロッパの覇権」、12月中旬予定とのこと。

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2008年11月 8日

(書評)青花の道

NHKブックス 1104
青花の道
中国陶磁器が語る東西交流
弓場紀知 著
ISBN978-4-14-091104-4
日本放送出版協会 2008.2

 ユーラシア史、とくに海を中心とした東西交流史の主要なアイテムとして登場する陶磁器。陶器と磁器の違いとか青磁や白磁がどんな物かくらいまでならなんとか分かる程度。本書を読むまで染め付けと青花が同じ物であることも理解していなかった。陶器屋の店頭で茶碗を眺めるのは好きだが、纏まった本を読んだことがなかった。

 本書は、書名を見て一度読んでみようと衝動買いした一冊。陶磁器の美術、考古、歴史について長年研究されてきた筆者が、その成果を一般書として纏めたもので、白磁にコバルトによって絵付けされた青花磁器を中心に、中国陶磁器の広がりを追っている。


 話は、ポルトガルにある王宮の「磁器の間」の天井を埋めた青花磁器から始まる。まず陶磁器についての研究史、青花磁器の起源、代表的な産地である景徳鎮の歴史と青花磁器を中心とした陶磁器の歴史に触れる。ついで、エジプトで発掘された大量の青花磁器、トプカプ宮殿のコレクション、琉球の青花磁器などの伝世品、出土品の内容や由来の話。そして、世界各地の沈没船から引き上げられたもの、草原地帯の遺跡から出土したものの話へと進み、世界を巻き込んだ青花磁器の発展とその発展的な終焉で終える。

 時代的には、唐の末期から現代までの1000年以上、場所的にもユーラシアの東西を中心にアフリカ、アメリカ大陸までに話が及ぶ。また、産地としては中国が中心で、景徳鎮だけでなく越州、定、龍泉、磁州、耀州などにも触れている。シリーズの規格どおりの一般書で、本文も250ページとそれほど厚くはないが扱っている範囲は結構広い。


 読み終わって思い返してみると、雑然とやや広い風呂敷に整理しきれていない内容という印象が残るが、政治抜きの文化・経済史の本としてかなり面白かった。内容的に一般書なのだが、陶磁器の種類については青花磁器以外については具体的な説明が少なく、カラー写真は最小限で、モノクロ写真もさほど多くなく、本書に度々登場する釉裏紅磁器とか紅緑彩磁器といった陶磁器の種類がどんなものなのかはさっぱりわからない。

 とりあえず字面からなんとなくイメージしながら読んでいたが、不思議とそれがあまり不快でなかった。まったく自分の主観なのだとは思うが。繰り返し出てきたので、用語としてだいぶ覚えてしまった。ネットを開けばいくらでも調べられることでもあり、それはそれで良いのかもしれないと思う。


 ところで、本書で言うところの「海のシルクロード」の向こうを張った「陶磁の道」と言う言葉は、何年か前にはテレビで聞いたように思うが、今も普通に使われているのだろうか。読後のイメージとしては、「海のシルクロード」よりもしっくりくるのだが。

 細かい部分では、ユーラシア周辺ばかりでなく南アフリカやメキシコにまで及ぶ話は自分には目新しく、世界各地の沈没船について触れた8章はとくに面白かった。


 扱う範囲と内容の広さのわりに読んでいてさほど重いとは思わなかった。また、沢山登場する陶磁器用語についての説明は、一般書というにはかなり不親切なのだがそれが不快ではなく、繰り返し引用されることで目にだいぶ焼き付いた。なんとなく陶磁器の世界に踏み入った気分になっている。

 本書の文章の力なのかどうかいまひとつ判断しかねているが、今まであまり感心のなかった世界について、もうちょっと踏み込んでみとうという気を起こさせた不思議な一冊だった。おかげで、先日立ち寄った博物館では他の展示そっちのけで青磁や白磁に見入ってしまた。


<目次>
 序章 王宮の天井を埋め尽くす青花磁器
 1章 「陶磁の道」研究のパイオニアたち
 2章 青花磁器の誕生
 3章 元代の景徳鎮窯
 4章 明代の景徳鎮窯
 5章 青花磁器は海を越えて
 6章 スルタンの中国陶磁コレクション
 7章 琉球王国に下賜された青花磁器
 8章 海に眠る中国陶磁器
 9章 草原世界へ広がる青花磁器の道
 10章 青花磁器のチャイナ・ブーム

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2008年10月14日

(書評)ムガル帝国時代のインド社会

世界史リブレット 111
ムガル帝国時代のインド社会
小名康之 著
ISBN978-4-634-34949-0
山川出版社 2008.8

 書名に「社会」とあるが社会史の本というわけではなく、政治から制度、経済、社会、文化まで広く扱っている。しかも最初に簡単ながら地勢と前史まで載っている。本文わずかに87ページ、参考文献3ページという量。恐ろしくコンパクトに纏めてあるという一冊。

 内容は、下記目次のよう具合であまり付け加えることがないが、政治史的としてムガル皇帝がアウランゼーブより後がほぼ出てこないことは折り込み済みだった。南部諸国への遠征やマラータとの関係などは、その中で上手く纏められていると思う。


 自分的には、ムガル帝国の最盛期までの政治史には興味があるし、イギリスの進出にも多少関心があるが、さほど深い話は知らなかった。まして絵画や建築は何かの偶然に目にしたか、現地で見たことがあるていどで、政治制度は全くわからないという程度。

 そのレベルで見て、政治史以外について知らない情報が簡潔に纏められていて、いわば教科書的によく出来ていて解り易くとても勉強になった。本シリーズの特徴でもある上欄外の用語紹介は、他に増して多いようにも見える。実用性もそれなりに押えられていると言えるだろうか。

 政治史、あるいは歴代の皇帝の名前が並ぶような王朝史という目でみると、入門書としても物足りない。しかし、ムガル帝国時代の歴史全般としてみると、実績の無い皇帝のかわりに宰相や周囲の国の王の名前を押えるなど、本のタイトルに見合ったバランスが取れているとみる。高校教科書レベルよりも詳しい内容の、ムガル帝国を中心とした16世紀から18世紀にかけてのインド史の入門書という位置づけで、手軽で有用な一冊といって良いだろう。


<目次>
  インド世界の形成
 1 中世世界からムガル帝国の確立まで
 2 ムガル帝国の支配機構
 3 ムガル時代の経済発展と首都建設
 4 ムガル時代の社会と文化
 5 ムガル帝国の衰退

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2008年10月 6日

(書評)ジャガイモのきた道

岩波新書 1134
ジャガイモのきた道
---文明・飢饉・戦争
山本紀夫 著
ISBN978-4-00-431134-8
岩波書店 2008.5
目次などがこちらから見られます

 本書は、通史的にジャガイモの歴史を綴ったというものではなく、地域にテーマ絡めた6つの章よりなり、ジャガイモの歴史や栽培、利用方法などわりと広い視点から考察したもの。

 1章では栽培種としてのジャガイモの誕生を農学、生物学的に解説し、2章でインカ帝国を中心としたアンデス地方におけるジャガイモの役割を説き、3章でヨーロッパへの栽培拡大とアイルランドの悲劇を語る。2章は、単に歴史の話だけでなく栽培技術の解説なども交えている。3章がジャガイモの歴史ものとしては、他の本でも読んだことのある展開だが、ページ数的にはさほど多くはなく概略的。

 4、5、6章は、より限定された地域での話になる。日本に触れた5章では、ジャガイモ伝来から現代までの話に触れるが、4章と6章はほぼ現代の話。4章は、ネパールのシェルパの村における生活の中で重要な位置を占めるという話。6章は、ペルーでの大きな高度差を利用したジャガイモを中心とした農業とその問題という内容。


 本書の特徴は、筆者が農学の中でも農業経営論の専門家で、フィールドワークに取り組んできたことにあると自分には思える。本書の中では、4章と6章が長期の現地調査をベースとして書かれている。

 また、筆者の主張として強調されているのが、ジャガイモでも文明を支えられるという視点。伊東俊太郎氏や江上波夫氏による、穀物生産が文明を築いたとする文章を引いて、イモでは文明は生まれないという論に異を唱えている。


 5月にジャガイモの世界史(中央公論新社)を読んだ後、もっとジャガイモの歴史的なものを読みたいと思って買ったのが本書だった。新書版200ページで、上記のように歴史的な内容は前半だけ。その点では歴史ものがまだ読み足りない。

 フィールドワークを基にした4章と6章は、歴史とは別物ながらシェルパとジャガイモという自分には全く未知のものだったこと、ペルーでの多品種を同じ畑で同時に栽培する技術がかなり驚きだったことなどとても興味深い内容だった。また、終章を「偏見をのりこえて」というタイトルをつけるなど、ジャガイモの役割の見直しを強く唱えている点について、「偏見」というほどなのかとも思うが十分に説得力があったと考える。


 ジャガイモの歴史モノはまた探さなくてはと思うが、ジャガイモの話としては全く興味深く読み終わった。旅先で読終わったのだが、その後何度かジャガイモ料理を頼み、今日の夕飯にもジャガイモを食べた。なかなか楽しい影響を残した一冊だった。

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2008年8月26日

(書評)世界史を書き直す 日本史を書き直す

懐徳堂ライブラリー 8
世界史を書き直す 日本史を書き直す
阪大史学の挑戦
懐徳堂記念会編
ISBN978-4-7576-0473-5
和泉書院 2008.6
目次は、上記書名リンク先を参照

 本書は、大阪大学に籍を置く(置いていた)6名の研究者がそれぞれ異なるテーマを設定して、歴史を見る上での新しい視点を示そうというもの。発売されて2か月ほど、既にAbita QurMarginal Notes & Marginaliaなどで取り上げられているが、未読本に囲まれた状況でやっと読むことができた。

 各章の内容を乱暴に要約する。イギリスの産業革命について、中国、インド、アメリカなど世界的な物の流れを見ながら捉え直そうとする1章。10世紀の敦煌での農地所有に関わる訴訟文書を読み解きながら、オアシスに暮らす人々の生活や、祁連山山麓で遊牧する人々との関わりの復元を試みた2章。世界史という広がりを説く上で、海上貿易が果たした役割をアジアを中心として概説的に問い直す3章。武士が台頭した時代という中世像に疑義を示し、神仏習合を中心に宗教パワーを問い直すことで新しい像を示そうとする4章。17世紀に相次いで生まれた清朝と江戸幕府という二つの軍事政権について、その類似性を検証しながら両国の新しい歴史像の提示を試みる5章。19世紀後半から20世紀初めにかけての全盛期イギリス帝国像を政治、経済、軍事などの特徴的な部分を絞りながら、アジア、特に日本との関わり方を捉え直そうとする6章。


 6つの内容は、日本だけを扱ったものが1つ、日本も関わる世界史が3つ、日本が出てこないもの2つという組み合わせで、全体としては時間的空間的な網羅性も特異性もない。文章などの体裁も著者の個性そのままという感じでばらつきがあるが、それが悪いとは思わなかった。新しい視点を提示するという抽象的な企画に、意欲的な文章をオムニバス的に集めたという一冊と見る。

 対象として一般読者が強く意識されたもので、素材的に多少とも難のあるものを、いかにして読み易く纏めるかという工夫が読み取れる。その工夫の仕方もそれぞれ。特に個性的なのが、「帰ってきた男」というタイトルからして思わせぶりな2章。訴訟文書という論文として書かれれば文章読解か類例比較で終わりそうな素材を、想像を膨らませてストーリーを組み上げている。それでいて、実証的な世界からさほど外れていないというなかなかの力作に見える。


 書名からして意図的だが、6章で230頁という量も力まずに読める厚さを意図して絞ったものと思われる。また、オムニバス的とはいえ各章が結構面白かったので、それほどバラバラという印象は残らなかった。

 扱っている時空は結構広いので、章によっては自分の守備範囲をかなり越えている。イギリスが関わる1章と6章、中世日本を扱った4章が特にそうだが、さほど大袈裟な印象は受けないものの、限られた頁数に納める為に単純化している可能性は残るので、機会と時間があればより詳しい本に当たってみたい。

 とはいえ、意図に見合った面白い一冊という評価でどうだろう。歴史好きな者にとってより視野を広げる為の素材として、お薦めめできる一冊と思う。

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2008年8月 8日

(書評)モノから見た海域アジア史

九大アジア叢書 11
モノから見た海域アジア史
モンゴル〜宋元時代のアジアと日本の交流
四日市康博 編著
ISBN978-4-87378-966-8
九州大学出版会 2008.4

 本書は、文部科学省特定領域研究のひとつ、東アジア海域交流の中の海域比較研究の成果の一部として纏められたものとのこと。目次は、上記書名リンク先を参照されたい。目次にあるように、石材、木材、陶磁器、貴金属を素材として交易や交流を説き起こした5つの章と、各地の考古学者を中心とした8人と編者によるQ&A形式の対談を集録した第6章よりなる。Quiet NahooAbita QurMarginal Notes & Marginaliaやまやまの日々雑記の各ブログで紹介されたのを見て、面白そうと思い読んでみた。

 1から5章について、簡単には以下のような内容。第1章は、木材と組み合わせて使われた碇用の石材、碇石について。遺物として残る碇石の形やその広がりから、それを用いた船を想定してその交流の広がりを考察したもの。第2章は、仏教上の交流によって日本から宋へ送られた木材とそれに関わって交わされた文献に関わるもの。第3章は、貿易に関わった陶磁器の中でも交易品そのものとしてよりも、物を入れるために使ったとして著者が言うところのコンテナ陶磁について、その遺物の広がりや産地について考察したもの。第4章は、交易品としての陶磁器の中でも中国龍泉窯の青磁について、砧青磁と呼ばれる花瓶を中心にその盛衰を追ったもの。第5章は、モンゴル時代について中国から中近東に至る銀錠や銅銭の流れについての考察となっている。


 1から5章は、各30頁前後で本書が新書版ということもあり、さほど多い頁数ではない。しかしながら、特定の物に絞ることで、交流の状況を具体的かつ簡潔に纏めている。物としての範囲は狭いものの語られる地域としては日本各地から中国、東南アジア、中近東という広がりを持ちスケールは決して小さくない。自分の興味的にはどちらかというと二の次ということもあり、文化経済な領域は概念的抽象的に過ぎるとなかなか捉えきれないということが多い。本書は、その絞り方と読み易い文章で自分にも把握し易い内容になっている。その上に、碇石とか砧青磁とかどれもさほど馴染みのない物ばかりなので、思いのほか興味深く読むことができた。

 第6章は、上に書いたように対談形式で各4頁程度。やや短く物足りないと言えなくもないが、絞ったテーマについてわりと先端的な考古学の話題が上手く纏められているように思う。こちらは、国内の考古学中心の話だが、硫黄、夜光貝、十三湊と7つきりのテーマながら興味深いものを並べている。


 本書は、文科省関係のプロジェクトものではあるが、論文集的な報告書ではなく、どちらかというと一般向けを意識した入門書という内容。タイトル通りで、特定のモノから海域を通した交流を見て行こうというもの。自分には、その物が具体的にあることでその交流の流れが想像し易い内容だった。考古学的な話が中心なので、波乱も盛り上がりもない話ではあるが、プロジェクトに意図されているような内容を伝えるための入門書として、十分に面白い一冊だった。

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2008年7月 2日

(書評)高句麗と渤海

高句麗と渤海
三上次男 著
ISBN978-4-642-08133-7
吉川弘文館 1992.12

 本書は、1987年に亡くなられた著者が生前に企画されたものとのこと。遺稿の整理を行われた田村晃一氏が書かれた後記によれば、未発表2編(2の2と付篇1)の他、1938年から1974年にかけて発表された15編を再録している。戦中に行われた現地踏査の紀行文的な記録、瓦や建物跡などの考古学的なもの、渤海国の滅亡や安定国についてなど文献を中心としたもの、および付篇として集録された概説的なものと多岐に亘る。

 特に印象に残ったのが紀行文的に書かれた2章「高句麗の遺跡」と3章「高句麗の山城紀行」で、1940年前後に筆者が実際に体験されたもの。この中では高句麗中期の都があった集安(本書内では旧称の輯安を使用)周辺や、中国東北部に残る高句麗が隋や唐と対峙した時代の山城が紹介されている。山城という遺跡に興味が湧くというのもあるが、中国東北部に残る高句麗関係の遺跡で集安よりも西のものの情報が自分には目新しい。

 付篇1として掲載されている「高句麗史概観」は、前史から唐による滅亡までの高句麗の通史的なもの。高句麗の周辺や関係史ということで粛慎や夫余などにも頁が割かれ、中国諸王朝との関係も丁寧に書かれている。50頁余りとほどよい量で、高句麗史概説として分かり易く纏まった一文である。


 高句麗の歴史的な枠組みを考えた場合、世間的には朝鮮史の中で捉えて百済や新羅、倭との関係で解説される方にやや中心があるような印象を自分は持っているが、本書は渤海との関係ということや恐らくは筆者の関心の方向性もあってより中国東北方面に視点が置かれている。昨今の高句麗は朝鮮か中国かという無意味な論争とは関係なく、高句麗を考える上で北方や西方の情報も重要であり、かつ自分がそういうものを読みたかったこともあってとても有意義な内容だった。

 細かいところでいうと、名称表記の違いや高句麗についての諸説の捉え方にやや古さが見えるものの、本書の企画からは仕方がないことで、その点は田村氏が加えられた補註によってある程度は補うことができる。また、全体として一貫したシナリオのある高句麗渤海論というものではなく、上記したように筆者の残したものを纏めたというもので、ややオムニバス的な印象が残る。

 高句麗について、日本にとって関係の深い国のひとつでありながら、関係史以外の部分でいまだ情報が少ないというイメージが自分にはある。このイメージが正しいければ、本書は内容的にやや古くて割り引いて読む必要がある部分を含むものの、なお有用な情報が多い一冊となる。全360頁と重量のある本だったが、自分的には重さに見合った興味深いものだった。


<目次>
1 高句麗の墳墓とその変遷
2 高句麗の遺跡
 1. 輯安行
  ---高句麗時代の遺跡調査---
 2. 輯安および付近の遺跡
 3. 東満風土雑記
  ---高句麗の遺跡をたずねて---
3 高句麗の山城
 1. 撫順北関山城
 2. 塔山の山城
  ---陳相屯塔山の高句麗山城---
 3. 燕州城調査行記
4 高句麗と渤海
 ---その社会・文化の近親性---
5 半拉城出土の二仏并座像とその歴史的意義
 ---高句麗と渤海を結ぶもの
6 渤海国の都城と律令制
7 渤海の瓦
8 渤海の押字瓦とその歴史的性格
9 渤海国の滅亡事情に関する一考察
 ---渤海国と高麗との政治的関係を通じて見たる---
10 新羅東北境外における黒水・鉄勒・達姑等の諸族について
11 高句麗と安定国
付篇1 高句麗史概観
付篇2 東北アジア史上より見たる沿日本海地域の大外的特質

<Google Map>
 「高句麗と渤海」関連地図

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2008年5月12日

(書評)ジャガイモの世界史

中公新書 1930
ジャガイモの世界史
歴史を動かした「貧者のパン」
伊藤章治 著
ISBN978-4-12-101930-1
中央公論新社 2008.1

 足尾鉱毒事件で北海道へ移住した人々の話に始まり、ジャガイモに支えられていたために不作による飢饉で大勢のアメリカ移民を生んだアイルランド、ジャガイモが本格的に普及した18、19世紀のドイツやロシア、さらには満蒙開拓やシベリア抑留など、ジャガイモに関わる話が次々に登場する。そもそもジャガイモは15世紀以降に新大陸からもたらされたものであるので、歴史といってもインカ帝国について触れた第2章の2を除いて近現代史に限定される。また、ジャガイモの原産地といわれる南米ペルーのティティカカ湖の浮き島や、長野県飯田市下栗の傾斜地でのジャガイモ栽培の紹介などは全く現代の話である。

 中には、背景を説明するために延々とジャガイモが出てこない部分があり、その背景の方がメインでジャガイモは脇役であるようにすら読める。ジャガイモの変遷について体系的に語っているわけではなく、話が時代順に流れているのでもなく、章と章の繋がりもない。著者自身があとがきで

「ジャガイモの世界史」という大仰なタイトル
と書かれているが、自分もそう思う。本書は、ジャガイモの歴史を扱ったものではなく、ジャガイモが出て来る社会史的な小論をオムニバス的に収録したものと言えるかと思う。


 だからと言って内容が酷いというわけではない。元新聞記者らしい文章なのではと思うのだが、多くの文献に当たった上で現地を回り、実際に体験した人達の話を聞いて取材を纏めたという、新聞の少し長がめの連載コラムという趣き。前段としての蘊蓄が豊富で、国を異にする多くの人が登場する。ただし、文献の扱いについては二次、三次利用が多いようで曖昧さが残る。さほど実害はないのかと思うが、歴史が関わるとちょっと気になる。

 第4章のアイルランドの話はテレビで採り上げられていたのを見たことがある。また、ティティカカ湖の浮き島もなんどか映像になったように思う。それ以外の部分、中でもヨーロッパに普及しだした頃の話と日本の明治以降の話は、今までに読んだことのない話であったり、ジャガイモという切り口が新鮮だったりと勉強になる部分が多く興味深く読めた。

 ジャガイモの文字を繰り返し読んでいたら急に食べたくなり、スーパーで買い込んで2日続けて腹一杯食べた。ジャガイモを主食にした料理は結構好きだ。ジャガイモ料理というとネパールのカトマンズで食べたマッシュポテトにミートソースをかけたのを思い出すのだが、しばらく楽しめそうな気がする。


<目次>
第1章 オホーツク海のジャガイモ
 1 栃木から最北の地へ
 2 入植を支えたジャガイモ
 3 芋判官
第2章 ティティカカ湖のほとりで---ジャガイモ発祥の地
 1 ふるさとの湖で
 2 インカ帝国を支えた食物
第3章 ペルー発旧大陸行き---そしてジャガイモは広がった
 1 だれが伝えたのか
 2 ヨーロッパへの普及
第4章 地獄を見た島---アイルランド
 1 英国支配とジャガイモ
 2 大飢饉と移民
第5章 絶対王政とジャガイモ
 1 大王とともに---プロイセンの場合
 2 農学者の創意工夫---フランスの場合
 3 抵抗を越えて---ロシアの場合
第6章 産業革命と「貧者のパン」
 1 産業革命の明と暗
 2 日本の産業革命
第7章 現代史のなかのジャガイモ、暮らしのなかのジャガイモ
 1 戦争とジャガイモ---ドイツの場合
 2 社会主義崩壊とジャガイモ---ロシアの場合
第8章 日本におけるジャガイモ
 1 ジャガイモ上陸の地---九州
 2 天に一番近い畑はジャガイモ畑だった---長野
 3 「サムサノナツ」とジャガイモ---東北
 4 満蒙開拓団の現代史---満洲、那須
 5 シベリア抑留とジャガイモ
 6 「男爵イモ」の街---北海道
 7 文学に描かれたジャガイモ
終章 「お助け芋」、ふたたび?

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2008年4月27日

海域アジア史研究入門(感想)

海域アジア史研究入門
桃木至朗 編
ISBN978-4-00-022484-0
岩波書店 2008.3
目次はこちらを参照

 まず、「海域アジア史」とは何か。本書総説によれば、アジアを取り囲む海域の歴史としての「アジア海域史」に留まらず、海域を通しての陸地相互、海と陸の関係も対象として、従来のアジア理解からの「刷新」を謳うという意欲的な意味を持たせているという。また、単に新しい視点というだけでなく、地域相互の繋がりを前提としたより広い視野も求められている。

 本書では、広域での交流が活発化したという9世紀からを対象としている。第1篇は3つの時代に分けて17のテーマを扱い、第2篇では必ずしも時代に捕われない8つのよりコアなテーマを扱っている。計25章で、若手を中心とした32人の著者により、研究動向や先行研究などが紹介されている。似たタイトルの本として、一昨年出版された中国歴史研究入門(名古屋大学出版会)があるが、中国歴史研究が研究の蓄積という点もあって研究動向や先行研究の手引きとしての比重がより大きいのに対して、本書はその機能を持たせながらより新しい研究にも焦点をあてているという。また、中国歴史研究は専門性の高い濃密な資料であるのに対し、本書は一般読者が入門書として読めることも配慮したという。先行研究の紹介をどのくらいするかという点は章により比重が異なり、それは各テーマの濃淡や筆者による部分と思われが、トータルでみれば十分に面白く読むことができたと思う。


 総論としての目新しさに加えて、自分の関心が基本的には内陸にあるために今まであまり読んでいない分野が多々含まれることもあり、全体を通して興味深く読み終わることができた。25章で235頁、1章あたり10頁程度で中国歴史研究よりも文字が大きいとはいえ、読みでは結構あり思ったよりも時間がかかった。入門書として十分に意義のある一冊だったが、興味が向けばさらに深く掘り下げて行ける場所が分かるのも当然ながら本書の魅力である。

 印象に残った章について、もう少し感想を書き足す。まず、橋本雄氏、米谷均氏の9章「倭寇論のゆくえ」。一回読んだだけで必ずしも消化できていないのだが、倭冦の動向について従来言われている以上に複雑な実態が明らかになってきたという理解でいいのだろうか。少なくとも、自分がいくつかの通史的な概説書で覚えている話よりはかなり多様な内容となっている。その複雑さに惹かれるものがある。

 蓮田隆志氏の15章「東南アジアの『プロト国民国家』形成」。氏の纏まった文章を読むのは初めてのように思うが、短い文章ながら近代大陸東南アジア成立に関わる複雑な状況が纏められている。なかなか興味を惹かれる内容だが、最後に書かれている一文

 今後の研究の進展が期待されている。
のとおり、氏の今後の研究の成果を楽しみに待ちたい。

 2篇では、出口晶子氏の22章「造船技術---列島の木造船,終焉期のけしき」がやや意表をつかれた。木造船の造船技術についての話で、それ自体も面白い話だったが、日本の長い木造船の歴史はまもなく絶えるという話でもあった。造船技術を担ってきた船大工が大幅に減少してきているとのこと。

 もう一つ章立てとは別なのだが、自分は12章と17章で紹介されている「勤勉革命」という言葉を初めて聞いたように思う。本書によれば、1976年に速水融氏によって提唱されたというものとのこと。必ずしも新しい概念ではなく、あるいはどこかで読み流して既に忘却しているのかもしれない。ヨーロッパの産業革命とも対置させていて、なかなか興味深いのでこれを機会に覚えることにする。


 最後にもう一点。以前に江戸時代は本当に鎖国かという問題を話題にした。鎖国よりも海禁とすべきという点について、本書でも説明されていてその点には自分も異論がない。しかし、「孤立」が言い過ぎであったにしても海禁はしていたわけで、閉ざされていたことには変わりがないとも考えている。ただ、コメントで頂いた

 16世紀とは良くも悪くも異なりますから、
という点は、本書を読み終わった時点で、なるほどなと思うところが少なからずあった。海域アジアという視点でもう少し見続けると違うものが見えて来るだろうか。

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2008年4月14日

(書評)ゾロアスター教

講談社選書メチエ 408
ゾロアスター教
青木健 著
ISBN978-4-06-258408-1
講談社 2008.3
目次は、本書タイトルのリンク先を参照

 書名にはゾロアスター教とあるが、著者はあとがきで以下のように書いている。

 本書は、「古代アーリア民族の時代」の1200年間と「イスラーム時代」初期の200年間の合計1400年間における、「イラン高原のアーリア人の諸宗教」を扱う概説書である。
しかしながら、資料についての制約から
ゾロアスター教についての記述が大部分を占め
てしまったとのこと。構成としてはゾロアスター教の部分がメインだが、諸宗教についての3章、ゾロアスター教以前についての1章など、ゾロアスター教以外にも意を用いていることが、たしかに本書の特徴と言える。5、6、終章がイスラム化以後の部分だが、こちらはゾロアスター教が何を残したのかという方向の内容。


 自分的に本書らしいと思うのが4章だ。ここでは、現在ゾロアスター教関係でどんな資料が残っているのかが解説され、それを具体的に引用しながら何が語れるのかを説いている。自分が本書に一番期待した部分であって、引用が多用されているわりに面白く読むことができた。

 3章は、イラン周辺におけるイスラム化以前のゾロアスター教以外の宗教を解説したもの。仏教の影響やアルメニアのヤズィード教などは、自分には目新しくて興味深く話だった。

 しかしながら、本書のもうひとつの中心と思える2章がいまひとつだった。他の章にもあてはまる部分だが、文章に纏まり感が欠けていて読んでいて時々捕らえ所がなくなる。また、あとがきでは次のようにも書いている。

 本書の記述の焦点は宗教思想の列挙や類型化にあり、歴史的な展開や個々の史実はぜんぜん考慮していない。
それはちょっとどうかと思う。確かに、教祖ゾロアスターについての話はほぼ伝説なのだろう。それでいて文章的に歴史を説明しているのか伝説を紹介しているのか明確ではない。また、古代アーリア民族を謳っていて(民族という言葉の是非もあるが)、その意義がどうかを問わずに、自明のものとして展開しているのには納得がいかない。古代アーリア民族を立てるのであれば、今に残されているものから古代の彼らの姿を問い直すような、本書とは逆の展開の方が意味があるのではないかとも思う。


 かねてから、ゾロアスター教について簡単に纏められた本を機会があったら読んでみようと考えていた。本書は、その意識もあって買ってみた本だった。自分は、ゾロアスター教についての専門書は読んだことがなく、高校世界史プラス世界史の中の一宗教として今まで読んだことをどのくらい覚えているだろうか。そのレベルで本書について4章以外、とくに1から3章についてどう咀嚼したものかと迷う曖昧さの残る文章だった。

 本書は、自分が目にしたことがない資料が利用されていて興味深い内容をかなり含んでいるのだが、このように消化しきれないものが残るというものだった。これは、かなり主観の強い感想と思うので、人によりかなり印象は変わって来るかとも思う。面白いことは面白いが評価保留というのが正直なところ。

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