2008年4月 1日

1990年中国紀行 <上海>

 1990年もあと僅かという12月の下旬、上海を起点として大陸に円を描いた旅は、その円を閉じることで終幕を迎えた。

 年明け第二便の鑑真号での帰国を前に、バックパッカーが集まったホテルの一室では、連夜に大小の宴会が開かれたが、一番盛り上がったのはカウントダウンパーティーだった。室内で爆竹というわけにいかなかったが、代わりにと風船を仕入れてきた智慧者にはちょっと関心した。旧暦でない新暦の年末年始、お国柄ということでホテルの外は全く静かで、旅行者が集まったホテルの一室だけが浮いているようだった。

 昼間は昼間で、中国最後の数日と食べ歩き、買い歩き、北へ西へ南へと歩き回った。


 黄蒲江沿いに続く街並は、租界時代の雰囲気を残しているという。18年前には、まだテレビ塔はなかった。この18年、北京へは4度立ち寄る機会があったが、上海との縁は全く無く、自分の中の上海にはいまだにテレビ塔が建っていない。


 上海観光の定番のひとつ、上海雑技団。病み上がりのパンダが滑り台を一滑りで退場したのはご愛嬌。


 上海に滞在した間、何度か昼飯に通ったラーメンの屋台。パーコー麺が美味しかった。


 鑑真号に始まり、鑑真号に終わる。黄蒲江沿いの港の船上から、バンドの建物群を名残惜しく遠望した。


 東シナ海の彼方、中国に沈む夕日。4か月に渡った旅の静かな終幕。

<Google Map>
上海(黄蒲江とバンド)


<あとがき>
 昨年から1年あまり続けてきたこの企画は、これで最終回となりました。当ブログ唯一の定期企画でしたが、来月からは懲りることなく、1995年アジア紀行と題して新しく始める予定です。

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2008年3月 1日

1990年中国紀行 <杭州>

 江南を代表する景勝地の杭州は、南宋の都臨安だった街。南宋がモンゴルによって滅ぼされてからも、江南の中心であると同時に、北京へと通じる大運河の出発地として栄え続けた。自分がこの街に立ち寄ったのは、そんな歴史上の古都だからというよりも、旅が終わりに近づいた中で中国らしい風情を見納めておくため。

 市街地の西に広がる西湖は、周囲十数キロメートル。ちょっとの散策には長い距離だが、日がな一日のんびりと歩くには、大きなアップダウンもなく楽しいコースだった。年の瀬押し迫った頃で、冬枯れに少々寂しさのある風景ながら、気侭に向けた素人カメラでも、それなりの写真が残っているところがさすが西湖と思う。


 正確な場所は記憶していないが、西湖の西寄りにある橋の上に建つ亭と思われる。


 市街側の湖畔から見た西湖越しの夕日。西湖の風景の中でも夕日の美しさは特別だった。


 杭州の南を流れる銭塘江を見下ろす場所に建つ六和塔。この塔も杭州のシンボルのひとつ。


 大潮の時に逆流することで知られる銭塘江。上を道路、下を鉄道が走る銭塘江大橋が架かっている。


 <Google Map>
杭州と西湖六和塔銭塘江大橋

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2008年2月 1日

1990年中国紀行 <岳陽楼>

 旅が終盤に入った12月中旬、武漢から杭州への移動の途中に立ち寄ったのが湖南省北部にある岳陽。洞庭湖の東岸にあるこの街は、都市としてよりも名勝岳陽楼のある所として記憶している。

 数々の漢詩が読まれたという岳陽楼だが、自分は8世紀盛唐の詩聖杜甫の詩『登岳陽楼』で覚えている。漢詩には全く造詣が無いので、何故杜甫なのかと言われても説明できない。中学生のときに読んだ陳舜臣著『中国の歴史』の影響とも思うが、手元に本が無いのでそれもわからない。


 黄色い甍を載せた三層屋根の軒下に岳陽楼の扁額が見える。薄曇りの空が背景で色映えはいまいとつ。人民中国によれば、8世紀に起源が遡るが今の建物は19世紀の再建とのこと。


 写真を残していながら周辺の状況などほとんど覚えていない。岳陽楼は西門にあるとのことだが、Google Mapを見ると楼閣の周辺だけに城壁が残っているのが見て取れる。この写真は、楼閣の南側、その城壁の上から写したものということになる。


 その城壁の上から眺めた洞庭湖。曇り空に遠く霞み、茶色く濁った湖面と空の境目もはっきりしない。景勝の地とはいえ、12月の寒空のもと何か詩が浮かんだかどうかも覚えていない。

 <Google Map>
岳陽楼

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2008年1月 2日

1990年中国紀行 <三峡下り>

 ミャンマー国境の街瑞麗を離れた後、大理、昆明と回って、当時はまだ四川省第二の街だった重慶へと移動した。先日のブログでも触れた三峡を下るのが目的だった。重慶には3日滞在したて街を少し歩いた。今まで食べたものの中で一番辛かった火鍋と安くて美味しいみかんが妙に記憶に残っている。

 三峡は、長江の中流、重慶市奉節から湖北省宜昌の間にある渓谷、瞿塘峡、巫峡、西陵峡のこと。その雄大な景観が長江下りのハイライトとなる。実際に下ってみて広くて高い峡谷の眺めは大陸的で期待を裏切らないものだった。私が長江を下ったのは1990年12月2日から5日のこと。改めて日付を書いたのは、既に三峡ダムが完成してダム湖が重慶市にまで広がり、Google Mapを見ただけでも大きく変わってしまったのが解るから。現地で見る三峡の風景はどのくらい変わっただろう。

 重慶から長江を下る時には、専用の観光船を利用するのが普通と思うのだが、途中の奉節に滞在して三国志関係の名所のひとつ、白帝廟をゆっくりと見て回るため一般の旅客船を利用した。重慶を早朝に出る船には、前夜から乗り込むことができた。奉節まで丸一日、24時間ほどかかり朝まだ暗い内に到着した。奉節から宜昌までは12時間ほどだったが、奉節を出たのが昼過ぎだったために宜昌への到着が深夜となり、今度は船内泊の後に下船した。宜昌入港直前に葛洲ダムの閘門を下がるところも見所だった。


 奉節の街から5kmほど下流、長江河崖の上に立つ白帝廟の門。劉備がここで亡くなったということだが、どのような城があったのだろう。


 白帝廟内に展示されているのが、床に伏せて死期が迫った劉備と取り巻きの人々を再現した塑像。中央奥に劉備、その左に諸葛亮、右に立つのが趙雲、さらに右に李厳。手前の二人は劉備の子供。


 船上からの瞿塘峡の眺め。正確な場所は不明。


 暮れなずむ三峡。時間的に巫峡と思われる。

 <Google Map>
 奉節白帝廟瞿塘峡巫峡西陵峡三峡ダム宜昌と葛洲ダム

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2007年12月 1日

1990年中国紀行 <瑞麗>

 11月中旬、麗江から大理に入った時点で次にどこへ向かうかが決まっていなかった。当時既に雲南南端の観光地として知られていたシーサパンナへと行くという案もあった。

 1990年が始まった時点では、雲南省内では外国人が観光できる街はまだまだ限られていた。蒋介石支援ルートとしても名高い、大理からミャンマーへ向かう街道に沿ったエリアに入れるようになったのが、その年の夏のことだった。これを機会にと勧められる声に従って大理を後にしたのが11月半ばのことだった。

 雲南西端にある瑞麗は、ミャンマーとの国境の街として当時既に鎚音高く発展をうかがわせていた。大理から瑞麗まで蒋介石支援ルートを逆に辿る。ラオス、カンボジア、ベトナムと流れるメコン川、ミャンマーを縦断するサルウィン川が造る深い谷を、人が走る速度で喘ぎながら登るバスの旅で、保山で一泊してバスを乗り継いで丸二日を要するハードなものだった。先の大戦で、このルートを辿った日本軍が保山あたりまで入っていたことに驚きもした。



 瑞麗はタイ族が多く住む街で、郊外を歩くと上座部仏教らしいパゴダ(仏塔)をいくつか見ることができる。写真はその中で恐らく一番有名な廣母賀卯。廣母賀卯はタイ語の音写だそうで、中国語では姐勒金塔と書かれる。現地の案内板には、現在の塔は1967年建立の七代目で、高さ36m、直径30mとあった。


 この写真についてはかなり記憶が曖昧だが、パゴダに隣接したお堂だったように思う。自分には初めて見る上座部仏教の寺院で、奇麗に飾られた仏像と釈迦のエピソードを描いた天井画に日本の寺院との大きな違いを見たことは良く覚えている。


 瑞麗はそれほど大きい街ではなく、少し歩けば長閑な田園が広がる郊外に出る。水牛を見たのはこの時が初めてだった。


 街の南を流れる瑞麗川を渡し船が行く。写真の位置は既にミャンマー領。大雑把には瑞麗川が国境なのだが、街の南から西南にかけては今の川の北側にあったかつての流れの跡が今でも国境になっていた。陸続きの国境にはそれを示すものがほとんど無く、ふらふらと散策をしていると気がつけば越境してしまっていたというものだった。自分が初めて経験した陸の国境でもある。

 ミャンマーとの国境については、中国周辺の国境でも少し触れている。


 →Google Map 瑞麗市街廣母賀卯:上から見ると中心のパゴダを小さなパゴダが円形に囲んでいるのがわかる、瑞麗川、瑞麗川の北岸に飛び出した国境:Ω形に見えるのが中国ミャンマー国境で北が中国、南がミャンマー

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2007年11月 2日

1990年中国紀行 <麗江>

 1990年も残り2ヶ月となった11月のはじめ、寒くなる前にと成都を立って雲南へと向かった。夜行列車で一晩、攀枝花に市名が変わる少し前の金江を昼に出たバスが、雲南省北部の街、麗江に入ったのは夜中だった。

 ナシ族の街、甍が連なる世界遺産の街、そしてトンパ文字の故郷として最近は随分と知られるようになったように思う。当時でも雲南北部の代表的な観光都市だったが、11月初旬という時期のせいか旅行者は少なかった。

 今でも雲南の歴史にはあまり明るくないが当時は尚更興味が薄く、加えて解放都市が少なかった時代のこと、行ける場所も限られていた。そんな中雲南へ向かった目的は、旅も半ばを過ぎて中国本土とは雰囲気の違う土地をのんびりと歩くことだった。


 黒龍潭公園は、街の北部にあって目の前の小山と遠景の玉龍雪山を借景にした奇麗な公園だ。ガイドブックにも似たような写真が載っている撮影名所でもある。トンパ文字の研究所もすぐ隣りにあった。


 麗江のシンボル玉龍雪山は、標高5,596m。紺碧の空に雪を被った山容が映えて強く焼きついた。不思議と街並よりも記憶に残っている。この写真は、黒龍潭公園脇の山の上から。


 同じ山から見下ろした麗江の街並。Google Mapの最近の航空写真と比べると随分と田舎町だったように見える。


 瓦屋根の家並の間に続く石畳。旧市街にはもっといろんな表情があったように思うが、山に見とれていたせいでこの写真しか残っていない。


 →Google Map 瓦屋根がパッチワークのように続く旧市街と、山麓に池が並ぶ黒龍潭公園

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2007年10月 1日

1990年中国紀行 <成都>

 トルファンを後に、いったんウルムチに出てから列車で四川省の省都、成都へと移動した。直通の急行列車があり当時は3泊4日、72時間を要したうえ、さらに1時間遅れて73時間という長旅になった。シベリア鉄道に乗っていない自分には、これまで最長の乗車時間だ。最新の時刻表を見ると、少し経路が違うが丸一日短い49時間で走る急行が走っている。丁度一日短縮というのに驚いた。


 今よりも三国志の時代に関心があった当時、成都は楽しみにしていた街のひとつだった。真っ先に訪れたのが劉備が眠る漢昭烈皇帝陵。観光地としては、劉備の軍師だった諸葛亮の廟である武侯祠の一部の様になってしまっている。自分はどちらかというと、魏延を使いこなせなかった諸葛亮より、抜擢した劉備の方が好きなので劉備を立てておく。とはいえ劉備関係者40人余りの像が並ぶ武侯祠は、三国志好きにとっては楽しい場所だ。



 劉備が活躍した時代から700年の後、10世紀の初めに四川盆地に独立国を築いた王建。彼も成都の街中に大きな墓を残した。写真は、その陵墓の傍らに立つ王建のものとされる石像。成都永陵博物館のHPによれば、私が訪れた1990年当時は陵墓の発掘整備が終わった頃だった。奇麗に忘れてしまったのか、それともまだオープン前だったのか、博物館や陵墓の内部を見学した記憶は全くない。



 何がきっかけだったのか覚えていないのだが、成都の西北郊外にある都江堰に興味があり、成都に行く機会ができたら是非行こうと思っていた。都江堰は、今から2000年以上前、中国の戦国時代に遡ると言われる灌漑施設で、恐らく幾度もの改修や拡張を経て写真のとおり今も現役。写真左が本流で右が導水路。



 四川、成都と言えばパンダということで、本場成都動物園へも出かけた。ところが昼前のパンダはゴロゴロと寝ているばかり。寝返りうつこともなく、少し汚れた大きなぬいぐるみが横たわっているのと大して変わらない。そのため、写真にちゃんと収まったのは、数年前に国内でもブレイクしたレッサーパンダだった。


 →Google Map 漢昭烈皇帝陵王建墓都江堰成都動物園

 漢昭烈皇帝陵は、真ん中に見える緑の丸い部分が陵墓の本体で、右に並ぶ建物群が武侯祠。都江堰だけギリギリ解像度が落ちるが、中央、扇状地の扇頂的な場所、山地から下ってきた川が三本に分かれるあたりが堰。

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2007年9月 2日

1990年中国紀行 <トルファン>

 敦煌から列車で一晩、早朝にトルファンの駅に着くが、盆地の縁にある駅から底に近い市街地までは、さらにマイクロバスで1時間近くかかる。一番低い所で海面下150mを下るという盆地で、トルファンは中国一低い所にある街という代名詞を見ることもあるが、市街地の標高はわずかに海面より上である。

 トルキスタン東部にあって区都ウルムチからでもバスで3時間ほどと、中央アジアを感じさせる街としては一番訪れ易い。紀元前から中国の歴史にも登場するという長い歴史を持ち、遺跡、現役を含めて見所の豊かさは今更ここで書き立てることではないかもしれない。


 数ある見所の中でも一番好きなのがこの交河故城。高さ数十メートルの河岸段丘を掘り込んで作られた城塞都市の跡。市街地の西10kmほどの所にあり、自転車でのんびりと散策しながら出かけられるのが良い。遺跡の通りを歩きながら、且つてここを歴史上の有名人が幾人も行き来したと想像すると実に楽しい。



 街の東40kmほどの場所に土の城壁が残るのが高昌故城。玄奘三蔵が逗留した街として知られるように、唐以前からモンゴルの時代まではここがトルファン盆地の中心だったという。17年前のこの時すでに建物の復元が始まってはいたが、広い城内は子供が羊を追うのどかな場所だった。今はどうなっているだろう。



 高昌故城の北10kmほどの谷間にあるのがベゼクリク千仏洞。敦煌より西に残る仏教遺跡としては一番の規模というが、莫高窟を見た後なのでほとんど印象に残っていない。



 トルファン市街の東南にあるモスクに建つミナレット、清朝時代のものとされ蘇公塔と呼ばれている。街中から歩いていける場所にあり、沿道の家々や元気な子供たちを見ながらの散策が楽しかった。

 安物のカメラで大した腕が無くても、奇麗な青い空が映える写真が残せるあたりトルファンらしいと思う。


 →Google Map トルファン市街交河故城高昌故城ベゼクリク千仏洞蘇公塔(ベゼクリク千仏洞と蘇公塔は、画面中央付近と思われるが正確な位置は特定できず)

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2007年8月 2日

1990年中国紀行 <敦煌>

 西安始発の急行列車で二晩、当時今の敦煌駅はまだなく柳園駅からマイクロバスで3時間近く走って敦煌の街に入った。言わずと知れた中国西北部の代表的な観光地のひとつだが、10月も下旬に入り既にシーズンオフだったのか街は閑散としていた。


 ホテルに荷物を置いてまず向かったのが鳴沙山。写真は、鳴沙山の麓にある月牙泉からの眺め。砂が舞うような天気で霞んで見えるが、泉の向こうに見える山がまるまる砂の山。


 敦煌観光一番の目玉が、1000年に亘って作られ続けた数々の石窟が並ぶ莫高窟。入場料16元(当時のレートで500円ほど)で20窟ほど見てまわっただろうか。且つて本やテレビの中の絵でしかなかったものをまじまじと見て回った。


 莫高窟自体は、宕泉河(と言っても水は流れていなかったが)の畔にあり緑に覆われているが、振り返ると風景は一変、莫高窟を背にすると写真のような石だらけの沙漠が地平線まで続いている。


 敦煌には、郊外にも漢代のものという長城や玉門関などの見所があるが、ツアーを組まないと行けない所にあり行っていない。自転車を借りて見に行ったのが写真の白馬塔と映画敦煌の野外セット(HP参照)。映画のセットまでは街から10kmほど、当時のオンボロ自転車では結構な遠出だった。

 →Google Map 鳴沙山と月牙泉莫高窟、少し自信が無いがこれが白馬塔らしい

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2007年7月 1日

1990年中国紀行 <西安>

 洛陽から列車で西へ向かえば、洛陽と並び称される古都西安。バックパックを背負っての長旅は無理をしないことが鉄則で、名所巡りも時間をかけてのんびりと廻るのが常のこと。とはいえ街の内外に名所旧跡がひしめく西安では、あまりのんびりしていると見そびれてしまう。

 1日目は大雁塔と小雁塔。2日目が興慶宮公園、半坡遺址博物館、碑林博物館、清真大寺、大明宮址。3日目に西安の東、臨潼区(当時は臨潼県)にある始皇帝陵、秦兵馬俑博物館、そして華清池。

 ツアーを使えばより郊外にある唐や前漢の皇帝陵を見て回れたのだが、妙なこだわりがあり自分の足と路線バスだけで回った。乗ったバスが数時間動かないとかハプニングもあったが、3日間でこれだけ回れたのは若かったんだなと思う。



 西安のシンボルのひとつ、玄奘三蔵縁の大雁塔。小雁塔ともども階段をよじ登って最上層まであがった。中国人の服装のシンプルさに時代を感じる。



 西安駅の北には唐の時代の大明宮跡があり、当時は一面草原だった。写真は、大明宮の中でも重要な宮殿のひとつだったという含元殿の跡。1995年から発掘調査が行われたとのことで、Google Mapを見ると、土台が奇麗に復元されているのがわかる。

 含元殿の北西には大きな土山があったのを覚えているが、それも今は麟徳殿跡として整備されている。



 西安東郊の観光の目玉は始皇帝関係の遺跡巡り。写真は、始皇帝陵の頂上からの眺め。この小高い丘が人工のもというのが凄い。


 最後は、始皇帝陵から南西へ5kmほど、驪山の山裾にある華清池。言わずと知れた玄宗皇帝と楊貴妃縁の地。


 西安の街は観光以外にも想い出が多いが、自分の旅としては珍しく食べ物の話がいくつもある。中国ではどこに行っても肉まんは見かけるが、西安では餡饅が美味しかった。本格的な刀削麺を初めて食べたのも西安なら、回族料理砂鍋も西安の想い出。中国のハンバーガーとか呼ばれていた記憶のある肉夾バク(食扁に莫)も西安での味。

 そういえば、今も愛用している中国歴史地図集全8冊はこの1日目の散策中に街中の書店で買い求めたものだ。


 この旅行の時は、あまり写真を撮ることに熱心ではなかったので、この他はたいした写真が残っていない。Google Mapを見ると白く霞んでいるものの、幸いにして高い倍率で見ることができるので、行った場所を端から並べてみる。

 1日目:大雁塔小雁塔
 2日目:興慶宮公園半坡遺址博物館碑林博物館清真大寺大明宮麟徳殿跡大明宮含元殿跡
 3日目:始皇帝陵秦兵馬俑博物館華清池

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