2009年3月15日

第9回遼金西夏史研究会大会

 昨日今日と、京都大学にて開催された遼金西夏史研究会の発表を聞きに行ってきた。自分が聴講させて頂くようになって早4年目となる。

 今年は、以下のような7本が予定されていたが、残念ながら発表者体調不良のために見城氏の発表が無かった。

 自分の興味範囲に近いもの、わりと隣近所のもの、広汎な話題を含むもののほか、中世仏教やシベリア考古学のように全く縁の無いものが含まれている。とはいえ、西夏とその周辺に無縁というわけではなく、またそれ以前として内容そのものが興味深いものだった。

尊勝陀羅尼と日本の古代・中世仏教
 上川通夫

契丹・宋間の澶淵体制における国信使と外交儀礼
 古松崇志

東・西・南シベリア出土遼・金代の中国系銅鏡とその考古学文化
 枡本哲

2008年度敦煌莫高窟・楡林窟調査報告(敦煌壁画部分・仏教美術)、同(西夏文題記)
 向本健・荒川慎太郎

ハーバード大学での中国社会史研究の現状
 飯山知保

朝貢、貿易、あるいは投資---9・10世紀敦煌の使節派遣---
 坂尻彰宏

後晋出帝政権の性格---五代政治史研究
 見城光威

 この他に、研究会として初めて発行した54ページとなかなかの厚みのあるニューズレターが配布されている。


 発表以外では、サイトオープン当初よりリンクを貼っていた、小高裕次のホームページの小高さんに初めてお会いできた。予期していなかったので、かなりビックリしたが、西夏に絡み興味深い話をいろいろとお伺いさせて頂いた。以前からこのブログなどをご覧になられているとのこと、汗顔の限りである。

 大会終了後は、引き続いて西夏語の勉強会が開かれた。短時間ながらも西夏語文書の読解のほか、シュトヘルや夏漢字典の問題など中身の濃いひと時となった。

 来年は、3月21、22日に東京で開催予定とのこと。


 参加者の方より以下の冊子を頂いた。いつもながらありがとうございます。

大英図書館所蔵夏蔵対音資料Or.12380/3495について
 『京都大学言語学研究』第27号 P.203-212の抜刷り
 荒川慎太郎

契丹の旧渤海領統治と東丹国の構造
 史學雑誌 第117編第6号 P.1-38の抜刷り
 澤本光弘

突厥トニュクク碑文箚記---斥候か逃亡者か---
 待兼山論叢第24号史学篇 別刷
 鈴木宏節

契丹国(遼朝)の于越について
 立命館文学 第608号 抜刷
 武田和哉

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2008年11月 8日

(書評)青花の道

NHKブックス 1104
青花の道
中国陶磁器が語る東西交流
弓場紀知 著
ISBN978-4-14-091104-4
日本放送出版協会 2008.2

 ユーラシア史、とくに海を中心とした東西交流史の主要なアイテムとして登場する陶磁器。陶器と磁器の違いとか青磁や白磁がどんな物かくらいまでならなんとか分かる程度。本書を読むまで染め付けと青花が同じ物であることも理解していなかった。陶器屋の店頭で茶碗を眺めるのは好きだが、纏まった本を読んだことがなかった。

 本書は、書名を見て一度読んでみようと衝動買いした一冊。陶磁器の美術、考古、歴史について長年研究されてきた筆者が、その成果を一般書として纏めたもので、白磁にコバルトによって絵付けされた青花磁器を中心に、中国陶磁器の広がりを追っている。


 話は、ポルトガルにある王宮の「磁器の間」の天井を埋めた青花磁器から始まる。まず陶磁器についての研究史、青花磁器の起源、代表的な産地である景徳鎮の歴史と青花磁器を中心とした陶磁器の歴史に触れる。ついで、エジプトで発掘された大量の青花磁器、トプカプ宮殿のコレクション、琉球の青花磁器などの伝世品、出土品の内容や由来の話。そして、世界各地の沈没船から引き上げられたもの、草原地帯の遺跡から出土したものの話へと進み、世界を巻き込んだ青花磁器の発展とその発展的な終焉で終える。

 時代的には、唐の末期から現代までの1000年以上、場所的にもユーラシアの東西を中心にアフリカ、アメリカ大陸までに話が及ぶ。また、産地としては中国が中心で、景徳鎮だけでなく越州、定、龍泉、磁州、耀州などにも触れている。シリーズの規格どおりの一般書で、本文も250ページとそれほど厚くはないが扱っている範囲は結構広い。


 読み終わって思い返してみると、雑然とやや広い風呂敷に整理しきれていない内容という印象が残るが、政治抜きの文化・経済史の本としてかなり面白かった。内容的に一般書なのだが、陶磁器の種類については青花磁器以外については具体的な説明が少なく、カラー写真は最小限で、モノクロ写真もさほど多くなく、本書に度々登場する釉裏紅磁器とか紅緑彩磁器といった陶磁器の種類がどんなものなのかはさっぱりわからない。

 とりあえず字面からなんとなくイメージしながら読んでいたが、不思議とそれがあまり不快でなかった。まったく自分の主観なのだとは思うが。繰り返し出てきたので、用語としてだいぶ覚えてしまった。ネットを開けばいくらでも調べられることでもあり、それはそれで良いのかもしれないと思う。


 ところで、本書で言うところの「海のシルクロード」の向こうを張った「陶磁の道」と言う言葉は、何年か前にはテレビで聞いたように思うが、今も普通に使われているのだろうか。読後のイメージとしては、「海のシルクロード」よりもしっくりくるのだが。

 細かい部分では、ユーラシア周辺ばかりでなく南アフリカやメキシコにまで及ぶ話は自分には目新しく、世界各地の沈没船について触れた8章はとくに面白かった。


 扱う範囲と内容の広さのわりに読んでいてさほど重いとは思わなかった。また、沢山登場する陶磁器用語についての説明は、一般書というにはかなり不親切なのだがそれが不快ではなく、繰り返し引用されることで目にだいぶ焼き付いた。なんとなく陶磁器の世界に踏み入った気分になっている。

 本書の文章の力なのかどうかいまひとつ判断しかねているが、今まであまり感心のなかった世界について、もうちょっと踏み込んでみとうという気を起こさせた不思議な一冊だった。おかげで、先日立ち寄った博物館では他の展示そっちのけで青磁や白磁に見入ってしまた。


<目次>
 序章 王宮の天井を埋め尽くす青花磁器
 1章 「陶磁の道」研究のパイオニアたち
 2章 青花磁器の誕生
 3章 元代の景徳鎮窯
 4章 明代の景徳鎮窯
 5章 青花磁器は海を越えて
 6章 スルタンの中国陶磁コレクション
 7章 琉球王国に下賜された青花磁器
 8章 海に眠る中国陶磁器
 9章 草原世界へ広がる青花磁器の道
 10章 青花磁器のチャイナ・ブーム

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2008年8月26日

(書評)世界史を書き直す 日本史を書き直す

懐徳堂ライブラリー 8
世界史を書き直す 日本史を書き直す
阪大史学の挑戦
懐徳堂記念会編
ISBN978-4-7576-0473-5
和泉書院 2008.6
目次は、上記書名リンク先を参照

 本書は、大阪大学に籍を置く(置いていた)6名の研究者がそれぞれ異なるテーマを設定して、歴史を見る上での新しい視点を示そうというもの。発売されて2か月ほど、既にAbita QurMarginal Notes & Marginaliaなどで取り上げられているが、未読本に囲まれた状況でやっと読むことができた。

 各章の内容を乱暴に要約する。イギリスの産業革命について、中国、インド、アメリカなど世界的な物の流れを見ながら捉え直そうとする1章。10世紀の敦煌での農地所有に関わる訴訟文書を読み解きながら、オアシスに暮らす人々の生活や、祁連山山麓で遊牧する人々との関わりの復元を試みた2章。世界史という広がりを説く上で、海上貿易が果たした役割をアジアを中心として概説的に問い直す3章。武士が台頭した時代という中世像に疑義を示し、神仏習合を中心に宗教パワーを問い直すことで新しい像を示そうとする4章。17世紀に相次いで生まれた清朝と江戸幕府という二つの軍事政権について、その類似性を検証しながら両国の新しい歴史像の提示を試みる5章。19世紀後半から20世紀初めにかけての全盛期イギリス帝国像を政治、経済、軍事などの特徴的な部分を絞りながら、アジア、特に日本との関わり方を捉え直そうとする6章。


 6つの内容は、日本だけを扱ったものが1つ、日本も関わる世界史が3つ、日本が出てこないもの2つという組み合わせで、全体としては時間的空間的な網羅性も特異性もない。文章などの体裁も著者の個性そのままという感じでばらつきがあるが、それが悪いとは思わなかった。新しい視点を提示するという抽象的な企画に、意欲的な文章をオムニバス的に集めたという一冊と見る。

 対象として一般読者が強く意識されたもので、素材的に多少とも難のあるものを、いかにして読み易く纏めるかという工夫が読み取れる。その工夫の仕方もそれぞれ。特に個性的なのが、「帰ってきた男」というタイトルからして思わせぶりな2章。訴訟文書という論文として書かれれば文章読解か類例比較で終わりそうな素材を、想像を膨らませてストーリーを組み上げている。それでいて、実証的な世界からさほど外れていないというなかなかの力作に見える。


 書名からして意図的だが、6章で230頁という量も力まずに読める厚さを意図して絞ったものと思われる。また、オムニバス的とはいえ各章が結構面白かったので、それほどバラバラという印象は残らなかった。

 扱っている時空は結構広いので、章によっては自分の守備範囲をかなり越えている。イギリスが関わる1章と6章、中世日本を扱った4章が特にそうだが、さほど大袈裟な印象は受けないものの、限られた頁数に納める為に単純化している可能性は残るので、機会と時間があればより詳しい本に当たってみたい。

 とはいえ、意図に見合った面白い一冊という評価でどうだろう。歴史好きな者にとってより視野を広げる為の素材として、お薦めめできる一冊と思う。

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2008年8月 8日

(書評)モノから見た海域アジア史

九大アジア叢書 11
モノから見た海域アジア史
モンゴル〜宋元時代のアジアと日本の交流
四日市康博 編著
ISBN978-4-87378-966-8
九州大学出版会 2008.4

 本書は、文部科学省特定領域研究のひとつ、東アジア海域交流の中の海域比較研究の成果の一部として纏められたものとのこと。目次は、上記書名リンク先を参照されたい。目次にあるように、石材、木材、陶磁器、貴金属を素材として交易や交流を説き起こした5つの章と、各地の考古学者を中心とした8人と編者によるQ&A形式の対談を集録した第6章よりなる。Quiet NahooAbita QurMarginal Notes & Marginaliaやまやまの日々雑記の各ブログで紹介されたのを見て、面白そうと思い読んでみた。

 1から5章について、簡単には以下のような内容。第1章は、木材と組み合わせて使われた碇用の石材、碇石について。遺物として残る碇石の形やその広がりから、それを用いた船を想定してその交流の広がりを考察したもの。第2章は、仏教上の交流によって日本から宋へ送られた木材とそれに関わって交わされた文献に関わるもの。第3章は、貿易に関わった陶磁器の中でも交易品そのものとしてよりも、物を入れるために使ったとして著者が言うところのコンテナ陶磁について、その遺物の広がりや産地について考察したもの。第4章は、交易品としての陶磁器の中でも中国龍泉窯の青磁について、砧青磁と呼ばれる花瓶を中心にその盛衰を追ったもの。第5章は、モンゴル時代について中国から中近東に至る銀錠や銅銭の流れについての考察となっている。


 1から5章は、各30頁前後で本書が新書版ということもあり、さほど多い頁数ではない。しかしながら、特定の物に絞ることで、交流の状況を具体的かつ簡潔に纏めている。物としての範囲は狭いものの語られる地域としては日本各地から中国、東南アジア、中近東という広がりを持ちスケールは決して小さくない。自分の興味的にはどちらかというと二の次ということもあり、文化経済な領域は概念的抽象的に過ぎるとなかなか捉えきれないということが多い。本書は、その絞り方と読み易い文章で自分にも把握し易い内容になっている。その上に、碇石とか砧青磁とかどれもさほど馴染みのない物ばかりなので、思いのほか興味深く読むことができた。

 第6章は、上に書いたように対談形式で各4頁程度。やや短く物足りないと言えなくもないが、絞ったテーマについてわりと先端的な考古学の話題が上手く纏められているように思う。こちらは、国内の考古学中心の話だが、硫黄、夜光貝、十三湊と7つきりのテーマながら興味深いものを並べている。


 本書は、文科省関係のプロジェクトものではあるが、論文集的な報告書ではなく、どちらかというと一般向けを意識した入門書という内容。タイトル通りで、特定のモノから海域を通した交流を見て行こうというもの。自分には、その物が具体的にあることでその交流の流れが想像し易い内容だった。考古学的な話が中心なので、波乱も盛り上がりもない話ではあるが、プロジェクトに意図されているような内容を伝えるための入門書として、十分に面白い一冊だった。

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2008年7月21日

東アジアと日本 交流と変容(感想)

東アジアと日本 交流と変容
統括ワークショップ報告書
今西裕一郎 編
九州大学21世紀COEプログラム(人文科学) 2007.2
 (目次は、上記書名のリンク先を参照)

 21世紀COEプログラムとは、日本学術振興会のHPによれば、

 我が国の大学に世界最高水準の研究教育拠点を形成し、研究水準の向上と世界をリードする創造的な人材育成を図るため、重点的な支援を行うことを通じて、国際競争力のある個性輝く大学づくりを推進することを目的
とした文部科学省の助成事業とのこと。東アジアと日本 交流と変容は、2002年度に採択された人文科学分野のプログラムで、本書は2006年の11月に九州大学で行われた5年間にわたる事業の総括としての行われた研究会の報告書。プログラムによれば、研究会では2つのサブテーマ設けて併せて16人の論者による発表と各サブテーマ毎の討論、総合討論が行われている。本書は、その内容に沿ったもので、3回の討論も集録されている。なお、本書は発表者のひとり舩田さんより頂いたもの。ありがとうございます。


 一つ目のテーマが、ヒトの移動とイノベイション。古代から近世初頭までの人や技術などの移動による影響の解明、検討を通して

交流と変容の観点からみた「東アジアの史的特質」の析出
を目指したものとのこと。発表は、アイデンティティをメインあるいはサブテーマとしたものが過半を占め、人の動きの中でどう捉えられてきたのかが重要な要素となっている。この点は討論でも同様で、アイデンティティの多重性という言葉で締められている。近代国家という形以前のアイデンティティをどう考えるかという点で、自分には興味深い内容をいくつか含んでいた。


 二つ目が東アジア世界の形成と中華の変容。これまでの成果を踏まえながら、このプログラムにおける中心的な概念であるという

 東アジア、中華の問題
について一定の総括を目的としているとのこと。発表は、国の形や人々の意識という点についてのもの。ここのテーマとして興味深いものが並んでいるが、漢と匈奴とかモンゴル時代の中国とイラン、あるいは明代のモンゴルなど、東アジアより扱う範囲が広いのは相対化ということだろうか。討論では、その相対化という面からか、東アジアをどう捉えるのかという方向に流れるようにみえるが、対象が広くて自分には全体像が捉え難い。


 この二つのテーマを受けて、最後に27ページにわたって総合討論が掲載されている。南北朝時代や宋元といったところを画期として中華が変わっていくという話、外交圏と経済圏の二重性という話、中華とある程度の距離を取った朝鮮の小中華という話、あるいはそもそも論として二つ目のテーマから続く東アジア枠組み論など、個々の発言者の話は興味深い。日本を含めて時代的にも空間的にも多様な話が展開して、その意味では東アジアにおける交流のダイナミズムとか変容とかはなんとなく見えて来るが、総論としての纏まりが自分には今ひとつ捉えきれなかった。


 あと、個々の発表内容について、いくつか紹介とコメントを。

モンゴル時代における民族接触とアイデンティティの諸相
 舩田善之

 もともとキタイや漢族、タングートとされる人々がモンゴル時代に政権側として活躍し、モンゴルとしてのアイデンティティを持っていたという事例が紹介されている。モンゴル、色目、漢人、南人とされたモンゴル時代の身分制度が虚構だという論は以前から目にするが、漢人を含む具体的な事例という点で興味深い。


鮮卑の文字について---漢唐間における中華意識の叢生と関連して---
 川本芳昭

 北魏において、万葉仮名的な鮮卑文字が使われていた可能性を間接的に肯定し、その意味を説いたもの。可能性という点で中国史のなかの諸民族(山川出版社)の中で川本氏によって触れられていたもので、本書の中でもとくに読みたかった一論。資料状況により推論であるとのことだが、新しい文字資料が次々と出て来る中国のこと、実物の出現を夢見たいところ。


モンゴル帝国の国家構造における富の所有と分配---遊牧社会と定住社会、中華世界とイラン世界---
 四日市康博

 モンゴル帝国における統治機構の複雑さを模式的なモデル化を試みたもの。ピラミット的な行政機構だけでなく諸王の領地などが入り乱れていた話は、既に概説書にも出て来る話だが、このようなモデル論はイメージという点で理解の助けになる。それでも全体像は複雑なもので、それが有効に機能しているところは、自分にはなかなかイメージできない。

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2008年7月12日

日本のイネ「南に源流」?

 日本や中国で栽培されるイネ「ジャポニカ」の起源が、インドネシアやフィリピンまでたどれることがわかった。
 日本のイネ・ジャポニカ「南に源流」 遺伝子研究で解明(朝日新聞)

 7月7日の朝にこのニュースを読んで「ほほー」と思いながらも、古い野生種の起源が東南アジアにあるのならそれはそれでも良いかと思った。しかしニュースには、

 アジア各地の古い栽培品種142系統を調べた。
とあり、また話の出所、農業生物資源研究所のHPには、

 コメの大きさを決める遺伝子を発見!日本のお米の起源に新説!

 さらに、様々な地域で栽培されていた約200種の古いイネ品種でqSW5の機能の有無等の遺伝子の変化を調査した結果、従来の学説(長江起源説)とは大きく異なり、ジャポニカイネの起源は東南アジアで、そこから中国と伝わり、そこで温帯ジャポニカイネが生まれたことを示す結果が得られました。
とある。栽培種についての比較であって、東南アジアで栽培されている品種をポイントとして、長江起源説が覆される可能性があると示唆されている。


 さて、どうなんだろう・・・と思い、上記新聞記事に

 ただ、遺伝子の変化を、直接イネの栽培化と結びつけるのは難しい。考古学資料とのすり合わせが必要だろう。
とコメントされた総合地球環境学研究所の佐藤洋一郎氏の話を聞くべく、研究所主催の公開講座ユーラシア農耕史---風土と農耕の醸成---の第3回米(コメ)の登場と稲作文化を聴講してきた。

 ・中国の稲作考古学---遺跡から探る稲作の起源と深化---(中村慎一)
 ・プラント・オパール分析から見た水田稲作の起源と伝播(宇田津徹朗)
 ・稲作で人が変わる?(若林邦彦)

 講座は、このような3氏による発表があり、佐藤氏を加えた討論があった。中国での稲作に関わる遺跡の新しい話、農耕化の漸進性、食用植物の多様性、さらには縄文人と弥生人の対立や住み分けに疑義が挟まれるなど、短時間ながら多様で興味深い内容だった。佐藤氏は期待どおりにニュースに触れられ、上記のコメントを補足する形で、現在確認されている東南アジアの農耕文化が中国に比べてかなり新しいことを問題とされていた。


 野生種と栽培種という話に戻る。研究の対象は栽培種だった。東南アジアの古い品種であっても、栽培種なのだから稲作農耕とともに中国など他の地域からもたらされた可能性は十分に想定できる。東南アジアに野生種があってその遺伝子が調べられるか、中国よりも古い稲作の遺跡が見つからない限り、稲作発祥の地という話としては中国が最有力であることは変わらないだろう。したがって、この研究の評価は現時点で遺伝学的な研究という範囲に留まることになる。遺伝的に米の系統と明らかにする方法として興味深いが、同様な研究が他でなされているかどうか私にはわからない。

 ちょっと細かいことだが、比較対象となった品種の数が、研究所の発表では「約200種」とあるが、上記朝日新聞の「142系統」や47NEWS「約140種」と、ちょっと違う数字があるのは何故だろう。

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2008年5月17日

(書評)ぼっちゃん

ぼっちゃん
魏将・カク昭の戦い
河原谷創次郎 著
ISBN978-40-5403642-0
学習研究社 2008.5

 本書は、中国の三国時代、228年の冬に諸葛亮率いる蜀軍が攻めた魏の陳倉城攻防戦を描いた小説。本書タイトルがいうところの主役ぼっちゃんとは、魏の将軍で陳倉城守備軍を指揮したカク昭(郝昭)の息子カク凱(郝凱)のこと。そのカク凱が一人称で父のカク昭を語る。

 数ヶ月の籠城準備と20日間ほどの籠城戦をめぐる物語で、陳倉城(現在の陝西省宝鶏市の東郊)が舞台。それにプロローグとしての軍議とエピローグでの皇帝への謁見などが添えられている。登場人物は、カク昭親子とその取り巻、陳倉城と周辺の有力者、援軍の将軍王双、蜀側の軍使でカク昭の同郷人キン詳(靳詳)と名前があるのはそれくらい。プロローグの軍議に曹真、費曜など、エピローグに明帝曹叡が登場する。諸葛亮は、名前が再三出てくるが姿を見せるのは攻防戦の最中に少しだけ。魏延、張コウ(張郃)なども名前だけ。

 タイトルにぼっちゃんとあるのは、カク凱の叔父の彼に対する愛称「侯子」を著者がぼっちゃんと意訳したことと繋がっている。前線勤務が長くて出世に縁遠く、それでいて忠実な武将であろうとする父に不満を持つ若者が、初陣で父の下で働いて自分の未熟さを自覚し、やがて父の大きさを知る。ぼんぼんというほどではないものの、若輩な主人公の成長という物語を流れとして、陳倉城攻防戦を描いたというシンプルなストーリーである。


 小説としての三国志演義の後半部分、諸葛亮が5度に渡って魏を攻めるあたりがクライマックスと言えるだろうか。本書の陳倉城攻防戦は、その2回目にあたる。その戦いの一方の主役なので、カク昭は魏ではそれなりの重要人物というイメージが自分にはあった。しかし正史の三国志にカク昭の伝はなく、本紀の中の諸葛亮北伐記事に魏略からの引用として注釈が加えられているだけ。その注釈には、最小限の経歴と攻防戦をめぐるエピソードが紹介されている。カク凱は息子として名前のみ見える。勇将カク昭としては、随分扱いが小さいものとあらためて少し驚いた。

 本書の特徴として、上に揚げたシンプルなストーリーと少ない登場人物というのもあるが、一番の特徴は人名の書き方にある。台詞として人を呼ぶ時は、基本的に名字に愛称や敬称を添えるというもので、名前(諱)は敵将を指す時など特別な場合だけ。字名も出ては来るが、その場にいる人に対しては官職名からくる敬称が基本的に使われている。したがって、諸葛亮孔明というようなおかしな表現はない。この点を徹底している小説を一度読んでみたいと思っていたが、日本と中国の歴史ものの中でここまで徹底しているものを自分は初めて読んだ。馴染んだ名前よりもイメージし難いというのは確かにあるが、本書では登場人物の少なさもあって読み進めるとあまり苦にならなかった。気にさえならなければ、敵と味方の違いなど人間関係で呼び分けるのが明瞭に表現されるので、読んでいてかなり面白い。

 話のテンポはかなり良くて読み易く、ストーリーがシンプルな分それなりに深く描けているように思う。蜀が好きな人が読むと全く物足りないかも知れないが、魏側としてみても曹真をデブ将軍と書くなど、わりと低い目線で書かれていて正にカク凱の立場そのものである。名前だけ登場する張コウが英雄扱いなのは、三国志の中でも曹操や張コウが好きな自分の好みにはあっている。

 本書は、三国志関連小説の中でもかなりマイナーな小ストーリーを扱った異色な一冊と言えるだろう。読む人によって評価が別れるとも思うが、自分はとても楽しませて頂いた。250頁と決して薄くはないが、面白くて一気に読み切った。従来のものとは違った一冊としてお薦めしたい。

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2008年5月10日

(書評)夕陽の梨

夕陽の梨
五代英雄伝
仁木英之 著
ISBN978-4-05-403631-4
学習研究社 2008.5

 中国五代十国時代の国のひとつ、後梁最初の皇帝となった朱全忠が、まだ朱温と名乗っていたころを描いた小説。唐朝末期、子供の時に父を失って家族が不遇になったころに始まり、黄巣の反乱軍に参加して各地を転戦するまでが描かれている。時代的には860年から880年、朱温9歳から29歳までということになる。ちなみに、彼が皇帝となったのが907年、息子に殺されたのが912年、61歳の時。

 ストーリーは、朱温が成長の後に塩商で出会った仲間を率いてホウクン(ホウは广に龍、クンは員に刀)の乱に参加、黄巣の乱にも参加して一軍を率いるまでになり、黄巣に従って各地を転戦した後に長安を陥して入城した所で終わりとなる。五代英雄伝とはあるものの、五代になるだいぶ前までしか語られない。

 登場人物としては、重要な人もふくめて架空と思われる人物も登場するが、ホウクン、黄巣の他、乱の首謀者のひとり王仙芝、朱温の次兄朱存、朱温の部下のホウ師古(ホウは广に龍)、朱珍、張存敬、唐朝側の辛トウ(言編に黨)、令孤綯、高駢など正史に名を残す人々が多数描かれている。変わったところでは、布袋が重要な人物として登場しているが、この時代の実在の人物というのは知らなかった。


 感想を少々。テンポ良く書かれていて読み易く、主人公に肩入れしながら楽しく読み終われたように思う。表現的に少しとりとめがなく、話を広げた分散乱している感じはある。章によって主人公から離れる部分があるのだが、あくまで主人公中心に絞った方が纏まったような気がしている。

 歴史ものとしてはというと、細かい部分でもう少しリアリティーが欲しい。字名が出てこないということもあるし、会話表現があまり面白くない。また、背景描写としても中国や唐末といった場所と時代を感じさせるものがあまりない。これらは、どうしても物足りなさとして残る。ただ人という点では面白く描かれており、朱温というマイナーな人物を中心に時代がそれなりに見えて来る。

 最後に、読み終わって自分が一番気になった点。それは、なぜ主役の朱温が朱全忠を名乗る前に物語が終わってしまうのかということ。野暮な話なのかなとも思うのだが気になる。主人公は、歴史上の評価よりはかなり好青年として描かれているように思う。苦悩を含む前半生があるからこそ波乱含みの後半生がある、という含みを読み取ることもできると思うのだが、それにしても随分と生真面目な主人公である。とはいえ、こういう意外な主役は大歓迎なので、次回作でも是非意外な人物に挑戦してほしい。

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2008年4月27日

海域アジア史研究入門(感想)

海域アジア史研究入門
桃木至朗 編
ISBN978-4-00-022484-0
岩波書店 2008.3
目次はこちらを参照

 まず、「海域アジア史」とは何か。本書総説によれば、アジアを取り囲む海域の歴史としての「アジア海域史」に留まらず、海域を通しての陸地相互、海と陸の関係も対象として、従来のアジア理解からの「刷新」を謳うという意欲的な意味を持たせているという。また、単に新しい視点というだけでなく、地域相互の繋がりを前提としたより広い視野も求められている。

 本書では、広域での交流が活発化したという9世紀からを対象としている。第1篇は3つの時代に分けて17のテーマを扱い、第2篇では必ずしも時代に捕われない8つのよりコアなテーマを扱っている。計25章で、若手を中心とした32人の著者により、研究動向や先行研究などが紹介されている。似たタイトルの本として、一昨年出版された中国歴史研究入門(名古屋大学出版会)があるが、中国歴史研究が研究の蓄積という点もあって研究動向や先行研究の手引きとしての比重がより大きいのに対して、本書はその機能を持たせながらより新しい研究にも焦点をあてているという。また、中国歴史研究は専門性の高い濃密な資料であるのに対し、本書は一般読者が入門書として読めることも配慮したという。先行研究の紹介をどのくらいするかという点は章により比重が異なり、それは各テーマの濃淡や筆者による部分と思われが、トータルでみれば十分に面白く読むことができたと思う。


 総論としての目新しさに加えて、自分の関心が基本的には内陸にあるために今まであまり読んでいない分野が多々含まれることもあり、全体を通して興味深く読み終わることができた。25章で235頁、1章あたり10頁程度で中国歴史研究よりも文字が大きいとはいえ、読みでは結構あり思ったよりも時間がかかった。入門書として十分に意義のある一冊だったが、興味が向けばさらに深く掘り下げて行ける場所が分かるのも当然ながら本書の魅力である。

 印象に残った章について、もう少し感想を書き足す。まず、橋本雄氏、米谷均氏の9章「倭寇論のゆくえ」。一回読んだだけで必ずしも消化できていないのだが、倭冦の動向について従来言われている以上に複雑な実態が明らかになってきたという理解でいいのだろうか。少なくとも、自分がいくつかの通史的な概説書で覚えている話よりはかなり多様な内容となっている。その複雑さに惹かれるものがある。

 蓮田隆志氏の15章「東南アジアの『プロト国民国家』形成」。氏の纏まった文章を読むのは初めてのように思うが、短い文章ながら近代大陸東南アジア成立に関わる複雑な状況が纏められている。なかなか興味を惹かれる内容だが、最後に書かれている一文

 今後の研究の進展が期待されている。
のとおり、氏の今後の研究の成果を楽しみに待ちたい。

 2篇では、出口晶子氏の22章「造船技術---列島の木造船,終焉期のけしき」がやや意表をつかれた。木造船の造船技術についての話で、それ自体も面白い話だったが、日本の長い木造船の歴史はまもなく絶えるという話でもあった。造船技術を担ってきた船大工が大幅に減少してきているとのこと。

 もう一つ章立てとは別なのだが、自分は12章と17章で紹介されている「勤勉革命」という言葉を初めて聞いたように思う。本書によれば、1976年に速水融氏によって提唱されたというものとのこと。必ずしも新しい概念ではなく、あるいはどこかで読み流して既に忘却しているのかもしれない。ヨーロッパの産業革命とも対置させていて、なかなか興味深いのでこれを機会に覚えることにする。


 最後にもう一点。以前に江戸時代は本当に鎖国かという問題を話題にした。鎖国よりも海禁とすべきという点について、本書でも説明されていてその点には自分も異論がない。しかし、「孤立」が言い過ぎであったにしても海禁はしていたわけで、閉ざされていたことには変わりがないとも考えている。ただ、コメントで頂いた

 16世紀とは良くも悪くも異なりますから、
という点は、本書を読み終わった時点で、なるほどなと思うところが少なからずあった。海域アジアという視点でもう少し見続けると違うものが見えて来るだろうか。

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2008年3月31日

(書評)東アジア内海世界の交流史

東アジア内海世界の交流史
---周縁地域における社会制度の形成
加藤雄三・大西秀之・佐々木史郎 編
ISBN978-4-409-51059-9
人文書院 2008.3
目次は、本書タイトルのリンク先を参照

 本書がいう東アジア内海世界とは、日本列島によって区切られた日本海と東シナ海を囲む地域を指している。ヨーロッパ地中海と共通性に欠けるとして、地理学用語としての東アジア地中海は避け、日本を起点とした東アジア内海を巡る地域を考察するものとのこと。「交流・交易をになった地域のすがた」「社会をつくる人びと、つなぐ人びと」「日々の営みをめぐる権利」という3部よりなり、それぞれに4章、計12章という構成。

 12章は、それぞれ別々の執筆者によって書かれている。自分的には初めて名前を目にする方が多いのだが、経歴を見る限りでは、各分野の若手が多いように見える。また、本書は論文集や固めの概説書というのではなく、一般向けの解説書として意識して書かれたもののようで、入門書というわけでもない。目次を見ればある程度察せられるかと思うが、比較的狭いエリアやテーマのものが集められている。この様な設定に込められた意図は、「おわりに」で編者の一人大西氏が語っている。その要旨は、そこに設けられた5つの段落のうちの2つ目から掲げられた以下の4つのタイトルが物語っている。

 地域史的な読みの限界、統合のために視点の転換、実践としての制度の理解、周縁からながめる歴史の意義
 本文を読み終わって「おわりに」を読むと、なるほどなと自分には半ば合点が行った。半ばという点は、ほんとうに「地域史的な読みの限界」なのだろうかという点が納得するまでに至らなかったこと、「実践としての制度の理解」としては、本書第3部の内容はミクロに過ぎないかといった疑問が残ったことによる。ただ、これは本書全体に対する意図、意欲の結果をどう考えるかということに対する疑問なので、個々の章の善し悪しとは多少別ものである。また、各章では他の章との関連が設定されてはいるものの、基本的には各章単位で完結されている。


 12章の中で、面白いと思ったところを少し紹介してみる。まず2章。琉球王国モノは、自分はときどき思いつきで読むていど。そのレベルとして、沖縄本島だけでなく奄美や八重山までを総括的に解説しているものを初めて読んだ。交易・交流として、日本との関係も本章のテーマのひとつだが、簡潔ながらも琉球全体を対象にした解説は自分には新鮮だった。

 6章は、辞令書をひとつの起点として、満洲八旗に属する人々の領地相続を解説しながら、満洲人の社会を見ていくというもの。清朝史を専門とする杉山氏の一般向けの文章は、初めて読んだように思う。本書では、満洲人を江戸時代の武士に重ねるユニークな導入を立て、文書行政という小難しい話を面白く書き出している。氏が関わった本が、既に書架に数冊積み上げられており楽しみにしておく。

 8章は、明治初期に台湾出兵の切っ掛けとなった、沖縄先島の漂流民殺害事件について、台湾で実際にどういう事件が起きたのかを考察したもの。この事件については、日本政府がどう取り組んだのかというものは何度か読んだ記憶があるが、事件そのものを細かく解説したものは初めて。事件の内容自体も興味深いが、その話がどう伝えられてきたのかという考察も興味深い。

 10章は、中国江南の太湖周辺における漁民と漁業権について、現地での聞き取りをベースとして考察したもの。内容としては、民国時代はどうだったのかという話が中心。中国のそれも淡水域での漁民の話は、それ自体が新鮮だが、その漁業権に関わるやり取りが、前近代的な香りのするものでなかなか面白かった。


 本書は、以上のように個々の章はわりと細かい話題が中心になる。その点では、一般書としては他の本ではあまり語られていないことが含まれていて、それはそれで意味があると思う。全300頁弱で、1章あたりは20頁ほど。読み終わった感覚としては、各章についてページ数のわりに物足りなさがあまりなかった。その意味では良く纏められていると思うし、難解な内容でもなかった。本書全体として意図された部分をどう考えるか、いくつかの章の内容に惹かれたら、読み終わってから考えてみるで十分と思う。

 自分的には、個々の章の面白さに加えて、多少の疑問は残ったものの、意図と内容の関連性には面白さがあり、少なくとも半ばは合点がいったという意味で十分に面白い一冊だった。

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