2008年12月13日

(書評)倭国大乱と日本海

市民の考古学5
倭国大乱と日本海
甘粕健 編
ISBN978-4-88621-454-6
同成社 2008.10

 考古学的に古代日本の日本海側という内容に惹かれて買ってみた。図版が多いので専門性の高い概説書と思っていた。前書きによれば、本書は2007年に新潟市歴史博物館で4回にわたって行なわれた講演会の記録とのころ。その4回が、本書の1章から4章に対応しているおり、その4つは下記のとおり。従って、本書は書き起こされたものではなくて、テープを起こして編集したものとのこと。

 内容は、弥生時代から古墳時代についてのもので、出雲から越後までを考古学的な特徴から4エリアに分けている。各担当者によって、古墳や集落の遺跡とそれに関連する出土物などからそれぞれの地域の特徴などが解説され、さらに歴史的な解釈が加えられている。

 もう少し具体的な内容としては、四隅突出型墳丘墓についてや高地性集落についての詳しい解説、墳墓・古墳の出現状況や高地性集落の分布範囲の解説があり、4エリアにはわりと明確な違いがあるとのこと。出雲と丹後の違い、あるいは出雲と越前の関係といった点はとくに興味深かった。また、その流れは会津にも及んでいるとのこと。


 自分的には、四隅突出という名前とその出雲地方における特異性を聞いたことがある程度だったので、本書はかなり新鮮なものとして読んだ。四隅突出型墳墓の出現過程についての仮説、北陸地方における高地性集落の分布が新潟県まで広がっていること、またその具体的な遺跡の紹介。さらに、新潟地方と会津との関係、北海道との関係が示唆される遺跡が新潟に分布しているといった点は特に興味深いものだった。

 また、考古学から歴史を復元するという試みが語られている。日本海に沿っての展開や高地性集落の意義、大和朝廷の拡大など関連するテーマは沢山あり、それぞれの担当者が個々に仮説を展開されている。その中には、なるほどと思われるものもあるが、やや想像を膨らませて語り過ぎと思わせるものも含まれている。ただし、それは本書の企画として許容したものの内ということのようだが、考古学から歴史を復元する難しさの一端が見えたようにも思う。


 このシリーズについて、自分が読むのは本書が初めてなのだが、「市民の考古学」とあるように一般向けに考古学を興味深く解説するという意図が十分に伝わっているように思う。本文140ページあまりとさほど厚くはないものの、内容はその割に豊かで十分に興味深いものだった。細かいことだが、遺跡についての図版は沢山収録されているが、関係する地名を紹介する広域の地図がもう少し必要だったのではと思う。

<目次>(主題と担当者のみ)
1. 四隅突出型墳丘墓と出雲世界
 渡辺貞幸
2. 弥生・古墳時代前期の丹後地方
 石部正志
3. 弥生・古墳時代前期の越前・越中
 橋本澄夫
4. 越後・会津の情勢
 甘粕健

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2008年11月30日

(書評)対馬と海峡の中世史

日本史リブレット 77
対馬と海峡の中世史
佐伯弘次 著
ISBN978-4-634-54689-9
山川出版社 2008.4

 本書を買ったのは、Quiet Nahoo關尾史郎のブログの記事を見てからなので、夏前頃のことと思う。だいぶ積んどくままだったが、読んでみようと思ったのは先日の産経新聞の特集が少なからず影響した。東アジア交流史には必ずといってよいほど登場する島のこと、それなりに目に触れる機会はあったと思うが、タイトルに対馬の文字がつくものを読むのは対馬藩江戸家老(講談社 2006年)以来、随分とひさしぶりだ。

 同じ対馬の歴史モノではあるが、後日談的に書かれた最後の部分を別にして、本書の範囲は室町時代の初め頃から秀吉の朝鮮出兵までのおよそ250年あまり。朝鮮との関わりを中心にした対馬の交流史、経済史やそれに関わる政治史といった内容。

 本書では、対馬を訪れた朝鮮人が残した報告書や朝鮮歴代の実録、宗氏の発給文書などについて随所に引用がなされている。朝鮮と宗氏の間で交わされた約定、日本と朝鮮の両属に関わる問題、さらには交易品、対馬の人達の名前への漢字の当て字を使っての音写、当時対馬で活躍した人々などなど具体的な話が沢山紹介、解説されている。

 前から後ろへ時代が流れているように書かれているところもあるが、章や段のテーマによって話が前後しているところがあり、明瞭に通史という形にはなっていない。一方で、各段で設定されているテーマはやや広めな感じで、相互に関わってくる話が錯綜している部分を含み、テーマ切りとしてもやや不明瞭な印象。


 読み始めた時点では、本書は対馬を中心とした交流・外交史と思っていたので、読んでいる最中には不満はなかった。ただ、読み終わってみると、島主の宗氏と小領主との関係や歴代の宗氏の事績に多く触れているなど、対馬の中世史という位置づけが自分の予想していたよりも重かった。対馬の通史を読んだことが無い自分には新鮮な情報として面白かったのだが、もう少し対馬史か海峡史のどちらかに寄せて、テーマを強く出すか通史的にするかに絞ったほうがより纏まったのではとも思う。

 その意味でやや纏まりに欠く印象があるものの、詰め込むわけでも超要約というわけでもなく、本文102ページという量に程よい内容という印象もある。元寇と秀吉という大きな戦いの間にあって、政治史的な華々しさ少ないものの、対馬と海峡の歴史という主題にとっては、むしろより複雑で面白い時代という意味付けも可能だろうか。対馬、あるいは国境の島とその海について、こういう時代もあったという実態を知る上で有用で興味深い一冊だった。


<目次>
  中世の対馬と海峡
 1 応永の外冦から平和通交の時代へ
 2 外交官・通交者・商人・海民
 3 三浦・後期倭冦・遺跡
  近世へ、そして現代へ

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2008年11月 8日

(書評)青花の道

NHKブックス 1104
青花の道
中国陶磁器が語る東西交流
弓場紀知 著
ISBN978-4-14-091104-4
日本放送出版協会 2008.2

 ユーラシア史、とくに海を中心とした東西交流史の主要なアイテムとして登場する陶磁器。陶器と磁器の違いとか青磁や白磁がどんな物かくらいまでならなんとか分かる程度。本書を読むまで染め付けと青花が同じ物であることも理解していなかった。陶器屋の店頭で茶碗を眺めるのは好きだが、纏まった本を読んだことがなかった。

 本書は、書名を見て一度読んでみようと衝動買いした一冊。陶磁器の美術、考古、歴史について長年研究されてきた筆者が、その成果を一般書として纏めたもので、白磁にコバルトによって絵付けされた青花磁器を中心に、中国陶磁器の広がりを追っている。


 話は、ポルトガルにある王宮の「磁器の間」の天井を埋めた青花磁器から始まる。まず陶磁器についての研究史、青花磁器の起源、代表的な産地である景徳鎮の歴史と青花磁器を中心とした陶磁器の歴史に触れる。ついで、エジプトで発掘された大量の青花磁器、トプカプ宮殿のコレクション、琉球の青花磁器などの伝世品、出土品の内容や由来の話。そして、世界各地の沈没船から引き上げられたもの、草原地帯の遺跡から出土したものの話へと進み、世界を巻き込んだ青花磁器の発展とその発展的な終焉で終える。

 時代的には、唐の末期から現代までの1000年以上、場所的にもユーラシアの東西を中心にアフリカ、アメリカ大陸までに話が及ぶ。また、産地としては中国が中心で、景徳鎮だけでなく越州、定、龍泉、磁州、耀州などにも触れている。シリーズの規格どおりの一般書で、本文も250ページとそれほど厚くはないが扱っている範囲は結構広い。


 読み終わって思い返してみると、雑然とやや広い風呂敷に整理しきれていない内容という印象が残るが、政治抜きの文化・経済史の本としてかなり面白かった。内容的に一般書なのだが、陶磁器の種類については青花磁器以外については具体的な説明が少なく、カラー写真は最小限で、モノクロ写真もさほど多くなく、本書に度々登場する釉裏紅磁器とか紅緑彩磁器といった陶磁器の種類がどんなものなのかはさっぱりわからない。

 とりあえず字面からなんとなくイメージしながら読んでいたが、不思議とそれがあまり不快でなかった。まったく自分の主観なのだとは思うが。繰り返し出てきたので、用語としてだいぶ覚えてしまった。ネットを開けばいくらでも調べられることでもあり、それはそれで良いのかもしれないと思う。


 ところで、本書で言うところの「海のシルクロード」の向こうを張った「陶磁の道」と言う言葉は、何年か前にはテレビで聞いたように思うが、今も普通に使われているのだろうか。読後のイメージとしては、「海のシルクロード」よりもしっくりくるのだが。

 細かい部分では、ユーラシア周辺ばかりでなく南アフリカやメキシコにまで及ぶ話は自分には目新しく、世界各地の沈没船について触れた8章はとくに面白かった。


 扱う範囲と内容の広さのわりに読んでいてさほど重いとは思わなかった。また、沢山登場する陶磁器用語についての説明は、一般書というにはかなり不親切なのだがそれが不快ではなく、繰り返し引用されることで目にだいぶ焼き付いた。なんとなく陶磁器の世界に踏み入った気分になっている。

 本書の文章の力なのかどうかいまひとつ判断しかねているが、今まであまり感心のなかった世界について、もうちょっと踏み込んでみとうという気を起こさせた不思議な一冊だった。おかげで、先日立ち寄った博物館では他の展示そっちのけで青磁や白磁に見入ってしまた。


<目次>
 序章 王宮の天井を埋め尽くす青花磁器
 1章 「陶磁の道」研究のパイオニアたち
 2章 青花磁器の誕生
 3章 元代の景徳鎮窯
 4章 明代の景徳鎮窯
 5章 青花磁器は海を越えて
 6章 スルタンの中国陶磁コレクション
 7章 琉球王国に下賜された青花磁器
 8章 海に眠る中国陶磁器
 9章 草原世界へ広がる青花磁器の道
 10章 青花磁器のチャイナ・ブーム

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2008年8月26日

(書評)世界史を書き直す 日本史を書き直す

懐徳堂ライブラリー 8
世界史を書き直す 日本史を書き直す
阪大史学の挑戦
懐徳堂記念会編
ISBN978-4-7576-0473-5
和泉書院 2008.6
目次は、上記書名リンク先を参照

 本書は、大阪大学に籍を置く(置いていた)6名の研究者がそれぞれ異なるテーマを設定して、歴史を見る上での新しい視点を示そうというもの。発売されて2か月ほど、既にAbita QurMarginal Notes & Marginaliaなどで取り上げられているが、未読本に囲まれた状況でやっと読むことができた。

 各章の内容を乱暴に要約する。イギリスの産業革命について、中国、インド、アメリカなど世界的な物の流れを見ながら捉え直そうとする1章。10世紀の敦煌での農地所有に関わる訴訟文書を読み解きながら、オアシスに暮らす人々の生活や、祁連山山麓で遊牧する人々との関わりの復元を試みた2章。世界史という広がりを説く上で、海上貿易が果たした役割をアジアを中心として概説的に問い直す3章。武士が台頭した時代という中世像に疑義を示し、神仏習合を中心に宗教パワーを問い直すことで新しい像を示そうとする4章。17世紀に相次いで生まれた清朝と江戸幕府という二つの軍事政権について、その類似性を検証しながら両国の新しい歴史像の提示を試みる5章。19世紀後半から20世紀初めにかけての全盛期イギリス帝国像を政治、経済、軍事などの特徴的な部分を絞りながら、アジア、特に日本との関わり方を捉え直そうとする6章。


 6つの内容は、日本だけを扱ったものが1つ、日本も関わる世界史が3つ、日本が出てこないもの2つという組み合わせで、全体としては時間的空間的な網羅性も特異性もない。文章などの体裁も著者の個性そのままという感じでばらつきがあるが、それが悪いとは思わなかった。新しい視点を提示するという抽象的な企画に、意欲的な文章をオムニバス的に集めたという一冊と見る。

 対象として一般読者が強く意識されたもので、素材的に多少とも難のあるものを、いかにして読み易く纏めるかという工夫が読み取れる。その工夫の仕方もそれぞれ。特に個性的なのが、「帰ってきた男」というタイトルからして思わせぶりな2章。訴訟文書という論文として書かれれば文章読解か類例比較で終わりそうな素材を、想像を膨らませてストーリーを組み上げている。それでいて、実証的な世界からさほど外れていないというなかなかの力作に見える。


 書名からして意図的だが、6章で230頁という量も力まずに読める厚さを意図して絞ったものと思われる。また、オムニバス的とはいえ各章が結構面白かったので、それほどバラバラという印象は残らなかった。

 扱っている時空は結構広いので、章によっては自分の守備範囲をかなり越えている。イギリスが関わる1章と6章、中世日本を扱った4章が特にそうだが、さほど大袈裟な印象は受けないものの、限られた頁数に納める為に単純化している可能性は残るので、機会と時間があればより詳しい本に当たってみたい。

 とはいえ、意図に見合った面白い一冊という評価でどうだろう。歴史好きな者にとってより視野を広げる為の素材として、お薦めめできる一冊と思う。

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2008年7月21日

東アジアと日本 交流と変容(感想)

東アジアと日本 交流と変容
統括ワークショップ報告書
今西裕一郎 編
九州大学21世紀COEプログラム(人文科学) 2007.2
 (目次は、上記書名のリンク先を参照)

 21世紀COEプログラムとは、日本学術振興会のHPによれば、

 我が国の大学に世界最高水準の研究教育拠点を形成し、研究水準の向上と世界をリードする創造的な人材育成を図るため、重点的な支援を行うことを通じて、国際競争力のある個性輝く大学づくりを推進することを目的
とした文部科学省の助成事業とのこと。東アジアと日本 交流と変容は、2002年度に採択された人文科学分野のプログラムで、本書は2006年の11月に九州大学で行われた5年間にわたる事業の総括としての行われた研究会の報告書。プログラムによれば、研究会では2つのサブテーマ設けて併せて16人の論者による発表と各サブテーマ毎の討論、総合討論が行われている。本書は、その内容に沿ったもので、3回の討論も集録されている。なお、本書は発表者のひとり舩田さんより頂いたもの。ありがとうございます。


 一つ目のテーマが、ヒトの移動とイノベイション。古代から近世初頭までの人や技術などの移動による影響の解明、検討を通して

交流と変容の観点からみた「東アジアの史的特質」の析出
を目指したものとのこと。発表は、アイデンティティをメインあるいはサブテーマとしたものが過半を占め、人の動きの中でどう捉えられてきたのかが重要な要素となっている。この点は討論でも同様で、アイデンティティの多重性という言葉で締められている。近代国家という形以前のアイデンティティをどう考えるかという点で、自分には興味深い内容をいくつか含んでいた。


 二つ目が東アジア世界の形成と中華の変容。これまでの成果を踏まえながら、このプログラムにおける中心的な概念であるという

 東アジア、中華の問題
について一定の総括を目的としているとのこと。発表は、国の形や人々の意識という点についてのもの。ここのテーマとして興味深いものが並んでいるが、漢と匈奴とかモンゴル時代の中国とイラン、あるいは明代のモンゴルなど、東アジアより扱う範囲が広いのは相対化ということだろうか。討論では、その相対化という面からか、東アジアをどう捉えるのかという方向に流れるようにみえるが、対象が広くて自分には全体像が捉え難い。


 この二つのテーマを受けて、最後に27ページにわたって総合討論が掲載されている。南北朝時代や宋元といったところを画期として中華が変わっていくという話、外交圏と経済圏の二重性という話、中華とある程度の距離を取った朝鮮の小中華という話、あるいはそもそも論として二つ目のテーマから続く東アジア枠組み論など、個々の発言者の話は興味深い。日本を含めて時代的にも空間的にも多様な話が展開して、その意味では東アジアにおける交流のダイナミズムとか変容とかはなんとなく見えて来るが、総論としての纏まりが自分には今ひとつ捉えきれなかった。


 あと、個々の発表内容について、いくつか紹介とコメントを。

モンゴル時代における民族接触とアイデンティティの諸相
 舩田善之

 もともとキタイや漢族、タングートとされる人々がモンゴル時代に政権側として活躍し、モンゴルとしてのアイデンティティを持っていたという事例が紹介されている。モンゴル、色目、漢人、南人とされたモンゴル時代の身分制度が虚構だという論は以前から目にするが、漢人を含む具体的な事例という点で興味深い。


鮮卑の文字について---漢唐間における中華意識の叢生と関連して---
 川本芳昭

 北魏において、万葉仮名的な鮮卑文字が使われていた可能性を間接的に肯定し、その意味を説いたもの。可能性という点で中国史のなかの諸民族(山川出版社)の中で川本氏によって触れられていたもので、本書の中でもとくに読みたかった一論。資料状況により推論であるとのことだが、新しい文字資料が次々と出て来る中国のこと、実物の出現を夢見たいところ。


モンゴル帝国の国家構造における富の所有と分配---遊牧社会と定住社会、中華世界とイラン世界---
 四日市康博

 モンゴル帝国における統治機構の複雑さを模式的なモデル化を試みたもの。ピラミット的な行政機構だけでなく諸王の領地などが入り乱れていた話は、既に概説書にも出て来る話だが、このようなモデル論はイメージという点で理解の助けになる。それでも全体像は複雑なもので、それが有効に機能しているところは、自分にはなかなかイメージできない。

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2008年7月12日

日本のイネ「南に源流」?

 日本や中国で栽培されるイネ「ジャポニカ」の起源が、インドネシアやフィリピンまでたどれることがわかった。
 日本のイネ・ジャポニカ「南に源流」 遺伝子研究で解明(朝日新聞)

 7月7日の朝にこのニュースを読んで「ほほー」と思いながらも、古い野生種の起源が東南アジアにあるのならそれはそれでも良いかと思った。しかしニュースには、

 アジア各地の古い栽培品種142系統を調べた。
とあり、また話の出所、農業生物資源研究所のHPには、

 コメの大きさを決める遺伝子を発見!日本のお米の起源に新説!

 さらに、様々な地域で栽培されていた約200種の古いイネ品種でqSW5の機能の有無等の遺伝子の変化を調査した結果、従来の学説(長江起源説)とは大きく異なり、ジャポニカイネの起源は東南アジアで、そこから中国と伝わり、そこで温帯ジャポニカイネが生まれたことを示す結果が得られました。
とある。栽培種についての比較であって、東南アジアで栽培されている品種をポイントとして、長江起源説が覆される可能性があると示唆されている。


 さて、どうなんだろう・・・と思い、上記新聞記事に

 ただ、遺伝子の変化を、直接イネの栽培化と結びつけるのは難しい。考古学資料とのすり合わせが必要だろう。
とコメントされた総合地球環境学研究所の佐藤洋一郎氏の話を聞くべく、研究所主催の公開講座ユーラシア農耕史---風土と農耕の醸成---の第3回米(コメ)の登場と稲作文化を聴講してきた。

 ・中国の稲作考古学---遺跡から探る稲作の起源と深化---(中村慎一)
 ・プラント・オパール分析から見た水田稲作の起源と伝播(宇田津徹朗)
 ・稲作で人が変わる?(若林邦彦)

 講座は、このような3氏による発表があり、佐藤氏を加えた討論があった。中国での稲作に関わる遺跡の新しい話、農耕化の漸進性、食用植物の多様性、さらには縄文人と弥生人の対立や住み分けに疑義が挟まれるなど、短時間ながら多様で興味深い内容だった。佐藤氏は期待どおりにニュースに触れられ、上記のコメントを補足する形で、現在確認されている東南アジアの農耕文化が中国に比べてかなり新しいことを問題とされていた。


 野生種と栽培種という話に戻る。研究の対象は栽培種だった。東南アジアの古い品種であっても、栽培種なのだから稲作農耕とともに中国など他の地域からもたらされた可能性は十分に想定できる。東南アジアに野生種があってその遺伝子が調べられるか、中国よりも古い稲作の遺跡が見つからない限り、稲作発祥の地という話としては中国が最有力であることは変わらないだろう。したがって、この研究の評価は現時点で遺伝学的な研究という範囲に留まることになる。遺伝的に米の系統と明らかにする方法として興味深いが、同様な研究が他でなされているかどうか私にはわからない。

 ちょっと細かいことだが、比較対象となった品種の数が、研究所の発表では「約200種」とあるが、上記朝日新聞の「142系統」や47NEWS「約140種」と、ちょっと違う数字があるのは何故だろう。

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2008年4月27日

海域アジア史研究入門(感想)

海域アジア史研究入門
桃木至朗 編
ISBN978-4-00-022484-0
岩波書店 2008.3
目次はこちらを参照

 まず、「海域アジア史」とは何か。本書総説によれば、アジアを取り囲む海域の歴史としての「アジア海域史」に留まらず、海域を通しての陸地相互、海と陸の関係も対象として、従来のアジア理解からの「刷新」を謳うという意欲的な意味を持たせているという。また、単に新しい視点というだけでなく、地域相互の繋がりを前提としたより広い視野も求められている。

 本書では、広域での交流が活発化したという9世紀からを対象としている。第1篇は3つの時代に分けて17のテーマを扱い、第2篇では必ずしも時代に捕われない8つのよりコアなテーマを扱っている。計25章で、若手を中心とした32人の著者により、研究動向や先行研究などが紹介されている。似たタイトルの本として、一昨年出版された中国歴史研究入門(名古屋大学出版会)があるが、中国歴史研究が研究の蓄積という点もあって研究動向や先行研究の手引きとしての比重がより大きいのに対して、本書はその機能を持たせながらより新しい研究にも焦点をあてているという。また、中国歴史研究は専門性の高い濃密な資料であるのに対し、本書は一般読者が入門書として読めることも配慮したという。先行研究の紹介をどのくらいするかという点は章により比重が異なり、それは各テーマの濃淡や筆者による部分と思われが、トータルでみれば十分に面白く読むことができたと思う。


 総論としての目新しさに加えて、自分の関心が基本的には内陸にあるために今まであまり読んでいない分野が多々含まれることもあり、全体を通して興味深く読み終わることができた。25章で235頁、1章あたり10頁程度で中国歴史研究よりも文字が大きいとはいえ、読みでは結構あり思ったよりも時間がかかった。入門書として十分に意義のある一冊だったが、興味が向けばさらに深く掘り下げて行ける場所が分かるのも当然ながら本書の魅力である。

 印象に残った章について、もう少し感想を書き足す。まず、橋本雄氏、米谷均氏の9章「倭寇論のゆくえ」。一回読んだだけで必ずしも消化できていないのだが、倭冦の動向について従来言われている以上に複雑な実態が明らかになってきたという理解でいいのだろうか。少なくとも、自分がいくつかの通史的な概説書で覚えている話よりはかなり多様な内容となっている。その複雑さに惹かれるものがある。

 蓮田隆志氏の15章「東南アジアの『プロト国民国家』形成」。氏の纏まった文章を読むのは初めてのように思うが、短い文章ながら近代大陸東南アジア成立に関わる複雑な状況が纏められている。なかなか興味を惹かれる内容だが、最後に書かれている一文

 今後の研究の進展が期待されている。
のとおり、氏の今後の研究の成果を楽しみに待ちたい。

 2篇では、出口晶子氏の22章「造船技術---列島の木造船,終焉期のけしき」がやや意表をつかれた。木造船の造船技術についての話で、それ自体も面白い話だったが、日本の長い木造船の歴史はまもなく絶えるという話でもあった。造船技術を担ってきた船大工が大幅に減少してきているとのこと。

 もう一つ章立てとは別なのだが、自分は12章と17章で紹介されている「勤勉革命」という言葉を初めて聞いたように思う。本書によれば、1976年に速水融氏によって提唱されたというものとのこと。必ずしも新しい概念ではなく、あるいはどこかで読み流して既に忘却しているのかもしれない。ヨーロッパの産業革命とも対置させていて、なかなか興味深いのでこれを機会に覚えることにする。


 最後にもう一点。以前に江戸時代は本当に鎖国かという問題を話題にした。鎖国よりも海禁とすべきという点について、本書でも説明されていてその点には自分も異論がない。しかし、「孤立」が言い過ぎであったにしても海禁はしていたわけで、閉ざされていたことには変わりがないとも考えている。ただ、コメントで頂いた

 16世紀とは良くも悪くも異なりますから、
という点は、本書を読み終わった時点で、なるほどなと思うところが少なからずあった。海域アジアという視点でもう少し見続けると違うものが見えて来るだろうか。

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2008年4月20日

(書評)秀吉の接待

学研新書 021
秀吉の接待
---毛利輝元上洛日記を読み解く
二木謙一 著
ISBN978-4-05-403468-6
学習研究社 2008.2

 豊臣秀吉政権下で五大老の一人であり、中国地方屈指の大名であった毛利輝元。彼は、秀吉による日本統一が進められている最中、本拠である安芸吉田(現在の広島県安芸高田市)を離れて初めて上洛を果たした。本書は、その際に輝元に従っていたという平佐就言が残した日記を引いて上洛の様子を語ることで、輝元や秀吉を取り巻く日々の出来事や文化習俗を具体的に紹介するもの。武士の儀礼や往時の風俗についての著書を物し、大河ドラマの風俗考証も務めたという筆者らしい一冊ということだろう。

 本書は、就言の日記そのものを解説、考証したものではない。また論文や概説でもなく、一般読者を想定した物語的な構成で、輝元上洛の様子が時系列どおりに綴られている。ここで描かれているのは、輝元が1588年7月に安芸吉田を出発して、瀬戸内海を東上して大坂に上陸し、京都、奈良、大坂を巡って再び瀬戸内海を渡り、9月に帰り着くまでの2か月あまりの出来事である。輝元の叔父小早川隆景や従兄弟吉川広家、多くの近臣のほか、徳川家康をはじめとする既に秀吉政権に参加している大名、公家や商人、そしてまだ帰服していない北条家の氏規など多くの人々が登場する。

 1588年は、秀吉による前年の九州遠征と90年の小田原遠征の間の年で、秀吉政権が完成されていく途上にあたる。輝元にとっては上洛が初めてであるばかりでなく、秀吉との対面もまた初めてとのこと。当主が上洛したことで秀吉政権における毛利家の立場が確定する過程であり、また輝元がどういう形で秀吉政権に加わって行くかを決める切っ掛けにもなったという。

 上洛の途上では秀吉との対面前という緊張感が描かれ、上洛を果たしてからは聚落第での謁見や日々の挨拶周り、接待攻勢が続く多忙な日々が描かれている。また、習俗や政治状況などの説明には、日記で足りない部分を他の資料にも求め、人物描写などについては筆者の推測も交えている。


 まず、古文書の解説でも小説でもなく、また政治や習俗を直接解説したものでもないという設定が面白い。2か月ほどの出来事が新書としては厚めの300頁あまりに纏められ、謁見や宴席における席次や服装などについてかなり細かく描かれている。物語的な進行の中にそれらが解説されているので、文化史にあまり興味のない自分でも飽きることなく一気に読むことができた。

 具体的な情報という点では、豊臣秀長の大和大納言、細川忠興の長岡越中守など当時の名乗りが多数紹介されていること、豊臣輝元というような豊臣姓賜与に触れていること、膨大な金品のやりとりが細かく書かれていることなど、多岐に渡ることも本書の面白さである。また、登場する多くの有名武将たちが、どのような状況にあって輝元とどう関わったのか、1588年の一時という状況のものではあるものの、ほかの解説書とは異なる側面が見られるのも面白かった。

 本書は、日記をベースにしながらも従来とは違った解説書をと目指したもののようだが、深い内容を企画どうりに面白く読むことができた。具体的な内容に自分には勉強になるものが多くあることもあり、お薦めできる一冊と思う。


<目次>
第1章 上洛への旅
第2章 初めての京都
第3章 楽しき京都
第4章 大坂城の関白秀吉

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2008年3月 9日

朽木谷

 いよいよ春到来を思わせる晴天の一日、泰巖宗安記で紹介されていた講演会戦国時代のお城は面白いを聴くため、まだ行ったことの無かった朽木谷へと出かけた。朽木の中心部へ京都から直接行くために、京阪電車の終点出町柳駅前を朝8時前に出るバスに乗る。最近では鯖街道の名で知られた道、織田信長が越前朝倉攻めの失敗から撤退に使ったルートを逆に辿る。大原を抜け、峠を2つ越えて朽木まで1時間と少し。日差しは春なのに景色はまだかなり白かった。


 谷を南から北へと貫いて琵琶湖へと流れ出る安曇川。日差しの強さと雪景色が同時に収まった、珍しく撮った時のイメージそのままの一枚。


 講演会は午後からなので、その前にあちこちと散策。江戸時代に朽木を治めた朽木氏の陣屋跡には、郷土資料館が建ち、陣屋や山城のジオラマ展示のほか山城の資料が手に入る。


 朽木中心部の北に聳える西山。この山頂にある西山城跡に登るのが一番の目的だったのだが・・・。地図によれば山の標高は343m、麓との標高差は170mほど。資料館の方の説明によれば、近年案内板の整備が行われ、城跡まで40分ほどの道のりとのこと。


 ところが、いざ登城道に取り付いてみたところご覧のとおり。30cmほどの積雪が残り、場所によっては50cm以上に吹き溜まっていた。雪山を歩く装備などあるわけもなく、後日のリベンジを期して征服を断念した。


 講演会は基調講演が2つで、奈良大学の千田氏による「戦国の城は面白い」と、朽木村史編さん室の石田氏による「織田信長の朽木越と城館ネット」。

 千田氏は、戦国時代の城に関わる話をいろいろとされたが、最初の話題が「城跡から桶狭間の戦いを再評価する---愛知県桑下城の調査」というもの。桑下城発掘調査の写真を見ながら、桶狭間の戦いの直前に信長が桑下城を奪還したことの意味を説かれていた。桑下城は、愛知県瀬戸市にあったという城。桶狭間関係で瀬戸市の城というと、品野城を挙げたものは見たことがあったが、桑下城はその品野城と川を挟んで向かい合う位置にあるらしい。

 石田氏の方は、朽木周辺の城館の紹介の次に、信長、秀吉、家康の撤退路をそれぞれ紹介されていた。一度実体験のため、敦賀からの撤退路を歩いてみるというのも面白そうだが、朽木までで56km。ちょっと遠いかな。


<戦利品>
第12回全国山城サミット記録集
高島の山城と北陸道
---城下の景観---
高島市教育委員会 編
ISBN978-4-88325-299-2
サンライズ出版 2006.3

 2005年10月に高島市で開催された全国山城サミットの記録。2つの基調講演「戦国期清水山城・城下の景観」、「戦国時代の山城と城下がもつ多様な機能 〜越前を中心に」と、フォーラム「高島の山城と北陸道 ---城下の景観」を集録。

 

朽木村の城館探訪
石田敏 著
朽木村教育委員会 1995.3

 旧朽木村の城館史と村内11の城館を紹介した冊子。イラスト、写真、地図、図面つき。

 

朽木村歴史年表
朽木村教育委員会 1992.3

 奈良時代から現代までの旧朽木村の年表を載せた冊子。

 

高島歴史探訪ガイドマップ1
高島の城と城下
〜城・道・港〜

 ホチキス綴じの手作り冊子ながら、全28頁に城跡の図面を多数集録。資料価値十分。


<国土地理院 地図閲覧サービス>
朽木谷中心部西山城跡周辺

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2008年2月19日

(書評)シリーズ藩物語 盛岡藩

シリーズ藩物語
盛岡藩
佐藤竜一 著
ISBN978-4-7684-7107-4
現代書館 2006.11

 本書は、シリーズ藩物語の中の一冊で、前史として南部氏の歴史を簡単に触れた後、盛岡築城から戊辰戦争敗北に至る盛岡(南部)藩の歴史を解説したもの。

 このシリーズは、2004年の長岡藩を皮切りに11冊が出版されている。これまでに年2冊から4冊とゆっくりしたペース。巻末に江戸末期の各藩として、300弱の名前が挙げられているが、全部出版予定だとしたらなかなか遠大な計画だ。これまで出されたものを見ると、幕末の石高で盛岡よりも大きいのは会津藩だけ。小藩あるいは地方重視かという面白い選定である。

 その中から盛岡藩を選んだのは、自分が以前に暮らした街という縁からなのだが、実は江戸時代の盛岡の歴史はほとんど知らない。もともと江戸時代の歴史が守備範囲外である上に、暮らしていた当時は東北の歴史にあまり関心が無かった。今から思えば全く勿体無い話なのだが。そういうわけで本書が目に留まったのを期に勉強し直しである。


 あとがきに筆者自ら書かれているとおりに読み易い入門書で、200頁の厚さがあるが歴史ものとしては気軽に読めるという分量である。内容は政治史に留まらず、社会、経済、文化全般を広くカバーしていて、意図された事なのだろう比較的広く浅く纏められている。藩主であっても本文に登場せずに、一覧表に名前があるのみという人がいるという配分で、興味がある部分について物足りなさが残る内容である。それがこの本の企画であって、より深くは参考文献などを頼りに次の本でということであって、本書の善し悪しには関わらないと考える。

 本書の特徴は、戊辰戦争で賊軍にされたことが強調されている部分だろう。序文にその事を絡めて、原敬の復讐という一文を持って来ている。また、その延長でアンチ薩長的な内容を含んでいる。歴史の評価ということになって来るが、もう少し押えてもと思わなくはない。

 ほかの本を見ていないのでシリーズを通しての傾向かどうか判らないが、偉人伝的に岩手出身者を紹介したコラムが6頁に詰め込まれている。この人も盛岡だったのかという人と、初めて聞いたという人が入り交じっている。コラムタイトルにあるように、ややお国自慢な内容。


 歴史ものとしてどうかという点では、私の知らない事ばかりなので判断できないのだが、比較的浅い内容なのでアンチ薩長の評価を除けば無難な内容に見える。本書はあくまでも起点であって、深めて行く段階で理解して行けば良いことだろう。それ以前のこととして、本書に書かれている歴史地理的な背景を知らずに盛岡に暮らしていたことが悔やまれる。盛岡の街を見る目という点で十分に自分の中に残るものがあった一冊である。


<目次>
第1章 南部氏のおこり
第2章 盛岡城の築城と藩政の安定
第3章 城下町の形成と武士の生活
第4章 城下の人々の生活と文化
第5章 農民の暮らしと信仰
第6章 藩政の揺らぎと改革
第7章 戊辰戦争の敗北と盛岡の人材

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