いよいよ春到来を思わせる晴天の一日、泰巖宗安記で紹介されていた講演会戦国時代のお城は面白いを聴くため、まだ行ったことの無かった朽木谷へと出かけた。朽木の中心部へ京都から直接行くために、京阪電車の終点出町柳駅前を朝8時前に出るバスに乗る。最近では鯖街道の名で知られた道、織田信長が越前朝倉攻めの失敗から撤退に使ったルートを逆に辿る。大原を抜け、峠を2つ越えて朽木まで1時間と少し。日差しは春なのに景色はまだかなり白かった。
谷を南から北へと貫いて琵琶湖へと流れ出る安曇川。日差しの強さと雪景色が同時に収まった、珍しく撮った時のイメージそのままの一枚。
講演会は午後からなので、その前にあちこちと散策。江戸時代に朽木を治めた朽木氏の陣屋跡には、郷土資料館が建ち、陣屋や山城のジオラマ展示のほか山城の資料が手に入る。
朽木中心部の北に聳える西山。この山頂にある西山城跡に登るのが一番の目的だったのだが・・・。地図によれば山の標高は343m、麓との標高差は170mほど。資料館の方の説明によれば、近年案内板の整備が行われ、城跡まで40分ほどの道のりとのこと。
ところが、いざ登城道に取り付いてみたところご覧のとおり。30cmほどの積雪が残り、場所によっては50cm以上に吹き溜まっていた。雪山を歩く装備などあるわけもなく、後日のリベンジを期して征服を断念した。
講演会は基調講演が2つで、奈良大学の千田氏による「戦国の城は面白い」と、朽木村史編さん室の石田氏による「織田信長の朽木越と城館ネット」。
千田氏は、戦国時代の城に関わる話をいろいろとされたが、最初の話題が「城跡から桶狭間の戦いを再評価する---愛知県桑下城の調査」というもの。桑下城発掘調査の写真を見ながら、桶狭間の戦いの直前に信長が桑下城を奪還したことの意味を説かれていた。桑下城は、愛知県瀬戸市にあったという城。桶狭間関係で瀬戸市の城というと、品野城を挙げたものは見たことがあったが、桑下城はその品野城と川を挟んで向かい合う位置にあるらしい。
石田氏の方は、朽木周辺の城館の紹介の次に、信長、秀吉、家康の撤退路をそれぞれ紹介されていた。一度実体験のため、敦賀からの撤退路を歩いてみるというのも面白そうだが、朽木までで56km。ちょっと遠いかな。
<戦利品>
第12回全国山城サミット記録集
高島の山城と北陸道
---城下の景観---
高島市教育委員会 編
ISBN978-4-88325-299-2
サンライズ出版 2006.3
2005年10月に高島市で開催された全国山城サミットの記録。2つの基調講演「戦国期清水山城・城下の景観」、「戦国時代の山城と城下がもつ多様な機能 〜越前を中心に」と、フォーラム「高島の山城と北陸道 ---城下の景観」を集録。
朽木村の城館探訪
石田敏 著
朽木村教育委員会 1995.3
旧朽木村の城館史と村内11の城館を紹介した冊子。イラスト、写真、地図、図面つき。
朽木村歴史年表
朽木村教育委員会 1992.3
奈良時代から現代までの旧朽木村の年表を載せた冊子。
高島歴史探訪ガイドマップ1
高島の城と城下
〜城・道・港〜
ホチキス綴じの手作り冊子ながら、全28頁に城跡の図面を多数集録。資料価値十分。
<国土地理院 地図閲覧サービス>
朽木谷中心部、西山城跡周辺
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